第19話 捜索

 時刻は午後9時45分。

 待てど待てど、和泉が家に帰ってくる気配はなかった。


「今日は遅いな」


 ノートPCで仕事をしながら待っていた俺だったが。

 流石にここまで遅いと、少しばかり心配になってくる。


「バイト長引いてるのか?」


 そう思って先ほど届いたメールを確認するも。

 和泉が言うには、今日のシフトは9時半まで。

 早めにあがれるはずだから、9時40分には家に着く。

 そうやって、帰りの時間まで細かく連絡を貰っていた。


(佐伯の奴、また差し入れでも作ってんのか?)


 昨日のことを思えば、大いに考えられる。

 でもそれを理由に、帰宅を遅らせるだろうか。


 一応高校生は、10時を過ぎると補導対象になるから。

 その辺ちゃんと理解してくれてないと、俺としても困る。

 

「ま、そのうち帰ってくるか」


 とはいえ、気を揉んでいても拉致があかない。

 このままのんびり仕事をしているのもあれだし。

 今のうち、今日の晩飯でも適応に作っておくとしよう。


 そう思った俺は、PCを置いて立ち上がる。

 しかしずっと座っていたせいか、足が痺れてうまく立てない。


「いててて」


 思わず壁にもたれかかる。

 昔はいくら座ってても平気だったのだが。

 やはりこの歳になると、血の巡りが悪くなるらしい。


(やだやだ)


 痛みを堪えながら、なんとか台所へ。

 冷蔵庫の中身を適当に物色し、良さげな食材をかき集める。


 じゃがいも、にんじん、玉ねぎ。

 そして冷凍保存されていた豚肉。

 じーっとそれらを眺め、何を作れるのかを想像してみる。


「よし、カレーだな」


 そしてやっぱり、導き出された答えはカレー。

 そもそも俺は、そこまで料理ができる方じゃないので、何か料理を作るとなると、カレーか野菜炒めに限定される。


 今日はキャベツがなかったので、野菜炒めは不可能。

 ということで、消去法でカレーを作る流れになった。


「えっと、ご飯はどれくらいあるんだ」


 今朝和泉が炊いてくれた残りがあるはず。

 そう思って、俺が炊飯器に手をかけたところ。


 ——プルルン。


 部屋に置いていたケータイが鳴った。

 着信音からして、電話ではなくメール。

 おそらくだが、和泉からのメールだと思う。


「やっぱり帰り遅れるのか」


 そんな予想をしつつ、俺はケータイを取りに部屋へ。

 真っ暗な画面を、ホームボタンを押して立ち上げた。


「ん、佐伯からじゃねーか」


 するとその差出人は、和泉ではなく佐伯だった。

 ホーム画面に浮かんだ名前に触れ、メール画面へと移行する。

 その文面にはこう書いてあった。


『今日のバイト終わり、美羽ちゃん男と何処かへ行ったみたいだぞ。見たところ相手は学生っぽかったし、大丈夫だとは思うが。一応連絡だけはしとく』


「男?」


 理解に戸惑う内容だった。

 和泉がバイト終わりに男と何処かへ行った。

 見たところ学生だったから、大丈夫だとは思う。


「いや、全然大丈夫じゃないだろ」


 メールに思わず突っ込みを入れる。

 それくらいこのメールには、不安要素が詰まっていた。


「学生ってことは……和泉の彼氏か?」


 そういった話は、聞いたことなかったが。

 まあどちらにしろ、この時間に学生だけでの外出はよろしくない。


 補導対象となるまで、残り10分を切っているし。

 おそらく和泉と一緒にいる奴も、間違いなく高校生だろう。


「様子見に行くか」


 和泉には家の鍵を渡してある。

 万が一すれ違いになったとしても大丈夫だ。


「とりあえず、メールだけして……と」


 すぐさま宛先を和泉に変えて。


『今どこにいる?』


 それだけを打って、送信した。

 これでメールに気づけば、場所はわかるし。

 あとは適当に、それらしいところを見て回ることにしよう。




 * * *




 家を出てからしばらく街中を探索してみたが。

 和泉らしき学生の姿は、どこにも見当たらなかった。


 事前に送っておいたメールにも全くの無反応。

 すれ違った形跡もないので、家にも帰ってはいないだろう。


「和泉のやつ、どこに行ったんだ……」


 午後10時はとっくに回っている。

 このままだと、うっかり出会った警察に補導されかねない。

 受験生故に、それだけは絶対に避けてもらいたいところだが。


「佐伯に相談してみるか」


 このまま宛てもなく探していても埒が明かない。

 とりあえず佐伯に、バイト終わりの状況を聞いておくべきだ。

 そう思った俺は、急いでいた足を止め、すぐさま佐伯にメールを打った。


『なあ、今日和泉は何時に店を出た?』


 その数秒後。

 すぐにメールは返ってきた。


『9時過ぎには帰したぞ。だいぶ急いでいたようだが』


「9時!?」


 その文面を見て、俺は思わず声を上げる。

 確か和泉はメールで、バイトは9時半までだと言っていたはずだが。

 客足の関係上、早めにバイトを切り上げさせたのだろうか。


『店が暇だから早く帰したのか?』

『まあ、暇ではあったが。元々シフトが9時までだからな』

 

