第17話 青春

「美羽ちゃん。おーい美羽ちゃん」

「…………」

「美羽ちゃーん。パスタあがってるぞー」

「……あ、はい。すみません」


 2回ほど呼んで、ようやく美羽ちゃんに俺の声が届いた。

 俯けていた顔を上げると、慌てた様子でパスタをお客さんの元まで運ぶ。


「お待たせいたしました。ミートソースでございます」


 いつも通りぺこりと一つ頭を下げ。

 開いたお盆を抱え、カウンターへと戻ってくる。


 しかしその表情は、どこか浮かない感じ。

 足取りも重く、明らかに様子がおかしいことがわかる。


(今日は元気ないな……大丈夫か?)


 今日の美羽ちゃんは、ずっとこの調子だ。

 最初は具合でも悪いのか? なんて、体調を心配していたが。

 しばらく様子を見ていると、なんとなくだがそうじゃない気がした。


「どうしたんだよ、浮かない顔して」

「すみません。大したことじゃないんです」

「そうなのか? ならいいんだけどさ」


 あはは、っと力なく笑う美羽ちゃん。

 その笑顔の裏には、何か後ろめたいものを感じる。


「もしかして瑛太に何かされたのか?」


 なので俺は、軽い冗談を言った。

 少しでも美羽ちゃんを元気付けるために。


「もしそうだとしたら俺が一発……」

「せんせーは!」

「!?」


 しかし。

 あいにく俺の冗談は、余計だったようで。

 逆に美羽ちゃんの気に触る結果となってしまった。


「せんせーは……何も関係ありませんから」

「そ、そうかそうか」


 ひとまず笑いかけるも、そんな雰囲気でもなく。

 俺と美羽ちゃんの間には、重く険しい空気が生まれてしまった。


「お皿、磨いておきますね」

「お、おう。頼む」


 そんな空気を嫌ったのか。

 誤魔化すようにお皿を手にとった美羽ちゃん。


 一生懸命磨いてくれているのはわかる。

 が、意識の方は、どうやら手元には向いていないようだ。


 まるでここじゃないどこかを見ているかのような。

 生気を感じさせない、曇ったようなその瞳は一体……。


「なあ美羽ちゃん」

「……は、はい」


 不審に思った俺は、再度声をかけた。

 今度は冗談とかじゃなく、至って真剣に。


「何かあった時は、遠慮なく相談してくれな」


 そして、思っていることを素直に伝える。

 とは言っても、めちゃくちゃベタなセリフなのだが。


「もし悩んでんなら、話聞いてやっからさ」

「はい。ありがとうございます、佐伯さん」


 顔を合わせると、美羽ちゃんは軽く微笑んだ。

 しかし悩みを打ち明ける様子は、一向に見られない。

 あくまでもこの子は、自分1人で解決するつもりらしい。


(今のは打ち明けるタイミングだろぉ……)


 今時の女子高生の悩みが、色々と複雑なのはわかる。

 だとしても今の俺は、なかなかに聞く耳を立てていた。

 美羽ちゃんだって、おそらくはそれに気づいていたはずだ。


 それでもなお相談して来ないとなると。

 よっぽど人に話したくない悩みなのか。 

 それとも単に、俺が頼りないだけなのか。


(後者だったら死にたくなるな……)


