第20話 変化
俺は意を決して、個室の扉を開いた。
するとそこには、見慣れた制服姿の和泉。
そして——。
「三浦……」
和泉の背中に隠れるように縮こまる、三浦の姿があった。
「何やってんだお前ら……」
夜の公園のトイレの個室に2人きり。
状況を考えても、ただ事じゃないのは理解できる。
「男子トイレだぞ、ここは」
続けて和泉にそう告げた。
正直この際、男子トイレかどうかはどうでもいいが。
いきなり話の本筋に触れるのは、あまりにも難易度が高すぎたのだ。
「三浦くんに話があるって言われて」
「話……ね……」
話。
果たしてそれが本当か否か。
とりあえず和泉は、普段通り冷静だった。
なので今度は三浦に視線を向ける。
先ほどからずっと怯えているのが気がかりだ。
「和泉はそう言ってるみたいだが」
「……い、いやなべさん違うんだ……」
「何が違う。言ってみろ」
「……こ、これは単なる誤解で……」
俺はまだ、何も言ってはいない。
にもかかわらず、三浦は酷く動揺していた。
手は震え、額からは大粒の汗をこぼし。
まるで会話にならないほど、声は震えている。
普段の三浦と比べたら、全くの別人を見ているようだ。
「この状況で誤解って言われてもな」
「い、いやほら……2人っきりで話したいこともあるだろ?」
「だとしても、普通はトイレの個室に女子を連れ込まないだろ」
「誰にも聞かれたくなかったんだって……!」
口を開けば開くほど。
御託を並べれば並べるほど。
三浦の立場が悪くなるのは明白だった。
この現場を目撃して、何をどうすれば誤解になるのか。
それすらもわからないほどに、彼の悪事は決定的と言えた。
夜の公園のトイレに年頃の男女が2人きり。
この状況を見て理解できないほど、俺は鈍い人間じゃない。
一歩間違えればこれは、わいせつ罪で立派な犯罪なってしまう。
「とりあえず、話だけ聞かせてもらえるか」
もしこれを目撃したのが頭の固いお偉いさんだったら。
おそらく2人は、何の猶予も与えられず即停学だろう。
幸いにも、出くわした教師が俺みたいな奴でよかった。
とはいえ。
何の罪も問わないわけにもいかない。
これでも俺は教師の端くれ。
彼らの悪事を正す義務がある。
今すぐにでも保護者に連絡してもいいが。
そうなると、すくなからず2人の将来に影響が出る。
”学生時代にわいせつ行為をした”
なんて負のレッテルを貼られ、一生過ごすのは嫌だろう。
とりあえず今は、こうなったわけを聞くのが最善と言える。
「何か話せることはないのか」
俺が少し威圧すると、三浦の表情は更に歪んだ。
「お、俺たちは……別にそういうんじゃなくて……」
「それを証明できる根拠は。何かないのか」
「そ、それは……」
今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
これでは、会話にすらならない。
(さて、どうするか)
この様子だと、悪事の発端は間違いなく三浦だ。
和泉は俺が来てからも、表情一つ変わらないし。
むしろ俺が来たことで、ホッとしているようにも見える。
「仕方ないか」
「……ちょ、なべさん何してんの!?」
「親御さんに連絡する」
少し強引ではあるが。
こうすることで三浦が自白してくれればいい。
そう思い、俺はポケットからケータイを取り出した。
そしてそれをわざとらしく三浦に見せ、画面を立ち上げる。
ちなみに親御さんに連絡するつもりはない。
そもそも生徒宅の番号は、学校にしかないから知らない。
「そ、それだけは待っ……」
慌てた三浦は、すかさずそれを阻止しようとして来た。
しかし俺は伸ばされた手を避け、キーボードを打つ”ふり”をする。
すると——。
「せんせー、ちょっと待って」
今まで黙っていた和泉が、ここで声を上げた。
「あまり三浦くんを責めないであげて」
「いや。責めないでって言われてもな」
予想外の出来事に、俺は思わず手を止めた。
