第二章

第二章

「しっかし、鮫島徳子が、どうしてこんなものを書いたんでしょうか。朝原がそういうことを書くのならわかりますけどね、、、。」

朝の職員室では、まだ、先生方の間でそんな話題がでてしまうほど、鮫島徳子と朝原信夫の作文の事は衝撃的なことだったらしい。

「何か心当たりありませんかね。まあ確かに、朝原がああいう作文を書くのは分かりますよ。朝原の家は、父子家庭でしょ。お父さんは工場で一生懸命働いているのですが、確か、家賃を滞納しているほど貧困で困っていると聞きましたよ。お母さんが、男作って家を出て行ってしまってから、朝原は、誰も信じられなくなってしまったようで。」

不意に、金本がそんなことを言い始めた。

「心当たり何て、全くありません。鮫島徳子は、先ほど金本先生が言った通りの家庭とは、まったく別の家庭です。寧ろ、彼女ほど守られているっていう生徒は、いないんじゃありませんか。」

隣の席の国語教師が、そういい返した。

「そんなこと心配しているの、金本先生だけですよ。彼女は、家族にしっかり守られていますから、しっかりご家族が何とかしてくれるんじゃないですか。それよりも、朝原の事、どうしましょうかね。」

ちょっと、老け込んだ副校長が、そういうことを言った。

「朝原をどうするか。」

他の先生も、そういうことを言い始める。この朝原信夫という生徒は、学校内で確かに問題になっているのは確かであった。

「そうですね。お父様は、頑張って働きますから、せめて高卒の資格は持って行ってほしいと言って、学校に行ってほしいと言っていますが、本人の授業での態度の悪さと言い、他の生徒にまで影響が出るんじゃないですかね。」

と、国語教師がそう言った。若い英語教師もそれにのって、

「まあ確かにねエ。あたし何て、朝原になめられているんじゃないですかね。もう、いくら黒板を見なさいと言っても、やってくれたためしがない。逆にあたしのほうが、ぶん殴られそうになって、悲鳴を挙げちゃう始末。」

という。

「そうですか。やはり、朝原をうちで何とかしようというのは、無理でしたかね。」

はあ、と、大きなため息をついて、さっきの副校長よりはちょっと若い、校長先生が言い出した。この先生は、学校の評判を何よりも大切にしているタイプである。

「そうですよ、校長先生。もう、うちでは限界だとはっきり知らしめして、朝原をどこかほかの学校へ追い出してしまった方が、いいのでは?」

と、国語の先生が言い出した。すると、ほかの先生も口々に、朝原をこの学校から追放した方がいいと、いい始めた。植松は、まだ新人教師なので、何も言わずに黙っていた。

「まあ確かに、テレビなんかではね、とんでもない不良生徒を更生させて立ち直らせようというのが、流行ってますけれどもね、現実はそうはいきませんよ。もうこっちは、ほかの生徒の事もありますし、手が回りませんよ。それに、思うんですけどね、そういう生徒は捨てられるっていう事を見せびらかした方が、かえって生徒にとって、いい教育になるんじゃありませんか?ほら、悪いことをしたものは、追放されるって。生徒を見捨てないじゃなくて、社会に出るためには、そういう風になってしまうってことを、この機会に見せるという事です。どうでしょう。朝原を、追放して、社会は甘えを許さないってことを、生徒に知らせてみませんか?そのほうが、いいでしょう、校長先生。」

と、先ほどの英語の先生が、若い先生らしい提案をした。すると、何人かの先生が、その先生に向かって拍手をした。

「そうですね。そういうことをしでかすのも、教育なのかも知れませんね。それでは、そうしてしまいましょうよ。もう、朝原信夫には、本当に疲れてしまいました。」

と、副校長がそういうことを言った。みんな、副校長の意見に、賛成しているような顔を見せた。

「ちょっと待ってください。そのような事は、もううちの学校でおしまいにしてやりませんか。また追い出されたのか、と、朝原くんはさらに傷ついてしまう事でしょう。それよりも、うちの学校は、君を見捨てないよ、とアピールしてやるのが、一番大事なんじゃないでしょうかね。」

と、金本先生がいきなりそういうことを言い始めた。

「よしてください。ただでさえ家庭が普通ではない生徒たちばっかり相手にして、こっちがどれだけ疲れているか、考えてくださいよ。それに加えてあの不良生徒の相手ですか?そんなことしたら、からだがいくつあっても足りませんよ。」

