第一話 使役の力 <2>

 †


 30分ほど森の中を歩き回り、なんとか必要な薬草を集めることができた。


「……よし、帰るか……」


 と、腰を上げたその時だ。


 視界に、奇妙な色が飛び込んできた。

 緑と茶色の地面の上に――鮮烈な赤色。

 次の瞬間、僕はそれがなんなのかを理解した。


 ――血だ。


「なんだ?」


 見ると、数センチおきに血が垂れている。 


 そして、その近くには足跡。

 ――獣のものではない。人の足跡だ。


 人か、あるいはゴブリンやエルフのものかもしれないが……

 おそらく血を流している本人のものだろう。


 ――普通に考えれば、今すぐにこの場を立ち去ったほうがいい。

 血を流している者がいるということは、それを襲った奴もこの近くにいるのだから。

 冒険者適正ゼロの召使いでは、スライムにだって殺されてしまう。


 ……いや、だが。

 もし血を流している人が助けを求めていたら?


 血は森の奥に向かっている。このまま歩いていっても、そのまま100キロは森が続く。誰かの助けを得ることはできないだろう。


 ――とりあえず、血の跡を辿ってみよう。

  

 もしかしたら、今摘んだばかりの薬草が役に立つかもしれない。


 僕は意を決して血の跡を辿って歩く。

 だんだん血の量が増えてくる。

 そして10分ほど歩いた先に――洞穴が見えてきた。


 僕の身長の1、5倍くらいの高さと幅がある。

 血の跡はその中へと向かっていた。


 この洞穴には前にきたことがあるが、そんなに大きな洞穴じゃない。

 奥までギリギリ光が届くくらいの長さしかなかったはずだ。


 だから、近づけば、中の様子が外からわかる。


 僕は深呼吸してから、洞穴へ近づいた。

 中を覗くと、一番奥までわずかに光が届いていた。


 そこには人影。

 人が仰向けになって倒れていた。


 僕はそれを見て、慌てて洞穴に入った。


「おい!?」

 

 駆け寄って声をかける。


 女の子だった。

 ここらではあまり見ない、黒くて長い髪をした少女。

 美しい顔立ちをしていた。

 まだ幼さの残る顔で、血と泥で酷い有様だが、輪郭が美しかった。


「大丈夫か!?」


 そう訊いてから、大丈夫なわけがないと気がつく。

 なにせその腹部には、大きな刺し傷があったからだ。質素な麻の服がえぐられて、腰から下が血で塗れている。


「とりあえず、傷を塞ぐぞ」


 僕はナイフを使って、自分のズボンの裾を裂いて即席の包帯を作る。

 そしてさっきまで摘んでいた薬草を傷に当て、上から包帯をまく。


 だがすでに出血が酷い。

 今から流れる血を止めたところで、彼女が瀕死なことには変わりない。

 ……くそ、どうしたらいい。


 ここから村まで走って、医者を連れてくるにしても、多分往復で一時間はかかる。

 それでは絶対に助けられない。

 かといって、担いで村に帰るのも現実的ではなかった。そんなことをしたら、道半ばで彼女の命は途絶えてしまうだろう。


 と、僕はどうしていいかわからず、ただ彼女の苦しそうな表情を見つめる。


 すると少女は、口を開いた。


「……お願いです……私を……」


 息も絶え絶えに、少女は言葉を紡ぐ。


「……殺してください」


 その言葉を聞いて、僕は心臓を掴まれたような気がした。


「殺す……だって?」


 何をバカなことを言っているんだと、思った。

 助けるならまだしも、殺すなんて。


「もうどのみち助かりませんから。もうこの世に未練もありません」


「バカ言うなよ。助かるかもしれないのに」


 根拠などないが、僕は自然とそう言っていた。

 だが、少女はそれを否定する。


「私は剣属なんです。ご主人様が死んだ今、傷が治ろうが治るまいが、もう生きられません」


 ――剣属。


 噂に聞いたことがある。

 剣に姿を変えることができる精霊で、強い剣士を宿り木にして生きる存在。

 剣属は、剣士と一心同体。

 主人が死ねば自分も死ぬ。まさに主人と一蓮托生の存在だ。


 彼女が言うように、主人が死んだのだとすれば、たとえ傷が今すぐ治ったとしても、もはや彼女は生きられない。

 死ぬのを待つばかりだ。


「……このままだと、多分私はあと半日は生きてしまいます。私を……哀れに思うなら、今すぐ私を殺してください」


 と、少女の手が僕の手首を掴んだ。

 そしてその黒い瞳が僕をまつますぐ見つめる。


 美しい瞳だった。

 吸い込まれそうだった。


「……お願いします」


 僕は毎日剣の修行をしてきた。

 いつかは戦場に立つつもりだったのだ。


 だが、今まで人どころか、動物だって自分で殺したことはない。


 それなのに、僕に息の根を止めろと。

 そんなこと。できるわけがない。


 だが、目の前の少女の苦しみは、痛いほど伝わってきた。

 少女の言う通り、少女は助からない。

 少なくとも、僕に少女の命を助ける力はない。


 それならば、せめて彼女が楽になれるように手助けをしてやるのが、せめてものことだ。


「……わかったよ」

 

 僕が言うと、少女はわずかに安堵の笑みを浮かべた。


「……ありがとうございます」


 そして僕は、床に置いてあったナイフを握りしめる。


 それはもちろん人を殺すためのものではない。 

 だが――目の前の彼女を救うためには、これを使うしかない。


「……ご主人様……」


 少女はそう呟いた。

 今は亡き主人のことを思い出し、そしてその瞳を閉じる。


 僕はナイフの切っ先を彼女の心臓に当てる。

 心臓が高鳴った。

 手が震えた。


 きっといつもの僕なら絶対にできない。

 だが、その時は不思議と――まるで天に導かれるように、

 僕のナイフは少女の胸を突き刺した。


 ――――次の瞬間、彼女から生気が失せた。

 

 もっと苦しむかと思ったが、しかしその瞬間はなかった。


 彼女は、本当に、痛みを感じる時間さえなく、あの世へと旅立ったようだった。


 僕はそのままナイフから手を離す。

 感触など感じなかった。

 身体中から感覚がなくなってしまった。


 僕はしばらく呆然と少女を――少女の死体を見つめていた。 


 だが、それから数分したとき、少女の死体が、光を発し始めた。

 呆然とその様子を見つめていると、

 彼女の体は表面から徐々に徐々に光の泡となって、天上へと浮かんで弾けていく。

 一分ほどで、彼女の体は完全に消えてしまった。


 そうだ。噂に聞いていたが、精霊は死体が残らないのだ。


 僕はそれから少しの時間を置いてから立ち上がった。

 わずかな立ちくらみ。洞窟の入り口を見ると、日が沈みかけていた。


 僕はオレンジ色のわずかな光をたぐり寄せるように洞穴の外へ出る。

 そして村へ向かってトボトボ歩き始めた。


 †

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