第11話 引越し
和泉を家に残し、俺が出かけた先。
それは家から歩いて10分ほどの場所にある、とある喫茶店だった。
そこはカウンターが数席と、テーブルが3つほどの小さな喫茶店で、俺はよく時間が空いた時などに、仕事を持参してここを訪れる。
知る人ぞ知る。
みたいな感じの店なので、店内の雰囲気はかなり落ち着いた印象。
利用客もご年配の方が多いので、居心地としてはかなり上々だ。
そんな隠れ家的名店であるこの喫茶店だが。
実はこの店の店主とは、昔からの顔なじみでもある。
あれは15年ほど前のことだろうか。
当時中学生だった俺は、同中のクソガキと毎日喧嘩をしていた。
そいつは同級生で、しかも同じクラスで。
校内で顔をあわせる度に取っ組み合い、罵倒し合い。
それはもう壮絶な日常を、当たり前のように送っていた。
おかげで俺には、中学時代の友人がゼロ。
成人式後の同窓会では、誰1人として俺に声をかけてはこなかった。
まあそんなこと、今更どうでもいいのだが。
とにかく俺とそのクソガキは、犬猿の仲だったわけだ。
しかし。
高校進学をきっかけにして、俺とそいつの仲はピタッと落ち着いた。
別々の高校に進学したというのが一番の理由なのだろうが、中学までの喧嘩っ早い性格が嘘のように、俺たちはごくごく平凡な高校生活を送ったのだ。
そして時は過ぎ去り、5年ほど前のことになる。
俺が教師の職について、少し経ったある日のこと。
偶然にも東京の街中で、俺とそいつは再開したのだ。
初めこそ驚いたが、そこは両者ともに成長しており。
過去の険悪なムードなど一切気にすることなく、気づけば俺たちは、一緒に飲みに行くような、そんな親しい仲になっていた。
そしてそのクソガキこそが、この喫茶店『LATECO』の店主。
金髪で切れ長の鋭い目が特徴的な、元ヤン紛い
「そんで瑛太。俺に話ってのは」
「ああ、それなんだが」
そんな元ヤン紛いの佐伯は、白い布巾でカップを磨き。
タイミングを見計らったように、俺にそう尋ねてきた。
実は昨日の夜。
和泉を家に匿う決心をしてすぐに、俺は佐伯に連絡をしていた。
『相談がある。明日店行ってもいいか』
そんなシンプルな文章で、特に問題の核心には触れず。
とりあえず何かあったんだなと、匂わせる程度の目的で。
もちろんその相談というのは、和泉のことに関してだが。
今回に限っては、以前のような躊躇いは微塵にもなかった。
なんせこいつとは、今や友人同士なわけで。
音無先生に相談するのとは、随分と心の余裕が違ったのだ。
それは別に、どちらかを侮辱している訳ではない。
単純に俺と佐伯は、お互いのことを重々理解し合っている。
ただそれだけのことだ。
故に佐伯から返ってきた返事は、これまたシンプル。
『別に構わねぇよ』
夜中の2時過ぎに届いた、たった一言の了承だった。
* * *
「はぁ!? 生徒と一緒に暮らす!?」
「バカおまっ……声がでけぇよ」
俺が事の成り行きを簡潔に話すと、案の定佐伯は驚いて、カップを磨いていた手をピタリと止めた。
「まあ暮らすって言っても、ただ部屋を共有するだけだけどな」
「いや待て瑛太。それって教師的にどうなんだよ」
「普通に考えてやばいだろうな」
「やばいだろうなって……」
佐伯のきつい顔立ちが、呆れた表情に変わる。
とはいえこれが普通の反応なのは、重々理解できた。
むしろ想定済みであるので、俺は特に驚きはしない。
「それで、お前に一つ頼みがある」
「おいおいこのタイミングでかよ……」
「タイミングも何も、これが今日の本題だ」
最近色々経験して、気持ちが図太くなっているのか。