また、国語の先生がそういうことを言う。

「金本先生、あんまり熱血教師ぶりを発揮していると、今の時代は生徒からバカにされることのほうが多いんじゃありませんか。それにご自身の年も考えてください。金本先生は、もう還暦もとっくに過ぎているんです。そんな年寄りが、17歳の子に本気でぶつかろうなんて、出来るはずもありません!」

と、英語の先生もそういうことを言うのだった。

「それに、金本先生のそういうやり方は、もう古すぎます。そういうことは、もう当の昔に通用しなくなりました。其れは、ちゃんと理解したほうがいいですよ。今は、思いやりじゃなくて、力で抑える時代なんですよ。金本先生みたいな人がいるから、少年犯罪も減らないんじゃありませんか。」

「古いですかね。でも、その古いという言葉は、いつから古いという様になったんでしょうか。それをちょっと教えてもらえないでしょうかね。」

金本先生も強気らしく、そう言い返す。

「ああ、あたしは、あの大事件が起きてからだと思ってます。あの事件の報道を聞いた時から、考え方が変わりました。これからは、若い人には優しくではなくて、厳しく接していかなければ、救えないと決心しましたわ。」

「あの、相模原事件ですか。しかしですねその反面、座間事件のように、平気で命を落としてしまう若者も後を絶たないことも事実です。朝原ももしかしたら、そっちの方へ行ってしまうかもしれない。それだけは、どうしても避けたいのではないですか?」

英語の先生がそういうと、金本先生は、もう一回言った。

「そうですねえ。まあ、確かにあの事件はそういう一面があるという事を示していましたが、、、。」

「その先は言ってはいけません!ですから、私が心配していることは、そういう事なんです。学校できちんと扱ってやらないと、そういう悪質な人間しか信用できなくなって、結局命を落としてしまうでしょ。それがあの事件で、簡単にできてしまうという事が、証明されてしまったじゃないですか。そうならないようにすることも、我々教育者の使命なんじゃないでしょうかね。」

そういう金本先生は、そういうときだけ年寄りらしく威厳があるのだった。ほかのときは、全く役に立たない先生と言われているはずなのに。

「まあ、仕方ありません。確かに金本先生の言うことも間違いではないとはわかりますが、ここは、ほかの生徒に考慮して、朝原は退学という事に。」

と、校長先生が言った。

「じゃあ、それを告げるのは、」

と、金本先生が言いかけたとき、

「先生!大変です!大変!」

と、ある女子生徒が飛び込んできた。丁度、科学の授業が行われていた所だった。

「何ですか。斎藤さん。」

副校長が、間延びした声で聞くと、

「とにかく来てください!あたし達ではどうしようもないんです!」

と、半泣きになってそういう女子生徒。これはただ事ではないと、植松も顔を挙げた。女の先生は職員室に残って、他の先生は、急いで教室に直行する。この学校は学年の区別がなく、全日制でもないので、教室が三つしかなく、生徒は、午前と午後にわかれて学校に通っていた。

「お、おい、どうしたんだよ!」

と、植松も教室の中をのぞくと、いきなりがちゃんという音がして、若い男性の化学教師に、朝原が掃除用具入れから出した箒で、ひっぱたこうとしているところだった。急いで金本先生が、教室に飛び込み、すぐに箒を取り上げようとするが、今度はその矛先が金本先生の方へ向く。年を取っている金本先生は、動きが敏捷ではないから、朝原に襟首をつかまれて、すぐに箒でぶったたかれる羽目になった。きゃあきゃあと女子生徒がわめいたりするなか、男子生徒たちは、やめろ、朝原!と声をかけたりしているが、直接手を出している生徒はいない。

「やめなさい、朝原君!」

と、金本先生は声を荒げたが、

「うるさああい!」

と、朝原は、金本先生の脳天をぶちのめした。金本先生の髪のない頭から鮮血が流れ落ちたので、女子生徒たちはさらに騒いだ。植松は、急いで、朝原を止めにかかったが、朝原に放り出されてしまった。

結局、校長と副校長が二人がかりで抑え、朝原を抑える事には成功し、化学の先生が通報した警察の人がやってきて、朝原をうまく捕まえてくれて、現行犯逮捕した。そのあと、植松は何が起きたか、全く覚えていないのである。金本先生がどうなったかも、校長先生や副校長先生が、どんな態度をとったかも、生徒が何をしたのかも。


