第8話 灯り

 その翌日。

 本来ならば休日であるはずの今日だが。

 俺は私服にハンドバッグで、学校へと赴いていた。


 校門をくぐれば、野球部の活気ある掛け声が。

 校内に入れば、屋内部のタイマーの音が鮮明に聞こえてくる。


 俺はそんな中、まっすぐ職員室へと向かう。

 普段はあまり使っていない、第二のPCとマイデスクで。

 少しでもあの子の知らない部分を、知っておきたいと思った。


「わ、渡辺先生!?」


 ドアを開け中に入ると、そんな声が飛んで来る。

 そこにいたのは、普段通りのスーツ姿でPCと向き合う音無先生だった。


「音無先生、今日学校に来られてたんですか」

「は、はい。進路関係の書類をいくつかまとめようと思いまして」

「そうでしたか。それはご苦労様です」


 音無先生は和泉たち3年生のクラス担任。

 故に今の時期は、進路だの何だので大忙しだろう。


「渡辺先生はどうして学校に?」

「あ、ああ。私は少し調べ物をしようと思いまして」

「調べ物ですか?」


 いきなり聞かれて一瞬驚いたが。

 心を決めた今、何も動揺する必要はない。

 どんなことがあろうと堂々としていればいいのだ。


「そういえば。昨日は遅くまですみませんでした」

「ああいえ! 私の方こそお恥ずかしいところをお見せしてしまって……」

「いえいえそんな。昨日は何だか私の方も酔ってしまって」


 酔っ払っていたとはいえ、昨日のことは鮮明に覚えている。

 それ故にこうして顔を合わせると、気恥ずかしい部分が多々あるのは確かだ。


「今日学校に来られるなら、日を改めて誘えばよかったですね」

「全然そんなことは! 誘っていただいて本当にありがとうございました」


 音無先生は立ち上がり、私服の俺に向かって一礼。

 出勤日じゃないというのに、すこぶる礼儀正しい人だ。

 こうなると、私服で来た自分が恥ずかしくなるくらいだった。


「えっと、他の先生方は」

「あ、はい。今日は私だけみたいです」

「そうなんですか。珍しいですねこの時期に」

「いえ、そんなことはないんです」


 すると音無先生は神妙な顔つきになり、


「私の仕事が遅いばかりに、クラスの生徒たちには迷惑をかけてしまって。他の3年生の先生方は、平日のうちにしっかりとこなせているのに……」


 と、悲しげにそんなことを呟いた。


 音無先生は今年着任したばかりの新米教師。

 故に仕事をこなす速度も、周りと比べれば少し劣るだろう。


 そんな中いきなり3年生のクラス担任に抜擢……。

 いや、これは押し付けられたと言っても過言じゃない。


 少ない知識と経験の中、音無先生は精一杯にやっている。

 クラスの生徒たちのことを想って、こうして自分の休日まで潰して。

 全員が望んでいる進路に進めるようにと、全身全霊を込めて努力している。


 だからこそ。

 自分を悲観してしまう気持ちは理解できる。


 タダでさえ後のない3年生の担任だ。

 のしかかってくる重圧は、俺なんかじゃ想像もつかないほど重いだろう。


 そんな辛い状況の音無先生に、俺は自分の問題まで押し付けられない。

 裏では『損な役回り』だなんて、3年生の担任は毎年言われているが。

 音無先生は今、自分の持てる力の全てをこの仕事にぶつけているのだ。

 間違っても『損』だなんて言ってはならないと俺は思う。


「音無先生、顔を上げてください」

「……渡辺先生。でも私、力不足で……」

「力なんて、そんなものは必要ありませんよ」


 そう、力なんて必要ない。

 大事なのはどれだけ本気になれるか。

 どれだけ自分の想いをぶつけられるかだ。


「先生の頑張りは十分生徒にも伝わってるはずです。だからこそ今の気持ちを忘れずに、この先もずっと生徒と本気で向き合ってあげてください」

「生徒と本気で向き合う……」

「そうです。そうすればきっと良い結果もついて来ますから。自分を信じていればきっと大丈夫です。俺だっていつでも先生のことサポートしますので」


 音無先生にだけではなく。

 自分自身にも言い聞かせるように、俺は言った。


 力がなくて苦しむ時は誰にだってある。

 そんな時こそ気持ちだけは強く持つということ。

 一番大事な部分を、今までの俺は忘れていた。


 そして音無先生も。

 きっと今が一番辛い時期なのだと思う。

 この先どうなるのか不安で、仕方がないのだと思う。


 こんな時だからこそ、前向きになってほしい。

 生徒のことを一番に考えているのは、他の誰でもなく自分だって。

 自信を持ってそう言い切れるくらいに、気持ちを強く持ってほしい。


 だって音無先生は頑張っているんだから。

 他のどんな先生たちよりも、生徒のことを思っているんだから。

 自分のことを悪く言う理由なんて、どこにもありはしないのだ。


「さ、先生。もう一度気合い入れ直して頑張りましょうか」

「は、はい。ありがとうございます、渡辺先生」


 俺は軽く微笑んで、自分のデスクについた。

 久しぶりに立ち上げるPCの画面に映る自分の顔を見て。


(俺ならやれるぞ)


