第29話 野球の神様が微笑んだ方

「ナイスバッティング!」

 格上だと思っていた相手に一点を勝ち越した千町高校。

 ベンチでは皆が身を乗り出し、ヒットを打った小林に向けて賛辞の言葉を送っている。

 一塁ベースに付いている小林は仲間の声に控えめなガッツポーズで答えた。

 照れくさそうにしながらも、その顔は喜びに満ちていた。

「ナイスラン!」

 勝ち越しのホームを踏んでベンチに帰って来た大智も、ベンチにいるチームメイトと喜びを分かち合い、ハイタッチを交わした。

「暴走とナイスランの紙一重だったな」

 仲間と一通りハイタッチを交わし、愛莉の隣の定位置に戻ってきた大智に藤原が言った。

「えぇ。正直、賭けでした」

「だろうな。成功したからいいものを、賭けに出るにはまだ早かったんじゃないか?」

「セオリーで言えばそうかもしれません。けど、うちと港東との実力差を考えたら、常に賭けに出るくらいじゃないと点は取れませんから」

「もし仮にさっきの打球を取られて、ゲッツーをくらっていたら、流れは完全に相手に傾いていたかもしれない。その考えはなかったのか?」

「勿論考えましたよ。でも、玉砕覚悟くらいの気持ちがないと下剋上はできないですから。それにもし、相手に流れが行ったなら取り返せばいいだけのことですから。次の表の守りを三者三振で抑えてね」

 大智はそう言うとニヤリとした笑顔を藤原に向けた。

「……ふっ。大した奴だよ。お前は」

 藤原は呆れと笑みを交えた顔を浮かべていた。

「どちらにせよ、次の守りは重要だぞ。まぁ、お前らなら言うまでもないと思うけどな」

「はい。けど、本当の山場は八回ですよ」

「八回? あぁ、あの二番に回るな」

「えぇ。あいつに回る以上、一点差なんてあってないようなものですから」

「しかし、噂には聞いていたが、噂以上だな」

「えぇ。けど、そう思っているのはグラウンドにいる人間だけですよ。外の人間からしたら俺なんて強豪校が夏のプレッシャーで打ちあぐねている、ぽっと出の一年生くらいにしか思ってないでしょうからね。そんな相手からいくら打ったところで大した評価にはなりませんから」

