第30話 遅すぎたな
ベンチに帰ってきた千町高校ナインが大智の許に集まりハイタッチを交わす。
皆、その顔に笑顔を浮かべている。
大智も笑顔で皆とハイタッチを交わしていった。
「もしかして、俺たち勝てるんじゃ……」
セカンドの大西が夢心地な様子でぼそりと呟いた。
「そうですね。でも、油断大敵ですよ。野球は九回からって言いますから」
大智が大西に言う。
「そうそう。こいつの体力があと一回持つとは限らないですしね」
ネクストに向かう上田が言う。
「お~い」
大智は苦笑しながら上田の背中を睨んでいた。
八回裏、千町高校の攻撃。
この回先頭バッターである一番の難波は平凡なセカンドゴロに打ち取られた。
バッターは二番の上田。
上田は甘く入って来たストレートを狙い打つ。
キッーンと鋭い金属音が響き、打球が左中間を破って行く。
打った上田は悠々と二塁へ到達。
表の守りを切り抜け、盛り上がりを見せていた千町高校ベンチが更なる盛り上がりを見せる。
「よ~しっ!」
大智はバットをギュと握り締めネクストから立ち上がる。
その瞬間、大智は僅かに動きを止め、一瞬何かを考えるような仕草を見せた。
だが、すぐに動き出し、その後は何事もなかったようにバッターボックスに入ってバットを構えた。
しかし……。
「ストライク! バッターアウト!」
大智はストライクが来ても一度もバットを振ることなく、見逃しの三振に倒れた。
チャンスで見逃し三振に倒れたにも関わらず大智は悠然とした様子でベンチに戻って来る。
その道中、次のバッターである大森とすれ違う。
大智の様子がおかしいことに気が付いていた大森はすれ違いざま大智に声をかけた。
「珍しいな。大智が一回もバットを振らずに帰って来るなんて」
「別に。コースが厳しかっただけだよ」
そう告げる大智だが、目が泳いでいる。
如何にも嘘をついている様子だ。
「嘘だろ」
大森ははっきりと告げた。
それに対し、大智はおどけるように答える。
「バレた?」
「お前分かりやす過ぎ。目が泳ぎまくってたぞ」
「え、マジ?」
「誰でもわかるレベルだったぞ。さっきのピッチャーライナーの時か?」
大森は神妙な面持ちになって訊いた。
「あぁ。まだ少し痺れてやがる」
大智は左手を開いたり閉じたりを繰り返している。
「最終回、大丈夫か?」大森は顔を曇らせ、心配そうに訊く。
「大丈夫だろ。痺れは順調に引いてるしな。この打席は念の為だよ。それに左手だぜ? ピッチングにそこまでの影響はねぇよ」
そう話す大智はあっけらかんとしていた。
「そうか。ならいいけど……」
大森の表情は完全には晴れないが、その顔には少しだけ安堵の表情が混じるようになっていた。
「あ、そうだ」
大森の許からベンチへと数歩歩いたところで大智が何かを思い出したように声を上げた。
「心配ならもう一点取っといてくれよ」
大智はバッターボックスへと向かう大森の方に振り返ってニッとした笑顔を向けた。
「了解」
大森はふっと笑みを浮かべる。その顔には任せろと言わんばかりの表情が浮かんでいた。
「アウト!」
しかし、大森はライトフライに倒れる。
「いやはや、頼りになりますな」
ベンチ前に戻って来た大森に大智が独り言を呟くように言う。
「うっせぇ……」
大森は怪訝そうな顔でツッコミを入れた。
だが、そんな大森のツッコミを真面に聞く事なく、マウンドへ向かおうとした大智だったが、三アウトを取られ、チェンジになったにも関わらず、ネクストで座ったままの小林を見つけると、足を止めた。
「あれ? キャプテン?」
ネクストで座ったままの小林の様子を首を傾げて見つめる大智。
どうも小林は動く気配がない。
大智は小林に声をかけに向かった。
「キャプテン? どうしたんですか? チェンジですよ?」
「へ!? あ、あぁ、チェンジか……」
小林はなんだかふわふわとした様子である。
顔色もどうにも優れない様子だ。
「え!? 大丈夫ですか? 顔色、あんま良くないですよ?」
大智が小林の顔を覗きながら言う。
「へ!? だ、大丈夫だよ。ほんとに」
大丈夫だと言い張る小林だが息遣いは荒く、足取りも重い。
「大丈夫……。じゃ、ないよな?」
大智は足取り重そうにサードの守備へと向かう小林を指差しながら、大森に訊いた。
「あぁ。少し心配だな」
大森もサードに向かって行く小林の様子を心配そうに見つめていた。
「つってもうちに代わりはいないしな……」
大智の顔が曇る。
「小林さんの体力が持つのを祈るしかないだろ」
「だよな……」
九回表。
マウンドに大智が立つ。
大智が投球練習を終え、この回の先頭バッター三番の山本が打席に立つと、港東高校側のスタンドからは、この日一番の声援が送られた。
その声援には、何としてでも点を取って欲しいという全員の思いが乗せられているのがひしひしと伝わってくるようだ。
ベンチにいる選手たちも、何としてでも一点をという想いで声を出している。
それは剣都も例外ではなかった。
「遅すぎたな」
港東高校のベンチを見ながら大智が呟く。
「野球は何が起こるかわからないんだぜ」
大智は相手の三番に対し、一球目を投じた。
ストライク。
この回を抑えれば勝利とあって、大智の球にも力が込もっている。
当然、港東の三番バッターのスイングにも力が入っている。
だが、八回の裏の打席で、手の痺れを気にして一度もバットを振らなかったことが功を奏したのか、大智の球はまだ走っている。
大智は先頭の三番を空振りの三振に切って取った。
あとアウト二つ。
続いて四番桜木が打席に入る。
ここまで三打数無安打。四、六回のチャンスで相次ぐ凡退。
そんな不甲斐なさに加え、強豪校の四番としての責任。三年生として最後の大会にかける思い。
打席に立つ桜木からは彼が抱えている様々な想いがその大きな体から溢れ出していた。
色々な想いを背負っているにも関わらす桜木の佇まいはどっしりとしている。
少しでも油断しようものなら一瞬にして取り込まれてしまいそうな雰囲気だ。
大智は港東の四番、桜木を前に、今一度気を引き締め直した。
一度深く深呼吸を入れる。
大智は一球目を投じた。
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