第五章
第五章
そのまま、杉ちゃんと、なにかしゃべったことは覚えている。でも、何をしゃべったのか、今は全く覚えていない。だってあの時、校長先生から電話があって、そのせいで頭が真っ白になってしまったのだから。
ことがあったのは、杉ちゃんと、しゃべりながら移動していた時だ、植松のスマートフォンが、音を立ててなった。杉ちゃんは、すぐ出ろと言ってくれたんだった。
「はいはい、植松ですが。」
そう言うと、副校長先生が、すごい剣幕で、こんなことを言ったんだった。
「植松先生!大変なことが起こりました!あの、河野先生を殴るようにと指示を出したのは、鮫島徳子だと、朝原信夫が自供したそうです!朝原は、鮫島の指示に従って、河野先生を殴っただけだそうです。」
植松の頭が凍り付いた。そんなまさかと言おうとするまで、数分かかった。副校長先生は、ずいぶん急いでいたらしく、電話を切ってしまった。
そのあと、杉ちゃんと何をしゃべったのか、思い出そうにもおもいだせない。でも、今ここに自宅に戻っているから、杉ちゃんとさようならして、ここに帰ってきたことは明確なのだが、僕は一体どうしたんだろう。思い出せない。それほど、今回は衝撃が大きかった。そのあと、普通に食事して、普通にテレビ見て過ごしたんだと思うのだが、もうなんだか頭の中身が、全部抜き取られてしまったみたいに、自分が何をしていたのか、思い出せないのだった。
翌日、植松は、頭を抱えながら、学校に行った。学校の先生方は、みんな呆然とした顔の先生ばかりだ。もし、ここに金本先生がいてくれたら、もうちょっと的確な指示を出してくれるかも知れないが、金本先生はまだけがで休んでいるんだった。
職員室では、校長先生と、副校長先生が、なにか話している。たぶん、鮫島徳子にどう「事情聴取」するか、を話し合っているんだろう。植松はそんな話なんか聞きたくなかったが、
「植松先生。」
と、副校長先生が、彼を呼び止めた。
「なんでしょう?」
「すみませんが、ちょっと口実を作って、鮫島をこっち迄呼び出してくれませんかね。」
はあ?と植松は思った。
「いやいや、植松先生が、本校の教師の中で一番若いんですから、意外に鮫島も近づいてくれるんじゃないかと思いましてね。」
なんでそんなこと言うんだよ、と植松は思った。全く、こういうときだけ、若いという奴が損をするのである。
「だって他の先生も、」
と言いかけても、校長先生の目つきで、逆らえないなあと思ってしまう。どうしても、偉い奴というのは、一番若い時分に、こうして苦労させるようなのだ。まあ、それが損か得かは、その人の判断に因るのであるが。
「頼みますよ、植松先生。もしよかったら、鮫島が、河野先生を殴れと指示を出した理由を、聞き出してくれるとありがたいです。」
そういうことは、聞き出してこいといっているのと同じだと、解釈していいことを植松は知っていた。
「は、は、はい。わかりました。」
どよーんと背中を丸めながら、植松は職員室を出た。とりあえず、鮫島徳子が登校してくる、教室へ行った。
教室に行くと、鮫島徳子は、いつも通り、大学入試の本を読んで、熱心に勉強していた。というか、しているように見えた。その顔つきから見て、彼女が、教師を自分の手を汚さずに、先生をぶん殴れと指示を出して、けがをさせたとはどうしても見えなかったのだが、、、。一体どっちの話が本当なんだろう。
「鮫島さん。」
植松は鮫島徳子に声をかけた。
「おはようございます。植松先生。」
と、明るい声でそういう彼女は、やっぱり先生に危害を加えるようには見えない。
「ああ、おはよう。ちょっと聞きたいことがあるんだがね。」
と、植松はちょっと緊張していった。
「朝原、朝原信夫君の事は知っているね。」
「ええ、知っていますよ。困りますよね。ああいう人がいると、いきなり河野先生を殴って、金本先生にけがをさせるなんて、信じられませんよ。」
と、明るい声でいう彼女。植松は、彼女に教室から一度出てもらう様に指示を出した。従順な彼女は、わかりましたと言って、廊下へ出た。
「君とちょっと話があるんだけどね。」
「はい。なんでしょうか?」
そう明るく話す彼女に、植松もなるべく軽く、話をしようかと思った。
「実はね、その朝原君なのだが、その朝原君が、君の指示で、河野先生を殴ったというんだ。それは本当にそうなのだろうか?正直に話してくれないかな?」
「ええ、そうですよ。」
明るい声で彼女はあっさりと肯定した。
