第3話 楽しみにしていますよ

「頑張れー! 大兄!」

 静寂に包まれていたグラウンドに紅寧の声援が響き渡った。

 紅寧からの声援を受けた大智は、紅寧の方に振り向き、笑顔で右手を挙げた。

 一方、バッターボックスにいる剣都は紅寧の方をじっと見つめていた。

 しかし紅寧から剣都へと声援は送られない。

「いや、だから俺は!?」

 紅寧から一向に応援が送られてこないことに痺れを切らした剣都は自ら声を上げた。

「頑張れ! 大兄」

 剣都が声を発したすぐ後、紅寧は再び大智へと声援を送った。

「お~い」

 剣都が寂しそうに呟く。

「剣都、頑張れ!」

 寂しそうな剣都の様子を見た愛莉は剣都へと声援を送った。

 愛莉からの声援を受けた剣都は表情をパッと明るくした。

「よしっ!」

 剣都がバットをギュッと握って気合を入れる。

「大智も頑張って!」

 剣都に元気が戻ったのを確認した愛莉は大智にも同じように声援を送った。

 愛莉から声援を貰った大智はニカッと笑うと、右手の親指を立てて、グッドのジェスチャーを送った。

「準備はいいか?」

 大智がマウンド上からバッターボックスにいる剣都に訊く。

「あぁ、いいぞ。いつでも来いっ!」

 剣都はそう言いながらバットを構えた。

 剣都の返事を聞いた大智がプレートの上に立つ。そして、一つ息を吐くと、左足を一歩引いて、投球モーションに入った。腕を上げるワインドアップ。両腕の間から覗く顔には先ほどまでの笑顔はない。その目は真剣そのものである。

 バッターボックスでバットを構える剣都は睨むような目で大智をじっと見ている。辺りが一瞬にして緊張感に包まれる。ベンチに座って二人の対決を見ている愛莉と紅寧の目にも真剣みが帯びるようになっていた。

 大智がゆったりとしたフォームから剣都に向けて一球目を投じる。

 大智が投じた球はそのまま剣都の許を通り過ぎてバックネットの土台部分になっているコンクリートに当たった。

「ストライクだぞ」

 大智が剣都に声をかける。

「だな」

 剣都は冷静な表情で答えると、バックネットから跳ね返って来ていたボールを拾って大智に投げ返した。

「けっ、余裕ってわけかい」

 大智は剣都から返球されたボールを受け取ると、マウンド上の足場を整えながらそう呟いていた。

 二球目。

 金属音の後、間髪入れずにボールがバックネットの金網を揺らす音が響く。

「半年前と違うって言い切るだけのことはあるな。一段と球が伸びるようになったじゃねぇか」

 剣都は表情を緩めて言った。

「二球目で当てられるようじゃまだまだだけどな」

 大智は悔しそうな表情を浮かべていた。

「心配すんな。俺じゃなかったら空振りだよ」

「ちっ、嫌味かよ」

 大智は剣都からボールを受け取るとすぐに踵を返してマウンドへと戻った。

 三球目以降、大智の投げたボールは剣都のバットをかすめ、立て続けに後ろへと飛んで行った。剣都はファールボールを打つ度に顔から余裕をなくしていっていた。

 二人の戦いの決着がついたのはちょうど十球目。

 剣都のバットが大智のストレートを捉えた。

 鋭い打球がセンター方向に飛んで行く。

「げっ!」

 剣都は自分の打った球の行方を見ると、突然声を漏らした。

 次の瞬間、剣都の打った打球が校舎二階の窓に直撃し、ガラスが割れた。

「ばっ! てめぇ、なんちゅう打球飛ばしてくれてんだよ」

 剣都の打球が校舎の窓を割るところを見た大智はマウンドからバッターボックスの剣都に向かって声を大にして言った。

「てめぇが気の抜けた球を投げるからだろ」

 剣都も声を大にして大智に言い返した。

「久しぶりだったから抜けたんだよ」

「ねぇ、それより、あそこって……」

 愛莉は剣都の打球が飛んだ辺りを指さしながら二人に声をかけた。

 愛莉の声を聞いた大智と剣都は再び打球の行方を見つめた。

「校長室……、だな」

 大智が視線を校舎に向けたまま真顔で言う。

「あぁ。校長室、だな」

 剣都は顔を引きつらせていた。

「校長室だよね……」

 愛莉は不安そうな顔をしている。

「校長室ですね……」

 紅寧は苦笑いになって言った。

 そして、四人は顔を見合わせた。

「逃げろー!」

 大智が静寂を突き破るように、突然叫ぶ。

 その声を合図に、四人はそれぞれの荷物を持って、急いでグラウンドを後にした。


「校長! ガラスが割れる音がしましたが、大丈夫ですか?」

 教頭が、校長室に入って来る。

「えぇ、怪我はありません」

 教頭の声を聞いた校長は教頭の方に振り返って答えた。

 しかし、校長の隣には割れた窓ガラスが散乱している。

 それなのに、校長はまるで何もなかったように穏やかな表情をしていた。

「ま、窓が割れているじゃないですか! すぐに犯人を捜してきます」

 窓が割れているのを見つけた教頭は慌てて、そう言った。

「捜さなくても大丈夫ですよ」

 慌てる教頭に対し、校長は至って穏やかな様子である。

「し、しかし……」

 教頭は困惑の表情を浮かべた。

「いいんですよ。窓ガラスは私が直しますから」

 校長はニコニコと笑っている。

「な、何故です?」

 校長は教頭の問いにすぐには答えず、再び窓の方に直ると、外を眺めながら口を開いた。

「素敵なプレゼントを頂いたものでね」

 校長はグラウンドに目をやりながら嬉しそうに言った。

「プレゼント……、ですか?」

 教頭が首を傾げる。

「えぇ。窓ガラス一枚張り替えるなどわけないほどのね」

 校長は教頭の方に振り返えるとニッコリと笑った。

「はぁ?」

 教頭はわけがわからないと言った様子で首を傾げていた。

 校長はまた窓の方に直ると、上着のポケットからボールを取り出し、降り注ぐ太陽の光にかざした。

「さてさて、一体どんな名勝負を繰り広げてくれるのでしょうか……。楽しみにしていますよ」

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