「ははっ……」


 思わず出た失笑にも、美羽ちゃんは気づかない。

 それくらいに考え込んでいるこの子は、まだまだ若い。

 好きなだけ悩んで、考えて、何度でも間違えればいいんだ。


 美羽ちゃんの側にはあいつがいる。

 少し不器用ではあるが、いざとなったらやる男だ。

 必ずこの子を良き方向へと連れて行ってくれるだろう。


 ならば俺は、ただのバイト先の店長でいい。

 お店と従業員とお客さんのことを、大切にしてやれればそれで。


「……にしても難しいねぇ。高校生ってのは」


 自らの過去を思い出し、少しばかり納得する。

 俺も昔はよく喧嘩して、その度に教師に叱られていた。

 なぜそんなことをしていたのか、今となってはわからない。


 だが、わからないけどやってしまう。

 わからないけど、なぜか悩んでしまう。


 それが学生の特性みたいなものであって。

 大人になった今じゃ、感じることすらできない青春だ。


「さ、ぼちぼち片付けでも始めますかね」


 そうぼやいては、洗浄済みの皿を棚に戻す。

 あいにく今日は、お客の数もあまり多くないし。

 仕事に支障が出ないのなら、好きなだけ悩めばそれでいい。




 * * *




「お先失礼しますね」

「おう、今日もお疲れ美羽ちゃん」


 時刻は夜の9時前。

 前回よりも少し長めだった勤務時間を終えると、美羽ちゃんは手早く着替えを済ませて、足早に店を後にしようとした。


「あー、待った待った」


 そんな美羽ちゃんを、俺は慌てて呼び止める。

 実は今日も少しばかり、食材が余ってしまったのだ。


「今から余った具材でサンドイッチ作っけど、良かったら持ってくかい?」

「いえ、今日は大丈夫です」

「そう? ちなみに今日は色々種類あるぞ?」


 そう言いつつ、俺は具材を掲げてみせる。

 レタス、ハム、ビーフ、イチゴのジャム。

 お客が少なかったからか、結構な量が余ってしまった。


「確か前はタマゴサンドだったな。なら今日はこの辺とか」

「いえ、ほんとに大丈夫なので」


 イチゴジャムにでもしよう。

 そう思った俺の思考を、美羽ちゃんはバッサリと切り捨てる。

 これには俺も、温厚さを忘れてついつい本気まじになってしまう。


「随分と急いでるみたいだけど。この後用事か?」

「え、えっと……まあ」

「なるほど。そうかい」


 声音を変えると、美羽ちゃんの顔色も変わる。

 ばつが悪そうに目を逸らしては、困ったように顔を伏せた。


「ちなみにそれ、瑛太は知ってるのかい?」

「せ、せんせーには、あらかじめ言ってあります」

「……ならいいんだけどさ」


 この様子からして、恐らくは嘘なのだろう。

 年頃とはいえ、こんな時間に黙って外出とは。

 自分のことを棚に上げても、あまり褒められた行動じゃない。


「まあ、用事はいいけど。くれぐれも気をつけてな」

「は、はい。わかりました」


 でも、これ以上美羽ちゃんに何も言う気はなかった。

 何せ俺はこの子の親でもなければ、瑛太のような教師でもない。

 それに自分の娘でもない子を、必要以上に縛るのは嫌いだから。


「それじゃ私はそろそろ」

「おう、お疲れ」


 パタンと扉が閉まり、美羽ちゃんは店を出て行った。

 トントントンと階段を降りる音が、妙に慌ただしい。


「用事ねぇ……」


 引きとめなかったとはいえ、正直少し不安だった。

 その気持ちからか、気づけば俺はカウンターを出ていた。

 

 お客のいない店内を回り、出口が見える小窓へと向かう。

 階段から出てくる美羽ちゃんの行く末を、そこからそっと見守ろうとした。


 すると——。


「ん」


 見下ろしたその先には、見知らぬ1人の男がいた。

 パーカー姿で美羽ちゃんを待っていたであろうそいつ。


 顔立ちからして、おそらくは学生だが。

 もしかして、美羽ちゃんの彼氏だろうか。


「なるほどねぇ」


 だとするなら、瑛太に知られたくないのも納得だ。

 バカ真面目なあいつなら、きっと横槍を入れてくる。

 2人だけの時間に、教師の綺麗事など必要ないというのに。


「…………」


 美羽ちゃんたちが立ち去るまで。

 俺はしばらく、窓から2人の様子を眺めていた。


 趣味は悪いが、2人が話しているところ。

 腕を引かれ、何処かに連れて行かれる美羽ちゃんの背中。

 そんな様子を見ていて、俺の中で何かが引っかかったのだ。


「……彼氏か? アレ」


 視界の外へと消える直前。

 その時に一瞬捉えた、美羽ちゃんの横顔。

 それはとても彼氏の前で見せるような顔じゃなかった。


 先ほど店にいた時と、何も変わりやしない。

 ずっと何かを悲観しているような、暗い表情。

 そんな顔をあの子にさせるあいつは、果たして彼氏と呼べるのか。


「喧嘩中か」


 俺はそっと窓から身を離し。

 少しの不信感を抱えたまま、カウンターへと戻った。

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