「ちょっと待ってくれ、ああやってけがをさせるまで殴れと指示を出したのかい?」
思わずでかい声でそういってしまう植松。
「ええ、そうですよ。だって私、あの先生は嫌いだし。そういう事ですよ。だってあの先生、優等生ばかりにいい顔するし、できの悪い生徒は、平気で切り離すじゃないですか。あたし、あの先生は、本当に、嫌な先生だと前々からおもっていました。」
と、すらすらいう徳子に、
「しかし、あそこまで重症のけがをさせるまで、やっていいという事は決してないぞ!」
と、植松は言ってしまうのであった。
「でも、ほかの人だってそう思ってますよ。だって、みんなあの先生は嫌だって、言っているじゃありませんか。あたしは、その代表としてやらせてもらいました。朝原君だって、同じ気持ちだったんじゃありませんか。だって、河野先生は朝原君に対して、成績が悪いと言って、随分冷たい態度で接していましたわ。」
徳子は、そう言うのだった。その顔は非常に冷静沈着で、変に妥協したり、おどろいたりもしていない。ただ、その通りにそうしたと言っているだけのようである。何だか不気味なほど落ち着いているという表現がぴったりである。
今度は、彼女のその落ち着きぶりに、植松が、呆然としてしまう番だった。
「先生。もう教室もどっていいですか?授業も、もうすぐ始まるので。」
そういう徳子は、完全に植松を負かしているようであった。丁度その時、予鈴のチャイムが鳴る。
「先生、それでは、授業が始まりますから、戻りますね。」
徳子は、そそくさと教室に戻ってしまった。
一方そのころ。職員室では。
「はあ、はあ、そうですか。わかりました。其れは伝えておきます。」
と、校長先生がそう電話で話していた。他の先生たちは、ぼそぼそと何か話している。
「何でわざわざ学校に、電話何かかけてくるんでしょうね、警察は。もう、朝原は、うちの生徒ではなくなったのにねえ。」
「いやあ、常の場合じゃないから、警察も話しているんじゃないですか?」
英語の先生と国語の先生が、そんなことを相次いで言うのだった。
「そうですが、早く終わって貰いたいものですね。もう、あの朝原の事は、思い出したくもないですよ。早くあの子が何でも言ってしまえばいいのに。」
と、英語の先生が、ため息をついていう。
「はあ、、、。つまり、朝原と鮫島徳子が、付き合っていたという訳ですか。いや、そんなこと、我々は全く知りませんでした。まあ、最近の子は、SNSなどで意外につながっていることもありますが。いや、学校ではつきあっているようなそぶりは見せませんでしたよ。」
「ええーっ!」
校長先生の話に、英語の先生と、国語の先生は、顔を見合わせた。
「はあ、、、ずいぶんの格差のある付き合いですねえ。あの二人、貧乏人と金持ちという言葉が、まさしく合うくらいの格差ですよ。そういう二人がどうして、くっついたんでしょうか。」
「い、いやあ、でも最近、有名な女優が、お笑い芸人と結婚して、大規模な披露宴を挙げたこともありましたよねえ、、、。」
二人の先生はそういいあった。確かに、芸能界にもそういう格差結婚という言葉はあるのだが、それと同じくらい、朝原信夫と鮫島徳子では、経済的に落差がある。
ガラッと音がして、植松ががっかりした顔で入ってきた。ちょうどその時校長先生が、
「はああ、そういう事ですか。つまり、鮫島と朝原が恋愛関係だったわけですね。はああ、なるほど。大人というものが、信じられないから、二人で最後までい一緒に居ようと誓ったんですか。ああ、二人に共通することですか?そうですね、まあ、あの二人は、本当に天と地くらいの格差があって、共通していることは、これといってありませんが、、、。ああ、あ、思い出した。そう言えば以前、授業で作文を書かせました時に、二人は生きているのは嫌だという内容を書いたことがあります。しかし、日頃から生活に困窮している朝原のほうが、そういう作文を書くのは分かるんですが、経済的に裕福な家庭に住んでいる鮫島が、なぜそんな作文を書いたのか、我々もわかりませんでした。」
と、長々と話していた。植松は先ほどの、
「だってあの先生は、優等生ばかりいい顔するし、出来の悪い生徒は平気で切り離すじゃないですか。」
という言葉を思い出す。
「そこで若しかしたら、徳子も生きているのは嫌だと思ったのだろうか。」