「植松先生、気が付きましたか。」

気が付いたときは、自分は保健室で寝ていた。あーあ、なんて情けないだろうな、俺、と思いながら、保健室から出る。もう、生徒は全員自宅へ帰ってしまったのか。校長も副校長も、どこかへ行ってしまっていた。あの、英語の先生も、国語の先生も、通報した化学の先生もいなかった。いたのは、額に包帯を巻いた、金本先生だった。

「金本先生。大丈夫ですか?」

思わずそう聞いてみる。

「ええ、大丈夫ですよ。これくらいの事、何でもありませんよ。」

という金本先生であるが、腕は吊っているし、足にも包帯が巻かれていた。かなりの重症であった。

「しかし、そんな体では授業もできないでしょう?」

「ええ、代替えの先生を頼むそうです。まあ、十日くらい休めば、大丈夫だって、医者が言ってました。その間に生徒に顔を忘れられてしまわないか、心配なんですけどね。」

そう明るく言う金本先生であるが、十日も休むのかと、植松はさらに驚くのである。

「すみません、先生。直ぐに止めに入るべきだったんですが、どうしてもできなくて。」

植松は、申し訳なさそうに言った。

「いえいえ、大丈夫です。生徒からこんなことをされるなんて、日常茶飯事ですよ。それくらい、考えておかなくちゃ。」

金本先生は、にこやかに言った。

「ですが、ちょっと気になることがありましてね。まあ、あんな修羅場のところでは、こんな話をしても意味がないと思いまして、あえて言わなかったのですが。」

と、いう金本先生。植松は、何だろうと聞いてみたくなった。

「あの、鮫島徳子の事です。鮫島徳子、あの時、笑ってたんですよ。」

「笑ってた?」

植松は思わず言った。そういえば鮫島徳子が、あの時何をしていたか、思い出せなかった。

「鮫島は、ほかの女子生徒と一緒に居ましたよね?」

「ええ、そうです。口を手で隠していましたが、一瞬だけ手を外したんですよ。その時、僕は見ました。笑ってましたよ。鮫島徳子。」

確かに、人をぶん殴るシーンを笑うという事は、まずありえない話だ。それは確かに、感覚が外れて言るという事である。

「そうですか。確かに、今日の修羅場を面白いという事は、ちょっとおかしいかもしれませんね。」

「ええ、ですから、やはり鮫島にも問題があります。だから私はね、ちょっと彼女の周辺を、調べてみようかなと思っているんですよ。彼女の生い立ちとか、隣近所の方々に聞けば、なにかわかるもしれませんよね。」

「そうですが。」

と、強気で言う金本先生に、植松は言った。

「其れはちょっと無理なのではありませんか。金本先生は、御怪我をされているんですから。」

「あ、すみません。」

金本先生は、がっくりと頭を下げる。このおじいさんの頭の中には、隅から隅まで教育という言葉が入っているらしい。

「それなら、俺も手伝いますよ。俺、まだ勉強不足で、ああして気絶してしまうほどの若造ですから、それでは、いけませんからね。」

植松は、にこやかに言った。すると、金本先生も、にこやかに植松のほうを見る。

「そうですね。一人でやるにはどうしても限界がある。それなら、二人いたほうが、より綿密な調査ができるでしょう!」

そういって、包帯で巻かれたしわだらけの手が差し出された。植松も、その手を静かに握り返した。


とりあえず、翌日。その鮫島徳子の家に行ってみることにする。金本先生は、歩けるといったが、これ以上けがをさせては心配なので、植松は安物の車いすを買った。金本先生は、仕方ありませんねと言いながらも、それに乗ってくれた。二人は、障害者用のタクシーをお願いして、鮫島徳子の家の近くまで乗せて行ってもらった。

「とりあえず、ここでおろしてください。」

と、二人は、近くのコンビニの敷地内でおろしてもらう。コンビニを出て、暫く道路を歩いて行くと、せったかの大山と言えるくらい立派な屋敷が見えて来た。表札には鮫島としっかり書いてある。