「そりゃ、ま、そうだ」

「けど、夏の大会が終わる頃には大注目に変わってますよ」

「どっちが?」

 藤原が真顔で問う。

「この試合の勝者……。ですかね」

「どっちが勝つんだ?」

「さぁ? それは野球の神様が微笑んだ方、としか言いようがないですね」

「自分が勝つとは言わないんだな」

 藤原は意外そうな顔で大智を見ていた。

「本当はそう言いたいところですけど、まだ一度もあいつをまともに抑えられてないんでね」

「勝負を避ける気は?」

「ないですね。ダメですか?」

「いいや、結構。勝負から逃げてるやつに、野球の神様は微笑んでくれんからな」

 藤原がふっと笑みを浮かべる。

 大智も同じようにふっと微笑み返した。


 六回裏、千町高校の攻撃は、一アウト一、二塁から六番の木村が四ー六ー三のダブルプレーに倒れ、そこで終了した。

 そして迎えた七回。

 ラッキーセブンとも言われ、何かが起こりそうな回だが、港東高校は六、七、八番、千町高校は七、八、九番がそれぞれ三者凡退に倒れ、あっという間にこの回を終えた。

 試合は八回の表に突入する。

 港東高校の攻撃。

 先頭の九番バッターが三振に倒れ、一アウトで打順が先頭に帰る。

 港東高校の一番バッターが打席に入った。

 大智はテンポよく相手を二ストライクに追い込んだが、港東の一番は追い込まれてから、粘りをみせた。

 残りの攻撃はあと二回。

 絶対に負けるわけにはいかないという熱意が溢れ出していた。

 鈍い金属音が鳴り、平凡なゴロがサードに転がって行く。

 ボールはサードの小林の正面に転がっている。

 小林が捕球体勢に入る。

 だが、次の瞬間、港東高校側のスタンドが沸いた。

 ボールがサード後方を転々としている。

 サードの小林がボールを後逸していたのだ。

 それを見たバッターランナーはすかさず二塁へ進塁した。

「ご、ごめん」

 小林がマウンドに近寄り、大智に謝る。

「全然大丈夫ですよ」

 大智は笑顔で平然を装っていた。

「とは言ったものの……」

 大智はホームに目を向ける。

 バッターボックスには当然ながら次のバッターである剣都が立っていた。

「一アウト二塁で剣都か……」

 呟きながら大智は剣都を見る。

「一ヒットで同点。ホームランなら逆転……、ね」

 大智は後ろに振り返ると、今度はバックスクリーンを見つめた。

 ホームに背を向けたまま一つ大きく深呼吸を入れる。

 そして、ホームへと向き直った。

 延長がなければこの試合最後となる二人の対決。

 ホームへと向き直った大智は剣都と静かに睨み合っていた。

 大智は二塁ランナーを警戒しながらセットポジションに入る。

 二塁ランナーが動く気配はない。

 大智は剣都に一球目を投じた。

「なっ」

 大智の投げた球がストライクゾーンを大きく外れる。

 大森は慌ててその球に飛びついた。

 二球目。

 一球目ほどではないが、はっきりとボールだとわかる球だった。

「逃げてるわけじゃないからな」

 大智にボールを返す際、大森は剣都に近づき、呟くように言った。

「わかってるよ。てか逃げるどころか力で捻じ伏せる気満々じゃねぇか」

 剣都が苦笑する。

「その通り。そろそろ来るぜ」

「だな」

 剣都はそう言うと、軽い深呼吸を入れて、集中力を高めた。

 三球目。

 二人の予想通り、大智の球がストライクゾーンに向かって来る。

 剣都は迷う事なくその球を打ちにかかった。

 だが、大智の球は剣都のバットの上をすり抜け、大森のミットに収まった。

「いっつ~」

 ボールを捕った大森は顔を歪ませながら声を漏らす。

「今日の最速。いや、今まで見てきた大智の球の中でも一番速かったな」

 剣都は平静を装って言うが、口元が僅かに引きつっている。

「流石にお前でも今の球を捉えるのは難しいか?」

「あぁ。ホームランを狙ってたらな」

「は?」

 剣都の答えを聞いた大森は目を丸くしていた。

 大智が四球目を投げる。

 剣都のシャープなスイングは大智の球を捉えた。

 目にも止まらぬ速さの打球が一塁線の右を抜けていく。

「ファ、ファール」

 審判が両手を上げる。

「ちっ、少し遅れたか」

 剣都は打球の行方を見ながら悔しそうに呟いていた。

(二球目でもうあの球にで合わせてくるとは……。やっぱり天才だな)

 大森は横目で剣都を見ながら汗を垂らしていた。

 そして五球目。

 剣都のバットが今度は大智の球を真芯で捉える。

 タイミングもばっちり。

 剣都が捉えた球は目にも止まらぬ速さで大智目がけて飛んで行く。

 大智は反射的にボールにグラブを伸ばした。

 バシッと音がする。

 ボールは大智のグラブに収まっていた。

 その瞬間、「セカン!」と大森が叫んだ。

 その声を聞いた大智は素早く二塁へと振り返った。

 そこには二塁ランナーが飛び出し、慌てている姿があった。

 大智はすぐさま二塁へボールを送った。

 ランナーは忙しない様子で帰塁を試みていた。

 セカンドの大西が二塁ベースに入り、大智からの送球を捕る。

 二塁ランナーは決死のヘッドスライディングでベースに戻った。

「アウト!」

 審判の高らかな声が響く。

 その瞬間、港東高校サイドからは大きなため息が漏れた。

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