第59話 僕は幼馴染が大好きだ

 しばらく経って、ルフラースとマナさんはパラソルの下で優雅に椅子にもたれて昼寝をしている形になり、僕とパティはシートに座ってずっと海を眺めていた。


 さっきまでの騒ぎから一転、静かになってしまうと、また妙な胸の痛みがこみ上げてくる。もうその痛みの正体は解っていた。だから僕は、左隣に座っている幼馴染になかなか視線を向けることができない。


「アカンサスの浜辺って、本当に綺麗だよね」


 清涼感のある声が響いた。


「そうだな。最近になって夏場は来れるようになったから良かった。昔はウヨウヨモンスターで溢れかえっていたし」


 僕の声以外は、鳥の鳴き声と押しては返す波音だけだった。


「うん。アカンサスだけは、少しずつ平和になってるのかもしれないね。ねえアキト……私ってワガママかな?」


 ようやく彼女の顔に視線を向けることができた。さっきまでのハイテンションとは違い、ちょっとだけ顔をうつむかせて、何か落ち込んだような顔になっていた。何だか僕まで悲しい気分になってくる。


「お前は昔からワガママだよ。付き合いの長い僕が言うんだから間違いない。でも、そういうところも引っくるめて、僕は……」


「……え?」


 時間が止まったような気がした。何で今こんなことを口走ってしまったのだろう。まるで心の中の壁が崩れて、中にあった気持ちが流れ出したみたいだ。きっともう止まれない。


「アッキー、パティちゃん。私ルフラースと、向こうの屋台から飲み物買ってくるから。しばらく抜けてるわね!」


「え、あ、はい!」


 僕は声が上ずってしまった。こういうタイミングだったから仕方ないと自分を納得させる。


「は、はい」


 彼女の返事はいつも通り淡白だった。見ると二人はちょっと離れた屋台まで歩いて行く。もしかして気を使ってくれたのか? いや、そんなワケじゃないか。聴こえなかっただろうし。


「ねえ……アキト?」


 全身から力が抜けたようになりつつも、僕は何とかシートから腰を浮かせて立ち上がり、少しだけ海に足を運ぶ。


 ルフラース達が旅に出ることは決まった。そしてパティが旅に出ないことも決まった。だったら、次は何を決める? 僕は一体何を考えているんだろう。答えはもう出ていた。そして、きっとパティも同じことを考えているじゃないかと、心の奥で予想しながら深呼吸をして、見てくれだけでも落ち着かせて振り返る。


 パティも立ち上がっていて、僕の少しだけ後ろに立っていた。白い肌はほんのりと赤く染まり、瞳はキラキラと光っている。彼女もきっと解ってる。僕に期待していることは明白だ。


「パティ。ずっと前から考えていたことがあるんだが。聞いてくれないか? 真面目な話だ」


「……うん」


「何かというと、お前についてのことだ。いつも一緒にいて、こんな時に伝えるのは照れくさいんだけど、もう我慢する必要はないと思ったから。……だから言いたい」


 彼女は両手を胸において、何だか泣きそうな顔になっている。僕らは触れ合えるほど距離を近づけていた。


「お前が好きだ」


 言葉を発した瞬間、幼馴染以外何も見えなくなっていた。どんな音も気にならない。きっと何が近づいていても、今の僕には解らない。彼女の瞳から光るものが溢れ出した。でも反対に、今まで見せたことない女神みたいな微笑を浮かべながら、


「……私も、ずっと前から……大好きだったよ」


 苦しくなる胸とは反対に、心の奥から喜びがこみ上げてくるのが解る。次に言うべきことがある。これは男の僕からじゃなくてはいけない。はやる気持ちを抑えながら、冷静に言葉を紡ぎ出す。


「……良かったら、僕の恋人になってほしい」


 なんて陳腐な、捻りのない言葉だったのだろう。僕は本当に不器用だ。でも幼馴染は多少の言葉使いには寛容だった。華奢な肩が震えている。


「……私で、良かったら」


 彼女の右手が僕の胸に添えられた。心臓の鼓動が伝わってしまってももう構わない。パティは静かに潤んだ瞳を閉じて待っている。やっとこの時がきた。静かに顔を近づける。真夏の太陽が僕らを照りつける。同じように瞳を閉じ、唇に触れようとした寸前だった。


「……う、うわああー!?」


 何か野太くて硬いものがお腹に巻きついたかと思うと、自分の体がフッと浮かび上がっていた。猛烈な速度で、僕自身が空高く浮かび上がっているんだ。パティが悲鳴に驚き瞳を開き、理解できない光景に固まってしまっている姿が見える。


「な、何だよこれはぁ!?」


「アキト……アキトぉー!」


 パティの叫び声に反応するかのように、僕の背後から声がする。


「ふはははは! ベストタイミングで邪魔してやったわ。俺は魔王軍幹部アルゴス様の部下、デュラハンだ! 勇者よ、この者を返してほしいなら、魔王城まで来い!」


 デュラハン? アルゴス? 一体何の話をしているのか謎だったが、僕はどうやら誘拐されそうであることは理解できる。空を飛んでいる正体は、幌のない馬車だった。馬車が空を飛んでいる? なんて疑問に思う暇もない。


 腹をぐるっと抑え込んでいたのはデュラハンの左腕だったようで、僕は馬車の後ろの席に放り投げられてしまう。


「ぐぅう!」


「ふははは! 大人しくしていろよ小僧。何もしなければ痛い目を見ることはない。寛大な俺様に感謝をするのだな」


「く! お前……一体どういうつもりだ!?」


 空飛ぶ馬車がアカンサスの浜辺から離れようというところだった。遥か彼方からいくつもの光が煌き、矢のような何かが馬車に飛びかかってくる。そのうちの何発かが僕の座っている近くに命中して、立派な黒い乗り物がガクガク揺れた。


 そして次の瞬間、後ろの席に座っている僕の胴体に何かが巻きついてきた。まるで黒いロープのようなものにグルグル巻きにされたかと思った瞬間、今度はまるで猛獣のような力で引っ張られ馬車から落ちてしまう。


「わああああー!」


 だが海辺に落下することなかった。ある程度のところまで落下してから、Uの字を描くように今度は上に持ち上げられる。


 空の上に誰かがいる。緑色の髪をした、黒いボディスーツとマントを身につけた女だった。驚愕の事態を前に、夢を見てるんじゃないかと考えたものの、全身に走る痛みが現実だってことを教えてくれる。


「う、うぬうう!? 何奴だ!」


 やがて僕はその女にすぐ下で止まった。まるで蓑虫みたいになってる。馬車が急旋回してこっちに向かってきた。


「何者だ!? この俺の邪魔をすると……あ、あなたは!」


「あらー。邪魔をすると……どうなっちゃうのかしら? お姉さんに教えてちょうだい」


「べ、ベーラ様。どうしてこのような所へ!?」


「うーん。ちょっとアンタがこの子を運ぶんじゃ心配じゃない? 大事な人質でしょう。だからぁ、あたしが運んであげようと思うワケ」


「ま、まさか……手柄を横取りするおつもりですか?」


「あははは! 人聞きが悪いこと言わないの。ただの親切心なのに。じゃあねー!」


「あ! お、お待ちください。ベーラ様!」


 何か甘い香りが漂って意識が遠くなっていく。そこから先はほとんど覚えていない。多分眠りの魔法か何かをかけられたんだと思う。猛烈な速度で何処かに運ばれていることだけは微かに記憶にある。


 何だよこれ、最悪じゃねえか。

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