第38話 ヘッドコーチ

「しっかし、誰も来ねぇな~」

 グラウンドから校舎を眺めながら大智が呟く。

 今日はオープンスクール。

 間もなく部活見学の時間を迎えようとしている。

 先ほどから校舎の方では、中学生の姿が続々と見え始めている。

 しかし、野球部の方へ向かって来る者はまだ現れていない。

 他のメンバーからも、少しずつため息が漏れるようになっていた。

「いくら港東といい試合をしたからって、やっぱりそう簡単にイメージは変わらないんだな……」

 新キャプテンである大西が残念そうに呟く。

「だな~」

 他の二年生も大西と同様に残念そうな表情を浮かべていた。

「あ、いた! お~い、大兄~!」

 グラウンドに女の子の声が響く。

「紅寧?」

 大智が声の聞こえて来た方に目を向ける。

 そこには大きく手を振りながら、走って来る紅寧の姿があった。

「来たよ! 大兄」

 大智の許まで来た紅寧がとびっきりの笑顔を見せる。

 しかし、それに対して大智は戸惑いの表情を浮かべていた。

「いや、来たよって……、紅寧。お前、千町に来るつもりなのか?」

「そうだよ」

 戸惑う大智を他所に紅寧はあっけらかんと答える。

「そうだよって、お前なぁ。ここで訊くのもなんだが……。紅寧、お前、頭いいんだから、もっと上の高校に行かなくてもいいのか?」

「何で?」

 紅寧はきょとんとしている。

「いや、何でって……。その方がいい大学にも行きやすいだろ?」

「う~ん。大兄が言おうとしてることもわからないでもないけどさ~。そりゃあ、レベルが上の学校に行った方がそういう意識が高い人は多いだろうけどさ。でも、結局そういうのは自分次第でしょ? 何処にいようがする人はするし、やらない人はやらない。大兄だってそう思うから、強豪校からの誘いを断ってまでここを選んだんでしょ?」

「それは……、まぁ、そうだな」

 紅寧に論破され、大智は何も言えなくなる。

「でしょ? 私は愛ちゃんとの約束を大兄と叶えたい。私だって愛ちゃんとの約束に加わってるつもりだよ? 私はマネージャーとして、千町を、大兄を、愛ちゃんを甲子園に連れていきたいの」

 紅寧はそう言うと、真剣な眼差して大智を見つめた。

「紅寧……」

 大智は、それ以上は何も言わなかった。

「あの~。お話し中、悪いんだけどさ……」

 大西が尋ねる。

「何でしょう、キャプテン?」

「誰? その子。もしかして、春野の妹? 大兄って呼ばれてたけど」

「あぁ、すみません。紹介します、幼馴染の黒田紅寧です」

「あぁ、そういうこと」

「あ! 皆さんお久ぶりです。黒田剣都の妹の黒田紅寧です。夏の大会前、大兄にノートを渡した時以来の登場ですね。これから登場回数が増えると思いますので以後お見知りおきを」

 丁寧にお辞儀をする紅寧。

「えぇっと……。誰に挨拶してるの?」

 大西が冷汗を垂らして訊く。

「あ、すみません。お気になさらないでください。久々の登場だったので一応、皆さんにン一言挨拶をと思いまして」

 紅寧は後頭部を撫でながら笑顔で謝る。

「皆さんって……、誰?」

「読者の皆さんです」

 ニコニコ笑顔の紅寧。

「はい?」

 大西は苦笑いを浮かべていた。

「ちなみに、港東の黒田の妹なんです」

 大智が説明する。

「そうなの?」

「えぇ、まぁ」

 紅寧は少し嫌そうな顔をした。

「港東に行こうとは思わなかったの?」

「はい、全然」

 紅寧は大西の質問に間髪入れず答えた。

「こいつ、兄貴のことがあんまり好きじゃないみたいで」

 大智がフォローを入れる。

「そうなの? 黒田君カッコイイのに、ちょっと意外」

「そうなんですけどね~。剣兄って、かっこよすぎて何か面白くないんですよね。それに比べて、大兄は不器用だけど、いつも一生懸命だから、見ていて面白いんです。それに凄く優しいし」

 紅寧は大智を見て、ニッコリと笑う。

「剣都だって優しいだろ?」

「そこなんだよね~。剣兄も優しいことには優しいんだけど、剣兄の優しさはあからさまというか、何と言うか。気に入られようとしてるのがバレバレなんだよね。大兄はその辺スマートだよね。見た目によらず」