まさか和泉から、そう言ってくるとは思わなかったから。
するとどうやら三浦も、同じく拍子抜けしているようだった。
「私たちは少し相談事をしていただけだよ。だからせんせーが思っているようなことは何もなかったから」
意外だった。
てっきり俺が来て安心してるものだと、勝手に思い込んでいた。
それゆえに、強気だった俺の気持ちも、少しばかりたじろいだ。
「でもまあ、確かに場所はまずかったよね。ここ男子トイレだし」
「それはそうだが……本当に何もなかったのか?」
「うん、ほんとだよ」
改めて尋ねても、和泉の顔色は変わらなかった。
普段通り、いやそれ以上に冷静なまま、きっぱりと断言する。
これには俺も、和泉を無視して話を進めるわけにもいかない。
だが——。
なぜだろう。
どうしてか、和泉の言葉が引っかかるのだ。
俺の気のせいなのかもしれない。
それでも今の和泉は何か嘘をついているかのような。
冷静な中にも、大切な何かを隠しているかのような。
そんな感じがした。
その感覚は、少し前の和泉に近い。
自分を押し殺して、辛い想いを背負っていた和泉。
ここ数日は姿を現さなかった彼女が、今また俺の目の前にいる。
なぜ三浦の肩を持つのか。
その理由はよくわからない。
でも和泉がそう望むのなら。
俺はもうこれ以上何も言わない。
何も……言えなかった。
「わかった。今回はお咎めなしとする」
「ありがとう。せんせー」
ホッとした空気が2人を包む。
同時に和泉は、俺に小さく微笑んだ。
(無理に笑うなって言ったろ……)
複雑な感情のまま、口を閉じた俺。
言いたいことは、まだ山ほど残っていたが。
何も言わないと決めた以上、俺はただの第三者。
これ以上ここにいる理由はない。
「それじゃ俺は帰る。お前らも早く家に帰れよ」
それだけ告げて、俺は男子トイレを出た。
今思えば、2人を残したのは失敗だったと思う。
あの後、何も起きないと確信できたわけじゃないから。
せめて2人が別れるまで、側にいるべきだったのだ。
でも俺は、そこまで冷静になれなかった。
和泉が見せた、掴みどころのないあの笑み。
それがずっと頭の中に残り続けていたから。
* * *
「なあ、和泉」
帰宅してからしばらく、ろくな会話がなかった俺たち。
揃って浮かない顔で、夕食の支度を黙々と進めていたが。
ここでようやく、俺の口から言葉らしき言葉が出た。
「何、せんせ」
「一つ、聞いてもいいか」
「うん、いいよ」
台所で隣り合わせ。
だが決してお互いに目は合わせない。
俺はカレー、和泉は付け合わせのサラダに目を向け。
意識だけは会話に向けているような、そんな状態だった。
「お前、さっき俺に嘘ついたろ」
そして。
流れるようにして出た俺の言葉で、和泉の手が止まる。
「どうしてそう思うの?」
「ただの勘だ」
間を空けず、俺はそう返す。
すると和泉はわかりやすく息を吐いた。
それはまるで、今までの緊張を吐き出すかのように。
「うん、ごめん。私せんせーに嘘ついた」
続けて和泉は、自らの嘘を肯定した。
これには俺も、肩の力がスッと抜けていく。
「今日、触られたんだ。三浦くんに」
そして自白してくれた内容は、俺の予想通りだった。
バイト終わり。
和泉を待っていた三浦に連れられ、人気のない公園へ。
そのまま公衆トイレに入っては、不埒な行為に至った。
しかもそれは今日が初めてじゃない。
以前から和泉と三浦は、そういう関係だったという。
和泉は誘われる度、三浦に身体を預けた。
そして三浦はその見返りとしてお金を払っていた。
そうした関係が、ふた月ほど前から続いていたらしい。
「今日久しぶりに誘われて。上手く断れなくてさ」
しばらくぶりに誘われたが、理由がなくて断れなかった。
だから誰が悪いとか、そういうわけじゃない。
ただ自分が恥ずかしかったから、本当のことを言えなかった。
和泉の言い分はそうだった。
話の流れからして、あらかた本当なのだと思う。
