真の心
塾頭の
「総司、今日のところはその辺にしておきなさい。皆も」
彼の一声に門下生たちは、竹刀を振っていた手を止め、互いの顔を見合わせる。
辺りが静まり返る中、沖田は一人不満そうな表情を浮かべながら近藤に言った。
「また、そうやって……先生はいつも甘いんだから」
「お前がやめないと、皆もやめにくい。倒れたりしたら、元も子もないだろう」
近藤の声に門下生たちも首を縦に振る。
「はーい」
近藤に諭され、沖田は不服そうな声を上げながらも竹刀を元の位置に戻した。
体を拭きに、庭にある井戸の水を汲みに行く。縁側に座って、体を拭いていると、一匹の黒猫が顔を出した。
「猫だ」
沖田がゆっくり猫に近づこうとすると、後ろから、
「こんなところにいたか」
男は大きな足音を立てて、沖田の元へやって来た。
「土方さん、そんなに大きな音を立てたら、猫が逃げてしまいますよ」
「あ? 猫? 黒猫じゃねーか」
彼と目が合うや否や、黒猫は慌てて逃げてしまった。
「逃げちゃったじゃないですか」
「黒猫なんざ、縁起でもねぇ。それより総司、お前の夢は何だ?」
「何ですか、いきなり……」
「いいから答えろ」
沖田は言われるがまま必死に考えたが、どうにも答えが出せなかった。
「何だろう……考えたこともなかったな。そういう土方さんの夢って何ですか? まさか、各地を回って俳句を詠み歩くことだったりして」
土方は趣味で俳句を嗜んでいた。へらへらと冗談交じりに話す沖田の様子を見て、土方はわざとらしく咳払いをする。
「人の趣味をからかいやがって。お前のことを詠んだ句だってあるのによ」
沖田は、土方の持つ冊子の方へ目をやった。
「それは?」
「『
「四十一句も? ねぇ、私のことを書いた句って、どんな句なんですか?」
沖田は前のめりになって、冊子の中身を見ようとする。
土方は該当のページを開き、指をさした。
『差し向かう 心は清き 水鏡』
「俺の夢は、近藤さんを立派な侍にすることだ。確かにあの人は、生まれは農民かもしれない。だが、その辺にいる武家の連中なんざには決して劣らない、侍の魂を持った男だ。今回の浪士組参加は、あの人にとっていい機会かもしれん」
近藤や土方と違って、武家の出である沖田にとっては、耳の痛い話だった。土方の言葉に苦笑いを浮かべてから、ある考えが彼の中にふと浮かんだ。
「だったら私は、土方さんを支える
「コイツ……言うじゃねーか」
土方に思いっきり頭を撫でられ、沖田の髪はぐしゃぐしゃになってしまった。
「やめてくださいよ。いつまでも子どもじゃないんだから!」
「俺からすれば、お前はまだまだ餓鬼だ」
「土方さんはいつもそれだ。そういえば、さっきの句……忘れないうちに何かに書き留めておかないと。差し向かう心は……あれっ、何だったかな」
「差し向かう心は清き水鏡、だ。待ってろ」
土方はそう言うと、
その様子を、沖田は固唾をのんで見守っていた。
「やっぱり土方さん、字が上手いですね」
「俺の考えた句だ。きたねぇ字で書いたら、趣がなくなっちまうだろ」
「下手の横好きという言葉もありますけどね。でも、この句は好きですよ」
けらけら笑う沖田に対し、土方は顔を赤くして一喝した。
「総司!」
それからほどなくして、沖田は近藤たちとともに江戸を立った。
京――現在の京都府――にとどまった彼らは、
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