 と、心の中で自分自身を鼓舞する。


 教員生活6年目で、初めて経験した今回のこと。

 俺なんかに解決できるかどうかわからないけれど。

 生徒を守りたいと思う気持ちだけは、胸の内に確かにある。


 俺はその気持ちを信じて、前に進む。

 たとえその道が長く険しい道だとしても。

 たどり着けるその時まで、俺は迷わず進み続ける。

 そう決めた。




 * * *




 教師だけが閲覧を許される、生徒の個人情報。

 そこには生徒1人1人の身の内が詳しく整理されており、新しく担任を持つ際や、授業を担当する際などに、ごく稀に閲覧されることがある。


 だがあくまでも個人情報なので、ほとんどの教師は目にすることをしない。

 俺だって教員6年目で、初めて閲覧したぐらいである。


 今のご時世は情報漏洩じょうほうろうえいだの何だのって、怖い事例もあるし。

 学校側からも必要な時以外は、閲覧しないように指示されている。


 しかし今回は、その”必要な時”であると俺は判断した。

 和泉美羽という1人の生徒を取り巻く環境を把握する。

 そうすれば自ずと打開策も見つかるんじゃないかと俺は考えた。


 そして案の定和泉のことを調べると。

 どうやらあの子には、ご両親がいないようなのだ。


 詳しいことはわからない。

 が、ちょうど1年ほど前に、情報が書き換えられている。


 父親の部分はもともと空白だったようだが。

 母親の部分には、以前まで名前が書かれていた。


 しかしそれが1年ほど前に空白となり。

 今の親代わりは、和泉の姉がしているようだった。


 それを踏まえて、俺は以前のことを思い出す。

 和泉に『ご両親は心配しないのか?』と聞いた時。

 あの子は確か『1人暮らしだから大丈夫』と言っていた。


 ということはつまり。

 和泉とその姉は、別々に暮らしているということ。

 事実上、あの子のそばには頼れる大人がいないのだ。


 そして。


 続けて調べた和泉の住所。

 それを見た俺は、一つ気づいたことがあった。


「……お金か?」


 俺が住む地域は、東京でも田舎の方ではある。

 とは言っても、家を借りるとなると其れ相応のお金がかかるのは確か。

 俺と同じ地域に住む和泉だって、それは例外じゃない。


 おそらく安くとも月7万。

 いや、7万5千円ほどはするだろう。


 そんな大金を払いながら高校に通う。

 ましてや両親はいないので、学費もおそらくは自負。

 普通に考えれば、たった1人の高校生に成せることじゃない。


 ならば。

 自ずと答えは見えてくるはずだ。


 普通のアルバイトじゃいけない理由。

 なぜ望まないまま、あんな仕事をしているのか。

 それはきっと『お金』なのだろう。


 学校にも通わなければならない。

 家賃も自分で払わなければならない。

 そんな状況になれば、考えつく道は一つ。


 もっと稼げる仕事を探す。


 そして和泉は選んだのだ。

 自分を捨ててまで、お金を稼ぐという道を。

 誰にも頼らず、自分自身で生きながらえる道を。


「そういうことだったのか……」


 長らく調べた末、俺はようやく気づいた。

 和泉美羽という1人の生徒が抱える問題に。

 彼女が見せるあの悲しい笑みの、本当の理由に。


「渡辺先生お帰りですか?」

「はい。ちょっと用事を思い出しまして」

「そうですか。お疲れ様でした」

「音無先生も、どうかお身体にはお気をつけて」


 そう言葉を交わし、俺は急いで学校を出た。




 * * *




「あれ、せんせーどうしたの?」


 もうすっかり見慣れた、あの店の前。

 補導ギリギリの夜更けに、和泉はようやく店から顔を出した。


「おう、和泉」

「おうって。せんせーもしかして私を待ってた?」

「まあな。お前に少し話があってな」

「話?」


 相変わらずの制服姿。

 教師である俺を前にしても、顔色ひとつ変えやしない。


 だから。


「この後少しうちに来てもらえるか」

「えっ?」


 俺も意を決して、強気にそう言った。

 すると一瞬だが、和泉の表情が揺らいだ気がした。


「別にいいけど……珍しいねせんせーから誘ってくるなんて」

「少し事情がな。悪いが付き合ってくれ」

「う、うん」


 訳は何も話すことなく。

 ただ俺は強引に、和泉を連れ出した。


 戸惑っているかもしれない。

 とは、少なからず思ったが。


 それでも俺は無理矢理にでも、この子を連れ出そうと思った。

 こんな偽物の灯りの下ではなく、和泉が望む本当の明かりの下へと。

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