 ふふっと笑う紅寧。

「え? そうなの? 意外」

 大西は目を丸くして驚いていた。

「そうなんです。意外ですよね」

「うんうん」

「流石は紅寧……。もう打ち解けとる……」

 大西と親しそうに話す紅寧を見て、大智が小声で呟く。

「どうしたの? 大兄?」

「いや、何でもねぇよ」

「おう、諸君、やってるか」

 そこ藤原がやって来る。

「あれ? 部活見学の時間まだ?」

 藤原が辺りを見渡しながら訊く。

「あ~、もう始まってますね」

 校舎に取り付けられている時計を見て、大智が答えた。

「誰もいないけど」

 藤原がまた辺りを見渡す。

「……みたいですね」

 大智も同じように辺りを見渡して、答えた。

「おいおい、まじかよ。あの港東に善戦して、これ? いや、勝ってたの実質うちだよ? どうすんだよ、これ」

 藤原が取り乱したように言う。

「落ち着いてください」

 紅寧が宥める。

 紅寧に声をかけられた藤原は止まって、じっと紅寧を見た。

「おろ? こちらの可愛い娘ちゃんは?」

 藤原が大智に訊く。

「来年のうちのヘッドコーチです」

「初めまして。大兄……、じゃなかった。春野先輩と同じ、潮窓中三年の黒田紅寧と言います。来年こちらでお世話になるつもりなので、どうぞよろしくお願いします」

 紅寧は藤原に深々と頭を下げた。

「これは、これは。どうもご丁寧に」藤原も帽子を取って、深々とお辞儀をした。

「いや、それはそうとして、選手はどうするんだよ。最低でも二人集めないと来年の夏出られないんだぞ」

 藤原が選手に声をかける。

「それなら、心配には及びません」

 紅寧が声を上げる。

「へ?」

 それに驚いた藤原はそのまま紅寧に目を向けた。

「部員集めは私が何とかしますから、皆さんは部員集めのことは気にせず、自分たちの練習に力を注いでください」

 はきはきとした口調で語る紅寧。

「春野?」

 藤原は紅寧が言ったことの信ぴょう性を問うように、大智に声をかけた。

「大丈夫です」

 大智は口元をニッとさせて頷いた。

「あ、そう。なら、お言葉に甘えて、わしらは練習に集中させてもらおうかな」

「はい。是非、そうしてください」

 紅寧はニッコリと笑った。


 部活見学終了後、大智が紅寧を校門まで送って行く。

「監督にはあぁ言ったけど、本当に大丈夫か?」

「大丈夫だって。私に任せて」

 紅寧は手を胸に当てて、自分に任せろと言わんばかりに胸を張った。

「まぁ、紅寧がそこまで言うんだから、そんなに心配はしてないけどさ」

 そうは言うが、大智の顔には少し心配そうにする表情が見えている。

「信じてくれてありがとう。そう言うことだから、大兄も来年の夏に向けて、しっかり練習頑張ってね。私がいないからって怠けちゃダメだよ」

 紅寧は冗談っぽく笑う。

「わかってるよ。今年、剣都には実力の差をまじまじと見せつけられたからな。来年、借りを返そうと思ったら、少しも怠けてる暇なんてねぇよ」

「なら、よし」

 紅寧はふふふっと笑う。

「あ、そうだ。遅くなってしもうたけど、ノートほんまにありがとうな。本当は勝ってお礼したかったんだけどな」

 大智は申し訳なさそうに言う。

「気にしないで。それより、少しは役に立ってたかな?」

「役に立ったなんてもんじゃねぇよ。あれがなかったら、間違いなくあんな接戦にはならなかった。紅寧のおかげだよ。だから何かお礼させてくれ」

「何でもいいの?」

「おう。何でも言ってくれ。あ、でも財布の限界はあるぞ」

「わかってる。じゃあ、今度、遊園地に連れて行って?」

 それを聞いた大智は微かに顔を引きつらせていた。

「遊園地って……、何処の?」

 すると紅寧は関西の某有名テーマパークのを名を上げた。

「マジ?」

 大智が目を丸くして訊く。

「ダメ?」

 茜は子犬のようなウルウルとした目で大智を見つめる。

 その目にやられた大智は、う~んと考え込む。

「わかった……」

「ほんと?」

「あぁ」

「やった!」

 満面の笑みで喜ぶ紅寧。

 しかし、すぐに落ち着きを取り戻し、大智に訊いた。

「でも本当に大丈夫? 大兄、お金あるの?」

「大丈夫だよ。男が一回言ったことをそんな簡単に取り下げるかよ」

 大智にそう声をかけられら紅寧は目を輝かせて大智を見つめていた。

「ん? どうした?」

「大兄……、やっぱり優しいね。それにカッコイイ」

 ニコッと笑う紅寧。

「ばっ、やめろよ。恥ずかしい」

 大智は照れを浮かべて顔を背ける。

「照れなくてもいいじゃん」

「照れてねぇよ」

 そう言いながらも大智は、紅寧と顔を合わせようとはしなかった。

「ふふっ。じゃあ、いつにしよっか?」

「夏休み最終日は? 最終日は休みなんだ」

「え? 大兄、宿題終わるの?」

「……お、おう」

 目を泳がせる大智。

「終わらないんだね」

 紅寧は苦笑を浮かべる。

「すまん……」

 大智はうな垂れるように謝った。

「別にすぐにすぐじゃなくてもいいよ。秋でも冬でも、何なら春でも。約束を守ってくれるなら私はいつでも大丈夫」

「すまん。じゃあ一旦保留で」

「了解」

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