第86話 無責任だと思ったか?

「二回の裏、いよいよ登場です。超高校級スラッガー、黒田剣都。そしてなんと、黒田と守ります千町高校の春野は、幼い頃から共に切磋琢磨し、お互いを高め合ってきた幼馴染。いつの日か甲子園をかけて真剣勝負を。そう誓い合って高校は別々の道へと進みました。そんな二人が高校最後の夏、甲子園の切符をかけた最後の舞台に立ちます。さぁ、注目の第一ラウンド。ピッチャー春野。第一球を……投げました!」

 初球、大森のミットに球が収まった瞬間、一瞬だけ球場が静まった。

「これは速い! い、いやー、驚きです。初回に投げていた球もかなり速いなと思っていましたが、今の球はまた一段と速かったですね、葉山さん」

「いやいや。確かに速さもそうですが、それ以上に注目すべきは球のノビですよ。まるで浮き上がっているかのような素晴らしいノビのある真っすぐでした。流石に今の球は黒田君といえど、そう簡単には打てないと思いますよ」

 と解説は言うが……。

「打ったー! 打球はレフトへ! 打球はレフト線際どいところ。あーっと、打球はレフト線僅かに左に切れ、ファール」

「いやはや、これは驚きました。確かに一球目よりもコースは少し甘めでしたが、あの真っすぐを二球目でもう芯で捉えるとは。超高校級スラッガーの名は伊達ではありませんね」

「とはいえ、黒田はこれで二ストライクと追い込まれてしまいました。カウントは圧倒的にピッチャー有利。春野はストレートの他に縦横二種類のスライダーを持っています。普段はストレートとこの変化球二種類を含めた三種類の球を組み立てて抑えに行きますが、今日はストレートの調子がいいだけに次はどの球を選んでくるのでしょうか。さぁ、マウンド上の春野、キャッチャーのサインに頷きます。第三球を……投げました」

 球場がざわついた。

「か、空振りの三振! こ、これは驚きましたね。あの黒田君が完全に体勢を崩されてしまいました」

「えぇ。おそらく、チェンジアップの類じゃないでしょうか。春野君が今の球を持ち球にしていたという話は聞きませんし、黒田君もかなり驚いたんじゃないでしょうか。もしかすると、黒田君用にここまで隠していたのかもしれませんね。もしくは、まだ何か不安要素があって今までは投げられなかったか。いずれにせよ、あのストレートの後に初見であの球をゾーンに決められたとあっては流石に打てませんね」

 大智と剣都の第一ラウンドは大智が剣都の意表をついて、空振り三振に打ち取った。

 剣都を三振に取った後、大智は五番、六番を内野フライとファールフライに仕留め、二回の裏を終えた。

 ベンチに戻って来た大智に藤原が声をかけた。

「いつの間にあんな球を?」

「本格的に練習し始めたのは春くらいですかね。一試合あいつを抑えようと思ったら緩急も使えないと厳しいなって思って、怪我して投げられない時に色々と試していたんです」

「そうか。しかし、何で今まで投げなかったんだ? 対黒田用にとっておいたのか?」

「それもあります。けど、正直まだ試合で使えるほど操りきれてなかったんです。ぶっちゃけ、今のもダメ元です」

「じゃあ、あそこに投げられたのは運が良かったってことか?」

「まぁ、そういうことになりますね」

 それを聞いて、藤原はふーっと息を吐いた。

「ま、そういう運を持っているのがお前だよ。けど、正直言うとちょっと意外だったな」

「何がですか?」

「この試合お前は、黒田に対しては最初から最後まで真っ向勝負で行くとばかり思っていたもんでな」

「できることならそうしたいですけどね。けど、真っ向勝負で一試合全部あいつを抑えられると思うほど、俺も傲慢じゃないんで。甲子園をかけた試合で初回から相手の主砲を調子に乗せるわけにはいかないですから」

「……そうか。ま、お前がそうするべきだと思ったんならそうすればいい。ただな、春野」

「はい?」

 藤原の意味ありげな言い方に大智は首を傾げて訊いた。

「後悔はするな。後悔しない選択をしろ」

「……はい」

 大智は感情の読めない顔でただ短く一言そう返事を返した。

 大智が自らの許を離れて行った後、藤原は隣にいる紅寧に向けてぼそりと呟いた。

「無責任だと思ったか?」

 紅寧は返事を返さなかった。いや、返せなかった。

「仮にこの試合が接戦で試合終盤を迎えた時、今の俺の言葉は無責任な言葉だと捉えられても文句は言えないだろうな。真っ向勝負をするもしないもあいつ次第。あいつはチームと自身の気持ちを天秤にかけて迷うことになる」

「……はい。そして、きっと大にぃ、春野先輩は自分の気持ちを押し殺してでもチームの勝利を選択します」

「だろうな。まぁそれは、俺が何と言おうと変わりはしないだろうな。俺が本心ではあいつにチームの勝敗のことは考えずに自分の気持ちをぶつけて黒田と真っ向勝負をして欲しいと思っていたとしてもな」

「いいんですか? 監督がチームより個人の勝手な気持ちを優先するようなことを言って」

「ダメだな」

「じゃあどうして?」

「俺自身が迷っているからだよ。監督としてチームを勝利に導く選択をしなければっていう気持ちと、俺個人として、春野と黒田、あの二人の怪物が本能のまま、力と力でぶつかり合っている姿を見たいっていう気持ちとでな」

「監督……」

「それに人生ってのはこういうことの連続だ。自分の気持ちを押し殺してでもチームや仲間のことを優先するのか、それとも失敗のリスクを負ってでも自分の思い、考えを優先するのか。このことに周りがいくらなんと言おうと、最後に責任を負ことになるのは選んで実行した奴自身だ。例え俺が何か指示を出したところで、最後にそうするかどうか決めるのは春野自身だ。例え、言われたことを実行しただけだとしても、実行した奴は少なからず自責の念に囚われるし、その後そいつはずっと付いて回ることになる。それなら一層のこと、最初から自分自身で考えて答えを出した方がいい。もしくはグラウンドに立つこいつらみんなで答えを出した方がいい。少なくとも大人の俺がでしゃばるべきじゃないことは確かだよ。俺にできることって言ったら、お前らを心無い人間から守ってやることだけだ。だろ?」

「……できるんですか?」

「え? ちょ、ちょっと? そこは、監督……、ってしみじみとするとこじゃないの? えっ、何、その心配そうな目。そんなに俺って信用ない?」

 わたわたする藤原を見て紅寧は、ふふっ、と笑った。

「冗談ですよ。普段は頼りない感じですけど、やるときはやる人だってわかってますから」

 そう言って紅寧は優しく微笑みかけた。

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