第12話 バイト

「美羽、あんた最近良いことでもあった?」

「え、別にないけどどうして?」

「なんかいつもよりも表情が生き生きしてるからさ」

「えー、そうかなー」


 4限終わりの昼休み。

 私は友人の麻里まりと一緒に、教室でお昼ご飯を食べていた。


 安達麻里あだちまり

 彼女とは高校入学以来の付き合いで、クラスも3年間同じ。


 サラサラなショートヘアーで、美人でメガネも似合ってって。

 クラスの学級委員長もやってるくらい、成績もすごく優秀な子。

 少し前まであんな仕事をしてた私には、もったいないくらいの友達だ。


 そんな麻里は、私に不思議なことを言って来た。

 表情が生き生きしてるとか、笑顔になることが増えたとか。

 別に私は、そうしてるつもりなんてなかったけど。


(もしかして、せんせーと暮らし始めたからかな)


 思い当たる節があるとするなら、それしかなかった。

 でもそれを、麻里に告白するわけにはいかない。

 だから私は、なんとか誤魔化してみることにした。


「新しいバイト始めるからかな?」

「え、また新しいバイト始めるの?」

「うん。今日が初出勤なんだー」

「へー、それじゃ今やってる居酒屋のバイトは?」

「あー、そっちはもうおしまいかな。今度は知り合いがやってる喫茶店で働くことになったから」

「喫茶店かー。確かにそっちの方が似合うかもね」


 喫茶店が似合うって言われて、素直に嬉しかった。

 でもそれと同時に、少しだけ罪悪感も浮かんで来た。


 麻里が言った、居酒屋さんのバイト。

 それは昔の私がついた、嘘だったから。


 私は少し前まで、あのお店でバイトしていた。

 もちろんそれは、高校生がしてはいけない仕事で。

 それを隠すために、私は麻里に嘘をついてしまった。


 でもその嘘が、簡単なものじゃダメだった。

 もしコンビニやファミレスと答えて、「じゃあ今度、あんたのお店行くね」となったら、誤魔化す手段が無いと思ったから。


 その点居酒屋さんなら、高校生が来ることはないと思った。

 だから私は半年間、誰にもバレずあの仕事を続けることができた。


「私ね、今回こそは頑張ろうって思ったの。一生懸命に働いて、立派にお金稼ごうって」


 でもそんな私を、せんせーは見つけてくれた。

 嘘で塗り固められた日常から、私を連れ出してくれた。


 だから今度こそは、自分に正直に生きようって。

 やりたいことを一生懸命やろうって、そう思った。


「そっか。なら私も応援しないとね」


 すると麻里は、優しい笑顔でそう言ってくれた。


 今の私に応援されるだけの価値があるのかはわからないけど。

 いつか麻里に「応援してよかった」って言って貰えるように、私は精一杯バイトを頑張ろうと思う。




 * * *




 放課後。

 初出勤をした私は、白いシャツと黒いズボンに着替えて。

 左胸に自分のネームプレートを付けて、カウンターへと立った。


「それじゃ美羽ちゃん。早速ホールに出てもらおうかな」

「はい、わかりました」


 佐伯さんにそう言われて、緊張しつつもお店のホールに出る。

 そして一通り仕事のやり方を教えてもらっては、早速実践に移った。


「たらこクリームパスタ一つ。カルボナーラが二つです」

「りょうかい。すぐ作るからできたら頼むな」


 お客さんの注文を聞いて、佐伯さんに伝える。

 そして佐伯さんの作った料理を、お客さんの元へ運ぶ。

 一見簡単な仕事だけど、やってみるととても楽しかった。


「はいよっ。パスタ3つ上がりな」


(速やっ!)


 あっという間に佐伯さんは、パスタを作ってしまった。

 一瞬驚いちゃったけど、冷めちゃうから早く持っていかないと。


「お待たせしました。たらこクリームパスタとカルボナーラです」

「ありがとう」


 私が料理を運ぶと、お客さんは決まって私に言う。


 ありがとう。


 そう言われると何だか嬉しくて。

 胸のあたりがすごくポカポカして。

 私は自然と笑顔で仕事をすることができていた。


(楽しい。すごく楽しい)


 お客さんと話している時間が楽しい。

 佐伯さんが凄い速さで料理を作るのがびっくり。

 そんな新鮮な感情が、私を優しく包み込んでくれた。


「また来るね。美味しかったよ」


 心温まる言葉を残し、お客さんはお店を去っていく。

 そんなお客さんを見送った私は、ふと思ったんだ。


(ああ。私こんな幸せで、ほんとにいいのかな)