どれだけ佐伯に動揺されようと、俺は口を動かすのを止めなかった。
「お前確か車持ってたろ?」
「まあ一応はな。そんで、車がどうしたって?」
「近々引越しがしたくてな。お前に協力して欲しいんだ」
「引越しって……もしかしてそのJKのか?」
「ああ」
俺が頷くと、佐伯は言葉を詰まらせた。
まあいきなりこんな話をされれば当然だと思う。
「待て待て瑛太。お前それ本気で言ってるのか?」
「もちろん、俺は端から本気でお前に相談してる」
冗談であることを疑っているのだろうが。
案の定俺は、最初から本気でこの場に来ている。
「マジかよ……」
しかし佐伯の様子を見るに、まだ話を飲み込めていないのは確か。
内容が内容故に、そう簡単に納得できるものではないのはわかる。
「頼む。お前しか頼れる相手がいないんだ」
「……んん」
しつこく頼み込むと、佐伯は険しい顔で喉を鳴らした。
そしてそのまましばらく考え込んでは、「はぁ」と深いため息をこぼす。
「わかった。手伝ってやるよ」
「本当か!?」
「ああ。でもな瑛太、お前は本当にそれでいいのか?」
「いいのかって?」
「ほら、いくら両親がいないからって、勝手に未成年を連れ出すのはよ」
「安心しろ。刑務所にぶち込まれる準備はできてる」
「そんな準備するなよ……こっちまで気が引ける……」
冗談混じりにいうと、またもや佐伯はため息一つ。
我ながら無茶な頼みをしているのは、ちゃんと理解している。
「それで、その引越しはいつになるんだ?」
「明日祝日で学校が休みなんだ。確かこの店も月曜は定休日だよな?」
「まあ……一応定休日ではあるが」
「なら明日にでもお願いできるか」
俺が言うと佐伯は、ぽりぽりと首を掻きながら。
どこからかケータイを取り出し、明日の予定を確認し始めた。
「はぁ……じゃあ明日やるか」
「すまん。助かる」
すると、どうやら予定は空いていたようで。
和泉の引越し作業は、明日することに決定した。
(これで家に関してはよし)
上手く話がまとまって、とりあえずは一件落着だ。
あとはもう一つの要件を、受け入れてもらえるかどうかだが。
「それと佐伯」
「ん、まだ何かあるのか」
「ああ、実はもう一つ相談したいことがあってだな」
話を切り出した瞬間、案の定佐伯の表情が曇りに曇った。
これには流石の俺も、相談するべきかどうか一瞬考えさせられる。
しかしだ。
「お前なぁ……少しは遠慮しろよな?」
その佐伯の言葉を聞いて、俺は改めて実感した。
こいつに再会することができて、本当に良かったと。
昔の関係は棚に上げて、佐伯は本当にいい奴なんだと。
「どうしたよ、急にニヤついて」
「いや、なんでもねぇよ」
首を傾げる佐伯の前で、俺はそっとコーヒーを仰ぐ。
本人さながら、その味は優しさを感じさせるものだった。
「それで、もう一つの相談てのは」
嫌そうにしつつも、結局はいつも協力してくれる。
それが佐伯の良いところであり、仲良くなった一番の理由だ。
昔の自分にこの話をしたら、一体どんな反応をするのだろう。
そう思いつつも、俺は佐伯にもう一つの相談を持ちかけたのだった。
* * *
「せ、せんせー。この人は……」
「ああ、知り合いの佐伯だ。見た目ほど悪い奴じゃないから安心しろ」
「は、はあ……」
翌日。
うちのアパートの前で顔を合わせた和泉と佐伯。
唐突ということもあり、和泉は困惑の表情を浮かべていた。
「本当にいるのな。しかも普通に美人じゃねえか」
「科学を担当してる和泉だ」
「は、初めまして佐伯さん。和泉美羽です」
戸惑いつつも、和泉は佐伯にぺこりとお辞儀をする。
