第3話 招かれざる客
目が覚めて一番に目に入るのが猫耳ってどういうことなんだろうね?
……別に血迷ったわけじゃないよ? 妄想と現実の区別がつかなくなったわけでもないし。ただ厳然たる事実として、そういうシチュエーションが目の前に存在しているだけなんだ。
信じられない? うん、そうだね。僕もだ。
「おぅ。起きたみたいだね、お兄さん」
「いいや、まだ夢の中だよ」
というわけでおやすみなさい。そしてさらば。現実とよく似た夢の世界。
僕はもそもそと布団を被りなおした。朝のニュースを眺めるつなぎ姿の子供なんて、きっと次に目を開けた瞬間には部屋から消えているはずだ。うん、そうに違いない。
「二度寝は身体に良くないぜ、お兄さん」
「……ZZZ」
至極全うな意見が聞こえた気がしたけど、全力で聞き流させていただこう。
「っていうかお兄さん、本当に寝るの?」
おぅいえす。あいむすりーぴー。
三十分後、目覚まし時計に叩き起こされた僕は洗面所で顔を洗っていた。冷たい水のおかげでしゃっきりした頭を使って、どうしてこうなったのかを考えているところである。
ええっと、昨日の僕の行動は――
①風呂に入る。
②ご飯を食べる。
③レポートを片付ける。
④漫画を読む。
⑤就寝
あぁそうそう、確かこんな流れだった。
「……?」
あれ? おかしいな。疑問が何一つとして解決しない。
「このカフェオレ飲んでいいかい、お兄さん?」
「いいけど、飲んだらちゃんと冷蔵庫に戻しといて」
「あいさー」
もしかしてまだ忘れてることがあるんだろうか?
そう考えてもう一度記憶を辿ってみたけれど、やはりさっき以上のことは思い出せない。まあ、思い出せないのなら仕方がない。とりあえず朝食を食べよう。
早々に自分の記憶力に見切りをつけ、僕は台所に向かった。
ちゃちゃっと卵焼きを作り、味噌汁とご飯を温める。きゅうりの漬物をプラスして、手抜き版朝食メニューはものの十五分で出来上がった。
テーブルの上にそれらを並べ、僕は手を合わせる。
「いただきます」
ずずず~っと味噌汁を啜る僕の視界には、カフェオレ片手にテレビに齧り付く、つなぎ姿の子供が存在している。誰がどう見ても明らかに不可思議な状況である。
濃い塩味を舌の上で転がして、これが夢ではないことを実感しつつ、僕は思う。
スルーしちゃダメかな、これ。
「さてと」
朝食を腹に収め、ぼちぼち現実と向き合う気分になった僕は、座ったまま背筋を伸ばす。姿勢を正したのが伝わったのか、占いコーナーを退屈そうに見ていた子供が振り返った。
真剣な表情で、子供は僕に告げる。
「カフェオレがなくなっちゃったよ、お兄さん。もっとない?」
「ありません」
1リットル飲み干しておいて、まだ飲み足りないのか君は。
「なんだ、ないのか~。ちぇ~」
子供は口を尖らせて残念がった。つり目の上の細い眉がぎゅっと寄る。とても不満そうだ。目線の高さを合わせて初めて分かったことだが、この子供は思ったよりも綺麗な顔立ちをしていた。
「そんなことより。一つ聞きたいんだけど」
「なんだい、お兄さん」
「警察呼んでいい?」
「いいよ」
いいんだ? てっきり拒否すると思ってたのに。ちょっと意外。
「そうか。じゃあ、迷子ってことで警察に保護してもらうけど、いいよね?」
朝食を食べている間に色々と質問を考えてはみたものの、最終的に僕が辿りついた結論はこれだった。
別に、僕があれこれと情報を聞き出す必要はないのだ。警察に引き取ってもらって僕はいつもの平凡な日々に戻る。実に手っ取り早くてスマートな解決法じゃないか。
「ふ~ん。じゃあ、警察に『このお兄さんに誘拐されました』って言うけど、いいよね?」
「……よし、警察を呼ぶのはやめよう」
最も楽な解決法は脆くも崩れ去った。問答無用で警察を呼んでいたら危なかったかもしれない。
この子供、どうやら一筋縄ではいかない相手のようである。っていうか、その子供、とかこの子供、とかっていちいち言うの面倒くさいよなぁ。
「ところで君、名前は?」
「僕?」
子供は『そんなことを聞かれるなんて思っていなかった』という風に、自分の顔を指差した。それから名前名前、となにやら考えこんでいる。
まさか、自分の名前忘れた、とか言わないよね?
かすかに僕が不安を覚え始めた頃、
「シオン」
子供はぽつりと呟いた。
「ん? なんて?」
「シオンだよ。僕の名前」
シオン。はて、どんな漢字を書くのだろうか。まあ、あの様子を見る限り、本名じゃない可能性の方が高そうだけど。
さらに質問を重ねようとしたところで、ピピピ、と携帯電話のアラームが鳴り始めた。置き時計で現在の時刻を確認する。八時二十分だった。
「……もうこんな時間か」
最後の砦、携帯電話のアラームが鳴ったということは、すなわち大学に行かなくてはいけない時間がきたということだ。
どうやら二度寝した分、時間の余裕が削られてしまったらしい。
「お出かけかい、お兄さん?」
「残念ながらね。そういうことだから、話の続きは帰ってからしよう」
出来れば帰るころにはいなくなっていて欲しいけど、たぶん無理だろう。僕は鞄を拾い上げ、玄関に向かった。
「お兄さん」
鍵を開け、ドアノブに手をかけたところで、声がかかる。
「なに?」
振り返って尋ねる僕に、空になったカフェオレのパックを振りながらシオンは言った。
「帰りにカフェオレ買っ……」
「断る」
図々しいお願いを即座に切り落とし、アパートのドアを閉める。いつの間にかトリコロールカラーに着色されているマイ自転車の横を通り過ぎ、僕は徒歩で大学に向かった。
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