 しかし、佐伯によるとそうではないようだった。

 元から和泉のシフトは9時までで、延長も短縮もしていない。


 ということはつまり。

 和泉が俺に嘘をついていたということになる。


(何のためにあんな嘘を……)


 さっぱり理解できなかった。

 バイトが終わる時間を偽って、あの子に何の得があるのか。

 そもそもあの子は、好んで嘘をつくような子じゃないはずだ。


「いや待てよ……確か佐伯は男がどうの言ってたな」


 店を出た和泉は、男と何処かへ行ったらしい。

 それは佐伯が確認しているので、おそらくは間違いない。


『なあ佐伯。その男ってどんな奴だった』

『さあな。フードを被ってたから何とも』

『でも学生だったんだよな?』

『ああ、ちらっと顔見た感じはな』


 てことはやはり、和泉の彼氏だろうか。

 だとしても、この時間に外を出歩くのはまずい。


『和泉たちがどこに向かったかわかるか?』

『わからん。どっかでデートでもしてんじゃねーの?』


「だからそれがどこだよっての」


 佐伯の返事に、思わず声が漏れる。

 こいつはたまにこうした小ボケをカマしてくるから厄介。

 俺が困っていることを、本当に理解してくれているのだろうか。


「まあ、ひとまずは店の方に行ってみるか」


 とはいえ、佐伯も協力してくれている。

 知らないことを教えろというのは、野暮というものだろう。

 あとは自力でそれらしい場所を手当たり次第探すしかない。


 そう思って、俺はケータイの画面を一度閉じた。

 そしてそれをポケットにしまおうと思ったところ。


 ——プルルン。


 暗くなった画面に、再度光が灯る。

 何事かと思い目を向けると、そこには。


『でもまあ、この時間に行くところなんて限られてるだろ』


 とても興味深い一文が、佐伯から届いていた。

 俺はすかさず『どこだ?』と場所について尋ねる。

 するとほんの数秒足らずで、佐伯からの返信が来た。


『公園だ。高校生のカップルなら尚更そこにいる』


「……公園か」


 確かに考えてみればそうかもしれない。

 この時間のデートといえば、大抵は夜の街を利用する。

 しかし彼らは高校生ゆえ、この時間のお店には入れない。

 となると自然と選択肢は絞られてくる。


 人目につかずひっそりとデート。

 そんなことができる場所があるとするなら。

 それはこの街の中にたった一つしか存在しない。


「行ってみるか」


 確証はないが、可能性は高い。

 俺はその可能性を信じ、再び走り出した。




 * * *




 街灯が一つ灯るだけの、薄暗い公園。

 駆け足でここにやって来た俺は、もうヘトヘトだった。


「……ったく。この程度で息切れかよ」


 歳のせいだろうか。それともタバコだろうか。

 どちらにしろ、俺はもう若くはないようだ。


「さて、見たところはいないようだが」


 公園をぐるりと見渡してみるが、和泉の姿は見当たらない。

 というよりも、公園内には人っ子1人歩いてはいなかった。


「遊具の中……じゃないよな」


 山みたいな遊具の中を覗くが、誰もいない。

 続けてベンチを見て回るが、同じく誰もいない。


(公園じゃないのか……)


 一通り歩き回っても見つからない。

 それゆえに、諦め掛けていたところ。


「ん?」


 ここで一つ、あることに気がついた。


「なんで男子トイレだけ明かりが……?」


 公園に設置されている公衆トイレ。

 その男子トイレにだけ、明かりがついていたのだ。


 初めはタクシーの運ちゃんが休憩してるのかと思った。

 しかし現在公園の前に、止まっているタクシーはいない。

 辺りに人気もないし、明らかにあの明かりはおかしいと言える。


「確認してみるか」


 夜の公園のトイレで高校生が……。

 あまり想像したくはないが、仕方がない。

 不安を抱えたまま、俺はトイレに近づいた。


 すると——。


「ちょ、ちょっと待って……!」

「しっ、声がでかい。聞こえたらどうするつもりだ」


 中から声が聞こえてくる。

 しかも若い男女2人の声だ。


「少しでいいから触れよ」


 それにどうやら男の方は、相手に何かを迫っているよう。

 状況とその言葉からして、中の様子が大方想像ついた。


「どうした美羽。早く触れよ」


 そして。

 男は、相手であろう女性の名前を呼んだ。

 今はっきりと、『美羽』と声に出したのだ。


「おい和泉! いるのか!」


 その瞬間、俺にかかっていた歯止めが壊れた。

 静かに確認することなど忘れ、俺は大声でその名前を呼んだ。


「いるなら返事をしろ! 和泉!」


 殺していた足音が高鳴る。

 すぐさま男子トイレの入り口に駆けつけて。

 確認するように、あの子の名前を繰り返す。


「和泉!」


 すると。


「せんせー、私はここだよ」


 奥の個室から、弱々しい声が届いた。

 それはまるで、今にも消えてしまいそうな。

 とても小さくひ弱な、和泉の声音だった。

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