それを見た佐伯は目を丸くして、
「へぇー。瑛太の教え子にしては随分と出来がいいんだな」
なんて、失礼極まりないセリフを吐いた。
これには教師として黙っちゃいられない。
「うるせぇよ。お前にだけは言われたくない」
「ははっ、ごもっとも」
すると佐伯はあっさりと引き下がったので。
(ああ、そういうことか)
と、俺は納得する。
多分佐伯は、場を和ませようとしてくれたのだ。
初対面の女子高生が戸惑っていることに気がついた上で。
「それで瑛太。お前の部屋は何階なんだ?」
「あ、ああ。二階の一番奥だ。ワンルームだからそこまで時間はかからないと……」
「ワンルーム!?」
突然佐伯が驚愕の反応を見せる。
「どうしたよいきなり」
「どうしたもこうしたも。お前よくそんな狭い部屋に生徒住まわせる気になったな。しかもこんなべっぴんさんをよ」
「ま、まあ。状況が状況だからな」
なだめるように俺が言うと。
続いて佐伯の視線は、和泉に向けられた。
「お前さんも本当にいいのか? こいつ、意外と頼りないぞ?」
その口調からして、半分は本心からの言葉だろう。
頼りないのは自覚しているので、俺は特に反論はしない。
おそらく佐伯も、少なからず気にかけてくれてるのだと思う。
もちろんそれは、まだ高校生である和泉の身を案じてだろうが。
それに加えて少しだけ、俺への心配も見て取れるような気がした。
(まったく……変わったヤンキー紛いもいたもんだな)
改めて佐伯の人間性に触れ、俺は安堵にも似た息を漏らす。
それと同じくして和泉も、佐伯に対して真剣な表情を向けた。
「私は自分の意思でそう決めたから」
一切の迷いも感じられない、和泉のその一言。
それには流石の佐伯も、押し黙るしかなかった。
「それならまあいいか。いや、よくはないけどな……?」
そんなあべこべなことを呟く佐伯。
それを見た俺は、場を切り替えるように言った。
「とにかく作業に取り掛かるぞ。悪いが佐伯、運転頼むわ」
「お、おう。仕方ねぇから任されてやる」
そうして始まった、俺たちの引越し作業。
ここから和泉との共同生活が始まると思うと、何だか不思議な気分になった。
* * *
「ふぅ、だいぶ進んだな」
「うん、おかげで必要な物は全部持ってこれた」
作業を開始してからおよそ2時間。
和泉のアパートにあった物は、あらかた俺の部屋に運び終えた。
本来なら1日かかる予定でいたのだが。
そもそも和泉は自分の部屋にそこまで物を置いている方ではなく、必要最小限の物以外は、全てリサイクルに出してしまうため、思ったよりもずっと短時間で、引越しを終えることができたのだ。
「ありがとね、せんせ。私のためにここまでしてくれて」
荷物を運び終えた部屋の中。
一段落ついたところ、和泉はふとそんなことを呟いた。
「今更何言ってんだ。お前が自分で決めたことだろ」
「うん。それでもありがとうせんせ」
小さく微笑んだ和泉は、とても優しい表情をしていた。
朗らかで美しいその笑顔には、不覚にも見とれてしまいそうになる。
なので俺は誤魔化すように、視線を背け和泉に言った。
「お礼を言うのは俺じゃなくて佐伯にだろ?」
「うん、佐伯さんも本当にありがとう」
「なんだなんだ。急に照れちまうな」
ぺこりとお辞儀をする和泉。
不意を突かれたのか、佐伯は苦笑いを浮かべる。
「礼なんていいんだよ。それよりも美羽ちゃんはちゃんとしてるんだな」
「ちゃんとって?」
「瑛太の話だともっと荒れてんのかと思ったからよ」
佐伯の言葉に、和泉は目を丸くした。
そして何を思ったのか、「くふっ」と小さく笑って。