しかし——。
「嘘だな。お前はまた嘘をついてる」
「えっ?」
俺ははっきりと、そう言い切ることができた。
予想していなかったのか、和泉はハッとした表情になる。
「お前はいつもそうだ。そうやって1人で全部背負い込んで、周りを巻き込まないように気を遣っている。だから三浦をかばうようなことしたんだろ」
この子は以前からそうだった。
過去の自分が積み上げてきたものを、全て1人で背負おうとする。
誰の力も借りず、たった1人で苦しんで、平気な顔で笑っている。
それはきっと、マイナスだってわかってるから。
誰かを頼ってしまったら、その人にまで迷惑がかかるから。
その間違った優しさが、和泉の中にはしつこく染みついているのだ。
自分のせいで誰かを不幸にしてしまうのが怖いのだろう。
だからこそ今回も、俺や三浦を巻き込まないために嘘をついた。
でもだ。
そんなものは、間違った優しさだ。間違った気遣いだ。
それを肯定してしまったら、この子は一生救われない。
だからこそ俺は覚悟を持って、この子自身と向き合おうと思った。
俺はずっと考えていたんだ。
この子の力になってあげたいって。
でも本当の意味で、まだそれは叶っていないのかもしれない。
純粋でひたむきな和泉だからこそ、負い目を感じてしまうのだろう。
それなら。
負い目を感じさせないくらいに、俺が強くなればいい。
この人になら頼っても大丈夫だって、そう思わせればいい。
「1人で考えるのはもう終わりだ。どうしてもの時は俺を頼ればいい」
俺は優しく手を差し伸べた。
もしどうしようもなく辛い時は、俺を頼れ。
他の誰でもなく、俺を頼ってくれればそれでいい。
そんな想いを込めて。
「普通の高校生らしい笑顔で。普通の高校生らしい日常で。普通の高校生らしくのびのびと生きる和泉が見たい。これは俺のワガママであって、お前が負い目を感じる必要なんてこれっぽっちもないんだ」
笑われてしまうかもしれない。
バカにされてしまうかもしれない。
それでも俺は……見たいのだ。
和泉が思う存分、青春を謳歌して。
そして立派に羽ばたいていくその姿を。
「前にも言ったが、俺はお前を全力で守る」
だから——。
「だからお前は安心して自分の未来を守れ」
「……うん、ありがとう」
俺の手に、和泉の手が優しく触れた。
その瞬間、俺は気づいたのだ。
(ああ、最初から何も変わってはいなかった)
目の前の現実に困惑した時も。
自分を無力だと蔑んだ時も。
そして今も。
俺は最初から、この子を助けたいと思っていた。
この子に笑顔で生きて欲しいと、心から願っていた。
その想いだけはきっと。
一瞬足りとも揺らいだことはなかった。
「せんせ」
それに気がついた時。
和泉はそっと、俺の手を握っていた。
「これからも、私をよろしくね」
その時の彼女は、とても朗らかな笑みを浮かべ。
一寸の曇りもないその澄んだ瞳に、希望の光を灯している。
私はもう、迷わない。
そう言われているような気がした。
だからこそ俺は、迷わずこう言えたのだ。
「ああ、任せろ」
* * *
翌日の放課後。
職員室で仕事をしていた俺を訪ねて来たのは。
「あ、あの先生」
「おう、三浦か」
「え、えっとその……レポート遅れてすみませんでした」
深々と頭を下げ、差し出されたのは。
昨日提出されなかった、実験のレポート。
どうやら約束通り、提出しに来たらしい。
「よし。次からは気をつけろよ」
「は、はい……失礼します……」
レポートを渡すと、逃げるように去っていく三浦。
その態度、表情は、もう昨日までの三浦ではなかった。
「先生……か」
あいつにそう呼ばれるのはいつぶりだろう。
染み染みとそう思いながら、俺は彼の誠意に目を通す。
とても丁寧な字で上手くまとめられた、立派なレポートに。
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