第14話 その手

「だ~。くっそ~」

 夏の大会の抽選会を一週間後に控えたとある日の昼休み。

 大智は自分の席で頭を抱えながら、大きめの声を上げてうなだれていた。

「ど、どうしたの?」

 ちょうど大智の許を訪れていた愛莉はその声に驚きながら、大智に声をかけた。

「ん? あ~、愛莉か。いやな、あと一人がどうしても見つからねぇんだよ。抽選会まであと一週間しかねぇってのに……」

 大智は頭を抱えながら机に伏せた。

「え~! あ、あと一週間って、どうするの?」

 愛莉は慌てるように大智に訊いた。

「わかんねぇ……」

 大智が細々と答える。

「えっ……」

 いつになく弱気な大智の姿に愛莉はきょとんとしていた。

「どうしたらいいかわからないから、頭抱えて叫んでんだろ」

 大智は困り顔を浮かべて愛莉を見た。

「いや、頭抱えて叫んだところで人は集まらないと思うけど」

 愛莉は大智に聞こえない程度の声で秘かに呟いていた。

「難波君は? こうなったらもう難波君に助けてもらうしかないんじゃない?」

「あんなことなったのに、今更へこへこと頭下げに行けるわけないだろ」

 大智は険しい顔になって言った。

「でも……」

 愛莉の顔が曇る。

「とにかく、あいつにだけは頭は下げられねぇ」

「大智……」

 愛莉は心配そうな目で大智を見つめていた。


 放課後の体育館。

 バスケ部が体育館の半分を使って練習をしている。

「難波!」

 バスケ部員の一人が難波にパスを出す。

 難波はそのパスを受け取った。

「痛っ!」

 パスを受け取った瞬間、難波が顔をしかめる。

 次の瞬間、難波は受け取ったパスをファンブルしてしまった。

「す、すみません」

 ワンプレーを終えた難波が周りに謝る。

「どうした、難波。ここ最近、ミスが目立つぞ」

 バスケ部のキャプテンが難波に声をかけた。

「すみせまん……」

「どうした? お前らしくないぞ。もしかして何処か悪いのか?」

「いえ……」

「そうか……。それならまぁいいんだが。ま、とりあえずちょっと外に出て風にでも当たって気持ち切り替えて来い」

「はい……」

 難波は消えてしまいそうなほど細々とした声で返事をすると、とぼとぼと体育館を出て行った。


 愛莉は放課後、少し時間が経ってから体育館を訪れた。

 愛莉が体育館の入り口に差し掛かった時、ちょうど中から難波が出て来て、愛莉と鉢合わせた。体育館から出て来た難波は落ち込んでいるような顔をしていたが、愛莉の存在に気が付くと慌てて表情を笑顔に作り変えた。

