第61話 これが最後

「行ったー! これは文句なし。甲子園にただいまの挨拶と言わんばかりの特大な一発。まだ二年生ながら高校野球ファンなら既に知らないものはいない、侍、黒田剣都。港東高校、主砲から待望の一発が出ました」

 試合終盤、これまで湿り気味だった剣都のバットからダメ押しの一発が放たれた。

 剣都は微かにホッとした様子を浮かべながらダイヤモンドを回り、ホームに還って来た。

 剣都はベンチに入る前にアルプスに向かって拳を掲げる。

 世間ではすっかりお馴染みのポーズになっていた。

 初めは愛莉に向けてのものだったが、今では皆が反応するようになっていた。

「さぁ、すっかりお馴染みとなったアルプスに拳をかかるこの姿。アルプススタンドからは大歓声が飛びます。そして、テレビにはこちらもお馴染みとなった、謎の美女が映し出されます」

「たくっ。どこのどいつだよ、カメラマン」

 大智はテレビに向かって苦情の独り言を放つ。

「やはり、黒田君の彼女さんですかね?」

「えぇ、その可能性が高いでしょうな。噂によると、昨年の夏、黒田君は初ホームランを放った時もこの仕草をしていて、その時反応していたのは彼女だけだったらしいですよ。ですから、黒田君の彼女さんでほぼ間違いないでしょう」

「何の解説してんだよ……」

 大智は苦笑でツッコむ。

「つか、ハズレだよ。と、言い切れもしないが……な」

 大智は苦い顔で呟いた。


 剣都の勝利を見届け、その後の試合をぼーっと見ていた大智。

 間もなく日が暮れる頃、チャイムの音が家の中に響き渡った。

 普段、応じることのない大智は始めその音に反応しなかった。

「あぁ、そうだ。誰もいねぇんだった」

 誰もいないことを思い出し、大智は急いで松葉杖を持って立ち上がった。

「へいへーい」

 おそらく家の外には聞こえないだろうが、大智は一応返事をしながら玄関へと向かった。

 大智が玄関のドアを開ける。

 するとそこには浴衣姿の紅寧が立っていた。

 濃い青色の布地に大きめの白や赤の花の絵があしらわれた浴衣。

 いつもの明るい紅寧とは違い、落ち着きのある雰囲気を醸し出している。

「紅寧! どうした? 浴衣なんか着て」

 大智が訊くと、紅寧はムスッとした顔になった。

「ちょっと、何言ってるの、大兄。今日は花火大会の日でしょ?」

 大智はポカンと紅寧を見つめる。

「……おぉ! そういや、今日か。いやぁ、剣都の試合のことしか頭になかったわ」

「もうっ」

 紅寧はぷくっと頬を膨らませた。

「んじゃあ、一緒に行くか?」

「うん」

 紅寧は満面の笑みで答えた。

 が、すぐに表情を変え、心配そうな目で大智を見た。

「でも大兄、足、大丈夫? 歩ける?」

「大丈夫だよ。あ、そうだ。何なら怪我してない右足を鍛える為に、松葉杖なしで行くか」

「それはダメ!」

 紅寧が食い気味に言う。

「冗談だよ、冗談」

 大智は慌てて否定した。

「いーや。大兄ならやりかねない」

 そう言って紅寧は大智を睨む。

「流石に俺もそこまでバカじゃねぇよ」

(なんか前、愛莉ともこんなやり取りがあったな……)

 大智は心の内で呟く。

「んじゃ、ま、着替えて来ますかな。上がって待つか?」

 大智は家の中を指差す。

「ううん、大丈夫。ここで待ってる」

「そっか。じゃあ、ちょっと待っといてくれ。すぐに着替えて来るから」

 そう言って大智は家の奥へと向かって行った。


 五分ほどして大智は玄関に戻って来た。

 七分丈の黒のパンツに、薄いグレーの杢色デザインのVネックTシャツ姿だ。

「悪い、待たせたな」

「ううん、全然大丈夫だよ。じゃあ、行こっ」

 二人は大智の家を出て、花火大会の会場へと歩いて向かった。

 会場までは普通に歩けば五分ほどの距離だが、大智がギプスを着けている為、倍以上の時間がかかった。

 大智と紅寧は大智のペースに合わせ、ゆっくりと歩いて、会場までやって来た。

 会場は大勢の人で込み合っている。

 この中を松葉杖突きながら歩くのか……。

 なかなか厳しいな、と大智は思った。

 どうやら紅寧も同じことを思っていたらしい。

「改めて見ると凄い人だね。ささっと見て回って、どこか空いてるところ探そっか?」

「だな。はぐれても困るし」

 そうして二人は、一先ず屋台を一回りすることにした。

 ただでさえ、歩きづらい祭りの人混み。

 松葉杖を使って歩く大智には、やはりかなりの重労働だった。

 屋台を一回りして、それぞれ思い思いのものを買った二人は、人気が少なく、花火が良く見えそうな場所まで移動した。

「この辺でいいんじゃないか?」

「そうだね」

 二人は会場から少し離れた海岸までやって、腰を下ろした。

 大智は腰を下ろすと、大きく、ふーっと息を吐いた。

 それを見た紅寧が心配そうに声をかける。

「大丈夫、大兄? ごめんね、無理させちゃって」

「あん? 何言ってんだよ。俺は行きたいから行ったんだ。紅寧が謝ることねぇよ」

「で、でも……」

「大丈夫だって。何だかんだ最近は運動不足気味じゃったし、ええ運動になったよ。じゃから気にすんな」

「う、うん……」

「うしっ。あ、ほら座れよ。花火、始まるぞ?」

 紅寧は少し遠慮気味に返事をすると、ゆっくりと大智の隣に腰を下ろした。

 その瞬間、パッと空が明るくなる。

 夜空に火の花が咲いた。

「おぉ……」と大智が、「うわぁ」と紅寧が声をもらす。

 一輪の開花を合図に、夜空には次々と色とりどりの火の花が咲き誇った。

「この町で一緒に花火を見るのはきっと今年が最後だね」

 花火を見ている途中で、ふと紅寧が言った。

「どうして?」

「だって、来年の今頃は甲子園でしょ? それにその後は、大兄、プロ野球のシーズン中だもん」

「おいおい。甲子園はまだしも、いくら何でもプロは気が早すぎだろ」

「そんなことないよ。大兄なら絶対にプロになれる。それにゆくゆくはメジャーの舞台に立つことも夢じゃないって私は思ってるよ」

「メジャーもかよ。紅寧、少しばかり、俺に期待し過ぎちゃいねぇか?」

「そんなことないよ。大兄なら絶対にやれる」

 紅寧は真っすぐな眼差しで大智を見た。

 大智も見つめ返す。

「……たくっ。ほんと、俺は幸せ者だよ」

「え?」

「近くで支えてくれる奴がいる、力を信じてくれている奴がいる。そして、永遠のライバルがいる。ほんと、俺が頑張れるのはお前ら、幼馴染三人のおかげだよ」

 大智は照れくさそうに微笑みを浮かべる。

 それを聞いた紅寧も照れくさそうに微笑んでいた。

「うっしゃ! んじゃあ、しっかり目に焼き付けとこうぜ。これが最後だ」

「うん」

 長年見続けて来た夏の風物詩も今年が最後。

 いや、最後にする。

 その思いを抱きながら、二人は海上の夜空に打ち上がる花火を目に焼き付けるよう、じっと、真っすぐ、見つめ続けた。

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