「何それ。佐伯さんの方が私なんかよりもずっとヤンキーっぽいよ?」
小さく肩を震わせながら、笑いを堪えるようにそう言った。
この返しは佐伯も予想外だったようで、仰天したような表情になる。
「げっ、俺ってそんなにおっかないか?」
「うん、ちょっとだけ?」
そんなやりとりの後、2人は同じく吹き出した。
まだ出会ったばかりの和泉と佐伯が、こうして笑い合っている。
その光景がなんだか新鮮で、喜ばしくて仕方がなかった。
ケラケラと無邪気に笑う和泉を見ると、自然と心が綻んだ。
この子はちゃんと高校生だと、俺は安心できたのだと思う。
「まあこの様子なら、うちの店でも十分働けそうだな」
そして佐伯が、不意にそんなことを呟いた瞬間。
今まで笑顔だった和泉は、ピタリと笑うのをやめた。
「佐伯さん、働くってどういうこと?」
「なんだ瑛太。まだ美羽ちゃんに話してなかったのか」
圧のある視線を向けられ、「すまんすまん」と首を折る。
その様子を和泉は、ナンノコッチャ? といった表情で眺めていた。
「実はな和泉。佐伯はこの近くで喫茶店を経営してるんだ」
「喫茶店?」
「ああ。それでもしお前がよければ、そこで働いてはみないか?」
昨日佐伯にした、もう一つの相談。
それは和泉を、アルバイトとして雇って欲しいというものだった。
街中にある小さな喫茶店。
それはいわば、普通の仕事環境と言える。
今までのような仕事と違って、報酬も至って普通だろう。
もしかしたら普通のバイトよりも、少し低いくらいかもしれない。
でもそんな普通の場所だからこそ、和泉には働いて欲しいと思った。
普通の仕事環境で。
普通の給料を貰い。
普通の高校生らしい日常を送る。
言葉にすれば、すごく当たり前のことなのかもしれない。
しかしその当たり前を、今までの和泉は経験できなかった。
だからこそ俺は、無理を承知で佐伯に相談を持ちかけたのだ。
すると、佐伯の返事はこうだった。
『いいぜ。仕方ねぇから雇ってやる』
一瞬の迷いも見せることなく。
堂々たる姿勢で雇うと断言してくれた。
これには俺も、感謝の言葉しか浮かばなかった。
「どうだ、和泉」
俺が尋ねると、和泉は一瞬驚いた表情をした。
そして視線を下に向けては、必死に返事を探している。
佐伯の了承を得られたとはいえ、最後に決めるのは本人だ。
和泉がやりたくないというなら、俺は無理に働かせるつもりはない。
「気を遣わなくていいからな。お前が望む方を選べばそれでいいんだ」
少しでも不安を消せればいいと、俺が言うと。
その瞬間、和泉は思い立ったように顔を上げた。
「せんせー」
「おう。考えはまとまったか」
「うん。私、やりたい。ぜひやってみたい!」
和泉から出たのは、とても前向きな返事。
眩しいほどに日が差した、満天模様の笑顔だった。
「そうか。なら精一杯頑張れ」
だから俺は、笑顔で彼女の決意に答えた。
(お前はもう1人じゃない。だから安心していい)
そんな想いも、その言葉に乗せて。
和泉の確かな変化が、自分の事のように嬉しかった。
笑顔の和泉を見ているだけで、俺は救われた気がしていた。
「よしっ! それじゃ今度、学校終わりにでも店に来な! 俺が一から働き方ってもんを教えてやっからよ!」
「うん! よろしくお願いします、佐伯さん!」
「おうよ!」
気合十分の和泉と佐伯に、俺の方まで激励された。
これからの和泉の日常が、彼女にとって幸せなものであってほしい。
そう願いながら、久しぶりの祝日は、新たなる一歩と共に幕を閉じた。
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