第18話 個室

 私が階段を駆け下りると。

 出口には、三浦くんが立っていた。


「おせぇ」

「ごめん。少し長引いた」


 そう言いつつケータイを開くと。

 液晶には『21:09』の文字。


(なんだ、遅くないじゃん)


 元々バイトが9時までなので、このくらい普通。

 なのにこの人は今、私に向かって『遅い』と言った。


「何時からここで待ってたの?」

「そ、そんなこといいだろ。行くぞ」


 そう言ってそそくさと歩き出すあたり。

 きっと随分と前から、ここで私を待っていたんだろう。


 30分、1時間。もしくはそれ以上。

 ずっと彼が店の前にいたと思うと、ただ気持ちが悪かった。


「何してる。早く来い」

「……うん」


 でも、それを言葉にすることは叶わない。

 気持ちが悪いからと言って、せんせーの元へは帰れない。


(せんせー、もうご飯食べたかな……)


 ぼんやりと思い浮かべては、胸の辺りが軋むように痛んだ。

 私に優しくしてくれたせんせーを、裏切ってるんじゃないか。

 考えれば考えるほどそう思えてきて、心に罪悪感が募っていく。


「今日もいっぱい遊んでやる」


 露骨ないやらしさを感じる彼の視線。

 もはやそれすらも、嫌だとは思わなかった。


 それ以上に言われるがままの自分が情けなくて。

 せんせーの優しさを踏みにじってしまった自分が憎くて。


 もうどうにでもなればいい。


 そんな投げやりな気持ちが出てくるほど。

 今の私は、私という存在の価値を見失っていた。




 * * *




「よし、ここでいいだろ」

「えっ、ここって……」


 彼に言われるがまま、その後を追った私。

 薄暗い裏路地を通り抜け、連れてこられたのは。


「トイレだよね。しかも男子の」

「それがどうした。どうせ誰もいないんだから関係ないだろ」


 連れてこられたのは、公園のトイレ。

 しかも男子トイレだった。


「ほら、早く入れよ」

「ま、待ってよ……」


 私の手を取った彼は、強引に中へ。

 一番奥の個室を開けては、人目を凌ぐように中に入る。


「ここなら誰にも見つからないだろ」

「見つからないって……公園のトイレだよ?」

「こんな時間に来るやついないだろ。それより」


 すると、彼の視線は私の身体に向けられた。


「やっぱお前、胸でかいな」

「……!?」


 そして一言、そう言ったのだ。

 まだここへ来てほんの数秒しか経ってないのに。

 スイッチを入れるのが、あまりにも早いと思った。


「久々に間近で見たけど、やっぱ良いよな美羽の胸」

「そ、そう。ありがとう」


 全然嬉しくない。

 むしろ気持ちが悪い。

 ジロジロ見るのはやめてほしい。


「なあ、何カップあるんだっけ」

「え、Gカップだけど」

「Gカップ!?」


 彼が驚きの声を上げた。

 確かにGカップは、かなり大きい方だと思う。

 私だってGカップもある人に出会ったらきっと驚く。


 でも。


 そんなの嘘に決まってるじゃん。

 私の本当のサイズはFカップだから。

 それも限りなくEに近いFカップだから。

 Gカップなんて、普通に考えてあるわけがないよ。


「Gカップか。確かに美羽、前よりも成長してるかもな」

「そうかな。そうだと良いんだけど」


 そんな簡単に成長するわけない。

 そもそも私は、中学3年生でこのサイズになって。

 それ以来ほとんど胸の大きさは変わってないから。

 知ったような口で話されるのは、ほんと気持ちが悪い。


「と、とりあえずさ。触ってみてもいいか?」


 そうして。

 彼はついに、その言葉を口にした。


 鼻息は荒く、息遣いも激しい。

 頬は紅潮して、目にはもう私の胸しか写ってない。


 この人に触られるのなんて絶対に嫌だ。

 でも私は、自分の気持ちに嘘をつくしかなかった。


「いいよ」


 どうせ嫌だと言っても触るんだろう。

 そう思いつつ、私は彼の手を受け入れた。


「はあ……柔けぇ」


 胸に気色の悪い感覚が張り付いた。

 と同時に目の前にいる彼の表情が、一瞬にしてとろける。


 目尻は下がり、口角は上がり。

 伸ばした手の先だけを、じっと見つめている。

 私の胸を舐め回すかのような、いやらしい視線で。


 何も感じなかった。

 気持ち良いとすら思わなかった。


 それはきっと、彼が下手くそだからじゃない。

 むしろ触り方は良かった。手馴れているとも思った。

 でも、私は何も感じなかった。


 ただ彼に、胸を触られているだけ。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 私にとって、何の価値もない時間。