植松はそっと呟いた。もし同じ気持ちがあれば、二人は、互いに惹かれあったとしても、不思議はないかもしれない。勿論、経済的に言えば、二人は天と地の差があるが、其れは逆をいえば、二人はそれぞれが持っていないものを、持っているという事になるから。
多分、金本先生は、それを根拠に、二人の事を見破っていたのだろう。
「はあ、なるほど。そういっているのですか。はああ、なるほど。いやあ、最近の若い者は、そういう変なことを純愛と勘違いしてしまう様ですな。い、いや、我々はそういう事を、ちゃんと指導しているつもりでしたが、、、。ああ、わかりました。すみません。これからは二度とそういう事がないようにしますので。」
学校の先生は、いつもことが起こってから、そう言うことを言うのである。本来なら、そういう事が起こらないように、しておくことが使命なのだが、学校というのは、そうなってしまうように作られているらしい。
「あ、はいはい。わかりました。とりあえず、朝原につきましては、取調官の方にお任せという事にします。お願いします。よろしくドウゾ。」
校長先生は、そういって電話を切った。
「どうしたんですか。校長先生。純愛がどうのこうのと言ってましたけど。」
と、副校長先生がそう尋ねると、
「ああ全くだ、朝原と鮫島のやつ、付き合っていたらしい。しかも二人は、大人を信用せずに、二人だけで愛し合っていたというんだ。その徳子に命令されて、朝原も河野先生に、邪見に扱われていたこともあり、河野先生を殴ったと朝原は供述しているそうだ。」
と、校長先生は、大きなため息をついた。
「しかし、鮫島は、どうして、そういう事をしろと命令を出したんでしょうか。そこですよ。一番大きな問題は。あんな優等生が、どうして教師をぶん殴れと命令を出したのかなあ。鮫島の家庭は、裕福で、両親も二人とも働いていて、経済的にも、恵まれている家庭ですよ。成績だってすでに学校ではトップクラスです。ですから、彼女が悩み事を抱えるという事もないと思うんですけど。」
と、副校長先生が、そういうことを言った。
「こりゃ、朝原よりも、さらに大きな問題ですね。朝原は単に、変なやり方で鮫島を愛していて、彼女の命令に従っただけの事で、、、。」
「そうだな。精神鑑定をしたそうだが、余り問題のようなものはみられなかったそうだ。」
校長先生は、またため息をついた。何だか朝原を追い出すよりも、学校には大きな問題が巣食っているようである。
「逆に鮫島のほうが、問題があるのではないでしょうか。彼女と少し話してみましたが、不気味なほど落ち着いていて、逆に怖いくらいでした。」
と、植松は校長先生に言ってみた。
「それに、彼女は、命は大切だが理解できないという作文を書いている。これはもしかしたら、本当に、その感覚が欠落しているのかもしれませんよ。」
「しかし、鮫島をここから追い出すわけにはいきませんよ。彼女は言ってみれば、わが校の看板商品みたいなものですから。」
と、頭をかじりながら話す副校長先生。
看板商品。つまり、そのくらいしか彼女のことを、ほかの先生は見ていなかったという事だろうか。逆にそれは、先生たちが、彼女にしがみついているという事でもある。
「じゃあ、我々が、鮫島を矯正してやるしかありませんな。」
と、校長先生が言った。
「しかし、どうやって彼女に命の事を教えてやったらいいでしょう?これはたぶん、映像を見せるだけではだめだと、思いますよ。映像なんて、今は、そこらへんの機械で平気で見られるんですから。」
と副校長先生が言う。
「彼女は退学にさせてしまいましょう。そして、ご両親にもこの事実を話して、親御さんに命の大切さについて教えて上げるようにしてもらいましょう。もう学校では、そんなことを教える暇はありませんよ。ほかの生徒の大学受験だってあるんですから。」
「副校長先生、そんなこと言って、わが校の看板商品といったのは、副校長先生でしょ?それを簡単に退学にしていいものでしょうかね?」
不意に国語の先生が、そういうことを言い出す。
「だって、ほかを見てください。彼女ほど、学力のある生徒がどこにいますか?だって、学校の評価というのは、進学率で決まるって言うのは、誰でも知っている常識でしょう?それを、してくれる生徒を切り捨てるというのも、どうかとねえ。」
英語の先生がそういった。
「それにあたし達だって、もうこんな不良校に勤めているのかと、周りの人から変な評判を立たされるのは、もうおしまいにしたいじゃないですか。鮫島は、そういうことを救ってくれる存在でもあるんですよ。」