 不安になるほどの幸せで、私の胸はいっぱいだった。

 まだ少ししか働いていないのに、このお店が大好きになった。


「美羽ちゃん。どうだい、バイト続けられそうかい?」


 だから佐伯さんの質問にも、私は迷わず答えられた。


「はい! 続けられそうです!」

「そうかい。それなら良かった」


 人を心から笑顔にできるこの場所が好きだ。

 そう思えたのは、佐伯さんやせんせーのおかげ。


「美羽ちゃん。7卓様、パスタ上がりね」

「はいっ」


 そうして私は、パスタと一緒に幸せを運ぶ。

 そんなキャストになれたらなって、心からそう思った。




 * * *




「今日はお疲れ、美羽ちゃん」


 お客さんが居ない間にテーブルを拭いていると。

 カウンターにいた佐伯さんが、私に声をかけてきた。


(えっ、もう終わり!?)


 そう思った私が時計を見たところ。

 あと5分ほどで、夜8時迎えようとしていた。


「とりあえず今日はここまでな。キリのいいところで上がっていいよ」

「は、はい。あっという間でした、ほんと」


 今日のバイトは4時から。

 だからもう4時間ほど経ったことになる。

 楽しいことをしてると、時間が過ぎるのがあっという間だ。


「そう思えるってことは、美羽ちゃんが頑張ってってことさ」

「私、頑張ってましたか?」

「頑張ってた頑張ってた。もう随分と仕事も覚えただろ?」

「まあ、ある程度には?」


 今日教わった仕事は、接客の基本とも呼べるものばかり。

 お店が小さいということもあって、それほど大変ではなかったと思う。


 でも何よりも。

 この4時間が楽しくて、とても充実していた。

 だからこそ大変と感じなかったのかもしれない。


「あ、そうだ。これ瑛太に持ってってやってよ」

「えっ、いいんですか? こんなにたくさん」


 佐伯さんに渡された袋。

 その中身を見ると、チーズやササミなどのおつまみに加えて、美味しそうなサンドイッチまで入れられていた。


「食材が少し余ったからよ。どうせあいつ家で飲むんだろ?」

「せんせーすごく喜ぶと思います。ありがとう佐伯さん」

「サンドイッチは美羽ちゃん食べてな」

「はい、いただきますね」


 そうして私はお土産を片手に店を出た。

 せんせーに今日の話をしたら、どんな反応するだろう。

 そんなウキウキな気持ちと共に、私はせんせーの待つ家を目指した。




 * * *




 喫茶店を出てからしばらく歩き、飲屋街に差し掛かった頃。

 私は偶然、居酒屋さんから出てくるせんせーを目撃した。


「あれ、せんせー?」


 気づいて声をかけようと思った私。

 足早に駆け寄ろうと一歩を踏み出したが。

 次の瞬間、私の足はその場にピタッと止まった。


「皐月せんせ……?」


 せんせーの後に続いてお店から出てきた女性。

 それは紛れもなく、担任の皐月先生だったのだ。

 高揚していた気持ちが、一気に落ち着きを取り戻す。


(2人で何してたんだろ……)


 そして次第に心は不安の色に染まっていき。

 やがて私の胸の内には、どんよりとした気持ちが立ち込めていた。


「なんで私……こんな……」


 どうしてかはわからなかった。

 わからないけど、せんせーが皐月せんせーに向ける優しい笑顔。

 それを見ると、自然と私の胸がざわついた。


 ざわついてざわついてざわついて。

 どんどん気持ちは落ち込んでいって。

 ある時、私は気づかされてしまった。


 せんせーは、私にだけに優しいんじゃない。

 せんせーは、みんなに優しい人なんだ。


 ずっと勘違いをしていただけだった。

 せんせーからすれば、私はただの生徒でしかない。

 生徒だから、私のことを気にかけてくれたんだって。


「バカだなぁ、私……」


 特別じゃないのに、特別と思い込んでいた。

 そんな自分を思い返すと、すごく惨めで幼くて。

 何故だか、忘れていた感覚が蘇るような気がした。


「……帰ろう」


 せんせーたちがいなくなった後、私は再び歩き出す。

 何かを落としてしまった気がするけど、別に良かった。

 ただせんせーが笑っていられるなら、それだけで……。

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