「なあ、服脱がせてもいいか」


 すると彼は、また私に求めた。

 自分の欲を満たそうと、私の肌を欲した。


「でも、今日肌寒いし」

「すぐあったかくしてやるから」


 私が頷くよりも先に、彼の手は動いた。

 制服を除け、カーディガンのボタンを外し。

 手馴れた手つきで、白いシャツを剥き出しにする。


「やっぱでかいな。着痩せするタイプ?」


 また何か言っていたけど。

 私は何も返事しなかった。


 そんなことに構うそぶりもない彼。

 見る見るうちにシャツのボタンが外されていく。

 肌が剥き出しとなり、少しの肌寒さすら感じた。


「下着エロいな。興奮する」


 彼の吐息が一気に加速する。

 貪りつくように私の胸を触っては。

 先ほどよりも激しく、下着の上から胸を揉む。


「どうだ、気持ち良いか?」

「うん、すごく気持ち良い」


 私がそう言うと、彼は満足した顔をする。

 するとより一層、胸を揉む手に力が入った。


 それがあまりにも単純で。

 男の人ってどうしてこんなにバカなのかな。

 そう思ってしまうほどに、目の前の彼が哀れに思えた。


 三浦くんは、顔は整っている方だと思う。

 背も高いし、細身だし、学校ではいつも元気。

 だから彼に興味を持っている女の子も、結構たくさんいる。


 なのにどうして。

 どうしてこんな真似をするの。

 彼女も作らず、どうして私なんかにかまけているの。


(ねえ、どうしてあなたは……)


 そう思っているうちに、ふと彼の手が止まった。

 気づけば私の下着は、もうとっくに取られている。


「なあ、俺のも触れよ」

「えっ……?」


 そして今度は、そんな注文を投げかけてくる。

 ここへくる前は、胸を少し触るだけと言ってたのに。

 結局は彼も、私のことを好きに利用したいだけなんだ。


「ほら、早く」


 目を落とせば、彼の下腹部には膨らみがあった。

 腕を掴まれると、”それ”に向けて無理やり誘導される。


(嫌だ)


 反射的にそう思ってしまった。

 だからこそ私は、争うように手を振り払う。


「ちょ、ちょっと待って……!」

「しっ、声がでかい。聞こえたらどうするつもりだ」

 

 すると彼は、此の期に及んでそう言った。

 無理やり私を連れて来ておいて、まだ周りの目を恐れていた。


「少しでいいから触れよ」


 しかし、考えは変わらない。

 何が何でも私に”それ”を触れさせようとしている。

 悲観しながらも、自分の欲を満たそうとしているのだ。


(じゃあ何でホテルにしなかったの)


 不思議だった。

 初めからするつもりなら、こんな場所は不適切。

 誰かに見つかる危険もあれば、使い勝手も悪い。

 だったら最初からホテルに行けばよかったんだ。


 なのにこの人は、ここを選んだ。

 この誰もいない、深夜の公園のトイレを。


(……あ、この人にそんな勇気ないんだ)


 そう言えば、いつもこの人はそうだった。

 私の身体を求める度に、何かを悲観していた。

 だからこの人とする時は、必ず私のうちだった。


 彼の家は実家。

 だから彼の家ではしない。

 それはきっと親にバレたくなかったから。


 だからと言ってホテルでもしない。

 それはきっと、学校にバレる危険性を感じていたから。


 実家に連れ込む勇気も。

 ホテルに連れ込む勇気も。

 この人の中には存在しない。


 今日だって最初は、私のうちに来ようとしてた。

 でもそれはダメって断ったから、しぶしぶこの場所に来たんだ。


「どうした美羽。早く触れよ」


 そうやってろくな覚悟も持ち得ない。

 ただやりたいだけの最低な人に、私は利用されている。


 それはつまり今の私が、この人以下の人間だということ。

 たった一枚の写真に負けた、情けない人間だということ。

 それを嫌でも、実感させられてしまった。


(もういいや……)


 どうなっても構わない。

 そう全てを投げ捨てて。

 私は静かに手を差し出した。




 * * *




「おい和泉! いるのか!」


 私が全てを諦めた瞬間。

 ドアの向こう側から、私を呼ぶ声が聞こえて来た。


「いるなら返事をしてくれ! 和泉!」


 徐々に近づいてくるその声。

 そして慌てたように走る足音。

 それらが響く度に、どうしてかとても安心できた。


「お、おい……急に何だよ……」


 逆に目の前の三浦くんはというと。

 今までの強引な態度を忘れ、露骨に慌てふためいていた。


 顔色は真っ青、額からは大粒の汗。

 私の手に触れているその手は、ブルブルと震えている。


「和泉!」


 面白いくらい変貌したその姿が、あまりにも滑稽で。

 思わず私も、彼のことをもてあそびたくなってしまう。

 今まで好きに利用された分、その仕返しがしたくなる。


「せんせー、私はここだよ」

「先生!?」


 私が『せんせー』と言った瞬間。

 彼の顔から、一気に血の気が引いた。


「もしかして……なべさんか……!?」


 なんて言っている彼の顔は、とてもブサイク。

 写真を撮ってクラスの女の子たちに見せてあげたい。

 そう思ってしまうほどに、目の前の彼の顔は傑作だった。

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