「ここが鮫島徳子さんの家ですか。」

と、金本先生がため息をついた。

「ずいぶん裕福な暮らしをしていらっしゃいますな。」

金本先生はそういうけれど、このくらいの屋敷に住んでいる人は、今は珍しくないはずであった。

「ちょっと、話をしてみましょうかね。」

と、金本先生は、インターフォンを押そうとしたが、車いすのために手が届かなかった。しかたなく、その代わりに、植松がインターフォンを押す。

「はい、どちら様でしょうか?」

と、インターフォンから、家政婦さんの声が聞こえてきた。

「はい、あの私たちは、伊東学園高校の教師ですが、鮫島徳子さんにちょっとお話がありまして。」

と、金本先生は、できるだけ何気ないように答えをだした。

「はあ、先生方が、お嬢様に何のようでしょうか?今日はお嬢様は学校に行かない日ですが。」

確かに、通信制の高校なので、毎日学校に通う必要は無く、週に二日とか、三日出ればよく、中には、つきに一度しか、学校に来ない生徒もいるくらいだった。だから確かに、生徒と顔を合わせるのは、全日制に比べたら、少ないと言えば少ないという事になる。

「そうです。それは存じております。今日は、徳子さんの進学の事について、お話がありまして。彼女はどちらにいらっしゃいますか?」

まあ、大体教師が生徒の家を訪問するとなれば、進学についてという事であるが。それ以外の事は、余り例がない。

「はい、徳子お嬢様は、いま病院に出かけておられますが。」

と、家政婦さんは言った。確かに、入学した時、徳子は病院にかかっていると、保護者から言われていた。そこはなるべく先生方も考慮してくれと、重ね重ね言われていたので、先生たちもそこで、苦労していたこともある。

「はあ、そうですか。それでは、何処の病院に行きましたかな?」

と、金本先生が言った。確か、植松は精神関係にかよっていると、聞かされていたのに、なんでわざわざ金本先生は、そんなことを言うのだろうか。

「ええ、確か、影浦医院というところだったと思いますが。」

家政婦さんはそういうことを言った。

「ああ、いわゆる富士でも評判の精神科と言われるところですか。わかりました。有難うございます。」

と、金本先生は言う。

「じゃあ、とりあえず今日はこれで失礼しますが、徳子さんに、進学について話をしたいと、教師二人がやってきたと伝えて下さいませ。」

金本先生は、そういうことを言った。とりあえず、二人は、鮫島徳子の屋敷を後にする。植松が、車いすを押してやったりしている間、金本先生は、鋭い目つきで、屋敷を観察していた。

「しっかし、すごい屋敷でしたなあ。」

二人がちょっと休憩のつもりで入った喫茶店で、金本先生はまだそんなことを言っている。

「何ですか先生。あのくらいの家に住んでいるなんて、今の時代では当たり前ですよ。」

植松は、ちょっと笑って、コーヒーを飲んだ。

「そうですが、家政婦さんを雇うくらいお金があるんですなあ。」

「もう、そんな事だって、今は当たり前です。家政婦さんは、大金持ちばかりではありません。今は、インターネットで、格安で家政婦さんを手配することだって可能です。それに、彼女は、心の病気があるんですよ。お父さんもお母さんも働いているわけですから、その間、独りぼっちにならないように、家政婦さんを雇うのは、何も不自然ではないと思いますけどね。」

と、植松は現代的な事情を話したが、

「ええ、そうですねえ。まあ、共働きするくらいなら、もうちょっと小さな家で、家政婦さんなんかにまかせっきりにしなくてもいいようにすればいいと思うんですが、、、。それは、古いかなあ。」

と、古い事情を話す金本先生。

「古いです古いです。そんな、家族が一から十まで、なんでもするなんて言う時代は終わりました。其れよりも、インターネットで手配して、格安で何でもかんでもしてもらう時代なんですよ。」

と、植松は呆れた顔で、金本先生を見たが、金本先生は真剣だった。

「ですが、御金で何でもできるという事は確かなんでしょうが、本来ならお母さん何かがしてくれることだって、人任せにしているという事になりますよね。それはどうかな。あの家には確かに、人任せだなと思うことがありました。例えば、家の庭です。あれは明らかに植木屋に任せきりです。例えばね、それを家族のだんらんの場に利用することは出来なかったのでしょうかね。家族で庭仕事をして、その時に、家族で今日あったことを語り合うとか、そういうことだってできるはずですよ。それを人任せにしてしまっては、、、。」

「金本先生。そんな古き良き昭和の話なんかしても、仕方ありませんよ。そうじゃなくて、今起きていることを、話すべきではありませんでしょうかね。」

やっぱり年寄りは、古いときの話をすると止まらないんだろうなと、植松は呆れて、溜息をつくのだった。

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