地獄に仏とは、こういう事なんだろうか。
もし、個々に金本先生がいたら、学校は先生が楽をするためにあるのではなく、生徒のためのものだと言って、怒りまくるだろうが、今その金本先生は居ないのだ。
「まあ、鮫島が卒業するまで、このままでいましょう。どうせ彼女も、あと数か月で卒業ですよ。彼女さえ消えてしまえば、元の学校に戻れますよ。其れでいいじゃないですか。どうせ、私たちは、ほんの短い間しか、生徒と接するわけではないんですから。其れで良いじゃありませんか。学校にいるより、それ以外の人生のほうが、はるかに長いんですよ。」
副校長先生はそんなことを言いだした。全くこういうところが、学校の先生は阿羅漢であると言われてしまうゆえんなのだが、、、。今の先生たちは、そんなこと全く気にしないで、そう思うことは当然だと思っているらしい。
「それで行きましょうよ。これまでのとおり、やっていきましょう。あの事件の事は、朝原が勝手に暴れだしたという事にして、私たちは何も知らないと言い張りましょう。警察が来たとしても。」
植松は、こんな結論を出してしまうなんて、本当に副校長は汚いなと思ったが、とてもそういうことは言えなかった。
「植松先生。何かありますかな?」
「い、いや、、、。」
副校長先生にそう言われて、植松はそれしか言えなくなってしまう。
「どもるという事は、なにかあるんですね。」
正直に言うしかないと思った。
「だって、それでは朝原はしていないことまで、罪に問われることになりますし、鮫島徳子は、罪を自覚しないまま、大人になるんですよ。」
「植松先生、もう学校に何ができると思いますか。其れで仕方ないことにしましょうよ。学校に出来る事はほんの少しだけですよ。もう、人間である以上、完璧にものをおしえられることはありませんよ。一つか二つ、罪のようなモノを背負っていくもんですよ。そういうことじゃないですか。ま、朝原には正直者はバカを見るみたいなことを、教えていけばいいんですよ。それに、ほら、この間も言いましたけど、悪い行いをしたものは、もうだめなんだという事を、ほかの生徒たちに見せておく事も必要なんじゃないですか?」
副校長先生はそういうことを言った。それを聞いて、植松は思わずカチンとくる。
「そうですか、副校長先生は、成績の良いものは、多少の悪事をしても、学校に在籍させて、成績の悪い生徒のせいに全部させて、其れを生徒に見せておくことも必要だとおっしゃるんですね!そんなこと、納得できませんよ。それが常識だというんですか!」
「植松先生、怒らないでください。多少の矛盾に直面することは人間誰でもあるじゃないですか。それを、全部解決しようなんて、一人一人の力ではとてもできませんよ。黙って通り過ぎて行くことだって、人間は必要なんですよ!」
副校長先生がそういうのと同時に、ほかの先生方もそういう顔をして、植松のほうを見ている。
「み、皆さんどうかしているんじゃありませんか!だって皆さんは教師でしょう。教師というのは、生徒に教えていくのが仕事でしょう?もし、数学の答えが間違っていたら、放置しないで教えろというのに、人間として間違えたことは、黙って通り過ぎろなんて、おかしいですよ!数学の答えよりも、人間として生きている事のほうが、大事なんじゃありませんか!其れとも、数学のほうが大事だというんですか!」
植松が、怒りを爆発させて、他の先生にでかい声で怒鳴ると、
「誰に向かってモノを言ってるのよ!新人教員のくせに。」
と、例の英語の先生が、そういうのだった。
「ほんとだほんとだ。平凡なだけの新人教員なのに、そんな大きな態度をとって、何をするつもりなんだろう。」
国語の先生もそういう。
「悪いけど、こういう事は、なんぼでもあるんですよ。そんなことに、いちいちワーワー騒いでいたら、先生という職業はやっていけません!それでいいとするのも必要なんです。植松先生。副校長先生が言ったでしょ、黙って通り抜ける事も必要だって。本当にね、今は初めてだからそういう風に騒ぐんでしょうけど、何回かしていけば慣れていきますら大丈夫。」
そういう国語の先生に、植松はこう怒鳴りつけた。
「いいえ、僕たちはなんぼでもあるで片付くのかも知れませんが、生徒にとって、高校生というときは一度だけです!」
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