第6話 『核爆弾』

 もさたちの


 ねむりをさます


 かくばくだん


 たった いっぱつで


 みんな もうじゃ



 『キューバ危機』があったのは、1962年のことです。


 高校生時代に、学校の図書館で借りて読んだ『人類危機の13日間』という、ごほんがございました。(岩波新書)


 そこには、まださほど経っていない時期に、核戦争が目前まで迫っていた事実が、映画のシナリオのように描かれておりました。


 表現として、いくらなんでも、良くないとおっしゃる方もいらっしゃるかとは思いますが、母は、まさに、やましんが抱えていた、核弾頭だったと、言えました。


 しかし、その前に、まずは、父の最後がありました。


 母に比べれば、比較的には、穏やかではあったのですが、それでも、いくらかは、難しいことがなかったわけでもありません。


 母は、父が、父の妹さまに、長らく援助をしていたことが、だんだんと許せなくなってきていたのです。


 妹さまは、途中から、母子家庭になり、経済的に苦しかったのです。


 しかし、父が存命中は、苦情を言うのは、我慢していたのでしょう。


 最後が次第に近づいていた父は、やましんたちが、勝手に、父の財産を(言ってはなんですが、実際には、またく、それほどすごくはなかったわけですが。すぐ、葬儀や法事の費用に消えました。多くのサラリマンというものは、自分の死後の後片付けの費用を貯蓄するのが、やっとこさ、なのが、実態でありましょう?)処分していると、批判してきておりました。


 どうして、そう思ったのかは、わからないのですが、なかなか、入院から解放されず、自分の死や、アホ息子(やましんです)のことや、母のことを考えて、悶々としていたのでしょう。


 よく、夜中に『とうちゃんは、まだ大丈夫、生きてる、まだ、大丈夫だ。』と、独り言をつぶやいていました。


 かなり、プレッシャーがあったに違いありません。


 だれが、それを、批判できるでしょうか?


 その先、ガンの宣告が、医師からあったあと、やましんたちは、それを最後まで、父にも、また、母にも、秘密にしておりました。


 母は、当時、さかんに、入院したり退院したりを繰り返しておりまして、二人が同じ病院に入院していた時期もかなりありました。


 医療費は、バカにはなりません。


 やましんの給料で、ふたり分まかなうのは困難です。


 父の年金などを、使う以外には、やり方がなかったわけで、それは、増加傾向でした。


 そこらあたりも、あったのかな、とも、思いますが…………



 ♿🏥……………………………


         つづく

 

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