「お~、秋山ちゃんじゃん。どしたの?」

 難波がニコニコ笑顔で言う。だがその笑顔はどう見ても無理をしているのが明らかだった。

「難波君に話があって……」愛莉が俯きながら言う。

 だが俯いていたことで愛莉はあることに気が付いた。

「難波君、その手……」愛莉にそう言われた難波はハッとし、慌てて両手を後ろに隠した。

 愛莉が見た難波の手にはマメや手の皮が剥けた跡が何か所もあった。

「あ~、手? いや~、ダンクの練習やり過ぎちゃってさ~」難波は何かを誤魔化すようにわざとらしく笑っていた。

「バットを振ってなったんでしょ」

 愛莉が断言する。

「な、なに言ってんのさ。何でバスケ部の俺がバットなんか振らないといけないんだよ。ダンクだよ、ダンク。ダンクのやり過ぎ」

 難波ははぐらかすように言った。

「野球やりたいの?」

 愛莉は難波の話など気にも止めず、真っすぐな眼差しで難波を見つめている。

「だ~か~ら~。ダンクだって言って……、る……」

 難波はそこまで言って、口を閉じた。

 視線の先に力強い眼差しを向け続けている愛莉の姿があったからだ。

 難波は口を閉じると視線を地面へと落とした。

「なんだよ、あいつ。一年のくせに試合に出やがって」

「あいつうぜーよな。調子乗り過ぎ」

「ちょっとセンスがあるからって生意気なんだよな」

「はっ。プレッシャーに弱え~。全然ダメじゃん」

「エラー三つに三振二つだぜ。勘弁してくれよって感じ」

 難波の脳裏にはかつての記憶が蘇っていた。

「秋山ちゃんに野球部に誘われたから久々にちょっと振ってみただけだよ」

 難波は顔を上げていたが愛莉からは顔を背けていた。

「嘘。ちょっと振ったくらいじゃそんなことにはならないでしょ?」

 愛莉にそう言われ、難波は後ろに隠している手に意識を向けた。

「お願いします。野球部の助けになってあげてください。もう大会まで時間がないんです。どうか、この夏だけでも野球部の助けに」

 愛莉は深々と頭を下げて頼み込んだ。

「もう、遅いよ。この前、あんなことがあったんだ。今更、俺が助っ人を引き受けるって言ったところで、認めてもらえないだろ?」

 難波が俯きながら言う。

「大丈夫」

 愛莉は優しくもあり、力強くもある声を難波にかけた。

「え?」

「その手を見たら難波君が適当な気持ちじゃないってことは必ず伝わるから」

 愛莉は難波に向けてニコッと笑いかけた。


「大智~。ちょっといい?」

 愛莉は野球部が練習しているグラウンドを訪れると大声で大智を呼んだ。愛莉の後ろには難波の姿もある。

「どうした?」

 愛莉に呼ばれた大智が愛莉の許にやって来た。

「お前は……」

 愛莉の後ろに難波の姿があることに気が付いた大智は顔をしかめた。

「大智。難波君、野球部の助っ人を引き受けてくれるって」

 愛莉が笑顔で言う。

「は? おい、愛莉。もしかしてお前、俺らの為と思って変な条件をのんだりしてないだろうな」

 大智は険しい顔をして愛莉に訊いた。

「大丈夫。今回は何も条件なんて要求されてないよ」

 愛莉が大智に微笑みかける。

「本当か?」

 しかし、大智は愛莉に疑いの目を向けていた。

「本当よ。私の言うことが信じられない?」

 愛莉は真っすぐな眼差して大智を見つめた。

「いや、もちろん愛莉がそう言うんなら信じるよ。でも何で急に何の条件もなしにやる気になったんだ?」

 大智は難波に視線を移すと、首を傾げながら訊いた。

「別に。何でもいいだろ」

 難波は大智から視線を逸らして言った。

「私が頼んだの」

 二人の間に愛莉が入ってくる。

「愛莉が?」

「うん。だって大智が頭抱えて叫ぶほど困ってたから」

「いや、それはまぁそうだけど。でもこいつは人の弱みに付け込んで私利私欲を満たそうとしてたやつだぞ?」

 大智はそう言って難波を睨んだ。

「わかってる。だからまた同じようなこと言われたらすぐに立ち去るつもりだった。でも難波君の手を見て気持ちが固まったの」

 愛莉は何かを訴えかけるような目で大智を見つめた。

「手?」

 大智が眉をひそめる。

 それを見て、愛莉は難波の腕を掴んだ。

「ちょ、ちょっと秋山ちゃん」

 突如、腕を掴まれた難波は慌てていた。

「見て! 大智」

 しかし、愛莉は難波の手を無理やり大智の前に差し出した。

「これは……」

 難波の手を見た大智が声を漏らす。

「難波君は急にやる気になったわけじゃないの。この手がどれだけバットを振ってきた手なのかは大智ならわかるはずでしょ?」

 難波の手を見つめている大智に向けて愛莉が言った。

 大智はしばしの間黙っていたが、一つ息を吐くと口を開いた。

「春野大智だ。よろしく頼むよ」

 大智はそう言って難波の前に手を差し出し、握手を求めた。

「大智……」

 その姿を目にした愛莉は嬉しそうな表情を浮かべていた。

 難波は大智が差し出した手を握ると、ギュッと握り締め、大智と握手を交わした。

「難波一輝だ。この前はその……、悪かったよ」

 難波は左下を見ながら謝った。

「いや、俺に謝れてもな……。それより愛莉には謝ったのか?」

 大智にそう言われた難波は愛莉の方を向く。

 そして、深々と頭を下げた。

「秋山ちゃん。この前はあんな酷いこと言ってしまって本当にごめん。正直、この前は調子に乗り過ぎてた。これでもあれから凄く反省したんだ」

「その手を見ればわかるよ」

 愛莉が優しく微笑みながら言う。

 それを聞いて難波は顔を上げた。

「そのことはもういいから」

「でも……」

 難波は戸惑いを浮かべている。

「私のことはもういいから。それよりも野球部の力になってあげて」

 愛莉はニコッと微笑んだ。

「あぁ。頑張るよ」

 そう答える難波の顔にも穏やかさが戻っていた。

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