第31話 野球は九回二アウトから

 キンッと金属音が鳴って鋭い打球が一塁線上に飛んで行く。

 ファーストの上田がその打球へ飛びつく。

 しかし、上田のグラブは届かない。

 打球は抜けていく。

「ファール! ファール!」

 一塁審が大きく両手を上げる。

 一塁へスタートを切っていたバッターの桜木は顔を悔しそうに変えた。

 一方、大智をはじめとする千町高校ナインは皆、安堵の表情をその顔に浮かべていた。

 桜木がバッターボックスへと戻る。

 球場のボルテージも最高潮まで上がっている。

 一瞬たりとも気が抜けない。

 何が起こるかわからない九回一点差の攻防。

 一瞬でも隙を見せたら負けそうな雰囲気。

 最後まで勝ちを信じ切れた奴が勝つ。

 最後のアウトを取るまでは何が起こるかわからない。

 それが野球。

 それが夏。


 一球目がファールだったことで、大智も桜木も今一度ゆっくりと気持ちを入れ直していた。

 気持ちを入れ直した二人が向き合う。

 球審が試合再開の合図をかけた。

 球場に、また一層の緊張感が張りつめる。

 二球目。スライダー。

 低めに外れてボール。

 三球目。

 外角低め、ストライクゾーンギリギリのところへのストレート。

 スピード、ノビ、共に申し分ない。

 今日の大智の球の中でもベストに近いボールだ。

 桜木はその球に反応することなく、いや、反応できずに見逃した。

「ボール!」

 球審の判定。

 後ろから聞こえたその声に大森は苦い顔をしていた。

 それに対し、だった―ボックスの桜木は少しだけ安堵したような表情を見せていた。

 四球目。

 三球目よりもボール一個分だけ内へのストレート。

 今度は確実にベースをかすめるコース。

 高さも舞違いなく入っている。

 桜木が動く。

 大智のストレートに桜木のバットが向かって行く。

 だが大智の球は桜木のバットの上を通過して行く。

 そして、大森のミットに届くと、パンッと気持ちの良い音を鳴らした。

「ストライク!」

 これで二ストライクと追い込んだ。

 桜木が悔しそうな表情を見せる。

 だが、すぐに顔を横に震わせると、キッとした表情に戻った。

 桜木は一度打席を外すと、何度か素振りをしてからバッターボックスへと戻った。

 打席に戻った桜木はバットを短く持っている。

 ここは四番としてではなく、チームの一員として、何としてでも後ろに繋ぐという気持ちの表れだ。表情からもその気持ちが伝わって来るようだ。

 桜木はマウンドの大智と睨み合った。

 カウントは二ボール、二ストライク。

 からの五球目。

 外角のストライクからボールになるスライダー。

 その球に桜木のバットが始動する。

 しかし、桜木は振り始めた所で打ちに行くのをぐっと堪えた。

 だが、動き始めたバットの勢いはそう簡単には止まらない。

 桜木のバットはハーフスイングかどうかギリギリの所まで動いていた。

 大森がボールを捕る。

 球場が静寂に包まれる。

 全員が固唾をのんで球審の判定を待った。

 球審が動く。

 全員が息をのむ。

 球審の右手は一塁を指していた。

 判断を一塁審に委ねたのだ。

 球場全体の視線が今度は一塁審へと向けられる。

 一塁審がゆっくりと動き出す。

 一塁審は両手を水平に広げた。

 セーフ。

 スイングは認められなかった。

 港東高校サイドからはふ~っと止めていた息を吐く音が一斉に漏れていた。

 これで三ボール二ストライクとなった。

 できれば同点のランナーを出したくない千町高校。

 一方、何としてでも同点のランナーを出したい港東高校。

 ランナーが出ればまた流れも変わる可能性がある。

 ここからは我慢比べ。

 桜木は大智が三振を取りに行った球をことごとくファールにして粘った。

 そして、五球連続ファールボールが続いた後の十一球目。

 マウンド上の大智は肩で息をするようになっていた。

 だが、その目は輝き、笑っている。

 それに気が付いた大森もふっと息を漏らすように微笑を浮かべると、外角低めにどっしりとミットを構えた。

(来い! 大智!)

 大智がゆっくりと足を上げる。

 そして、流れるように滑らかなフォームで大森の構えるミット目がけてボールを投げ込んだ。

 バシッ。大森のミットが音を鳴らす。

 その瞬間、球場から音が消えた。

「ストライク! バッターアウト!」

 球審の高らかな声が響き渡る。

 グラウンドではバックのナインからマウンドの大智に向けて称賛の声がかけられた。

 一方、港東高校スタンドからは落胆の声が相次いでいた。

 加えて、悲鳴に似た声さえも上がっている。


 あとアウト一つ。

 決してあと一人ではない。

 野球は九回二アウトから。

 三アウトを取るまでは試合は終わらない。

 最後の山場だ。

 だが、大智はそんなこと意に介さず、ポンポンと五番の石山を二ストライクと追い込んだ。

 あとストライク一つ。

 大森とサイン交換を終えた大智は、一つ息を吐いてからゆっくりと投球フォームに入った。

 大智が足を上げる。

 そしてホームへと体重移動した、その時だった。

 バタッ。

「は?」

 突然、自身の右側から聞こえてきた聞き慣れない音に大智が反応する。

 だが、視線はホームへと向いたまま。

 するとホームでは球審が両手を頭の上で慌ただしく左右に振っていた。

 緊急のタイム。

 だが、大智は止まることができない。

 大智はそのまま大森のミットへとボールを投げた。

 球審の声が聞こえていたバッターは既にバットを降ろしている。

 大智の手から放れた球はストライクゾーンを通って大森のミットへと収まった。

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