第41話 幼馴染はマナさんと温泉に入る

 消えてしまいたいほど後悔をもたらす日は突然に訪れる。今もなお鮮明に覚えている黒歴史だ。


 マルコシアスさんの誘いは拒もうと思えば拒めたのに、ギリギリのところで賛同してしまった。老人の手を跳ね除けるなんてわけもないことだけど、きっと心の中に住む悪魔に負けてしまったんだろう。


「アキト殿……お主、混浴は初めてかの?」


 星が煌いている夜空と山々を眺めながら温泉に浸かるマルコシアスさんに話しかけられ、隣にいた僕は飛び上がりそうになった。


「マルコシアスさん。声が大きいですって」


「うむ? 声が大きいと何か問題でも?」


 問題は大アリだ。ここ混浴フロアは男湯と女湯の真ん中に位置している。つまり隣には女湯があるわけで、きっとパティもいるはず。僕が混浴に入ってしまったことがバレる。


「はい……」とだけ小さく答える。


「ハッハッハ。何の問題がありますかな。ただ温泉に浸かっているだけでしょうに。ワシらはなーんも悪いことはしてないでしょうに。まあ、少しだけガッカリしてはおりますがの」


 混浴には僕とマルコシアスさんの二人しかいない。今の時間はあまり利用する人がいないのだろうか。男湯と女湯からも声は聞こえないが……とか考えていると、ガラガラと扉が開く音が聴こえる。


「ご覧下さい勇者様。こんな美しい眺めを堪能しながら温泉に入れるなんて、まるで夢のようですわ!」


「……ええ。まあ……」


 一人は興奮したように大きな声で入って来て、もう一人は淡々と返事をしているだけという感じ。僕とマルコシアスさんはハッとして顔を見合わせた。間違いない、マナさんとパティだ。どうやら着替えとかで時間を喰ってしまったらしく、今から入ろうという感じか。


 マナさんがいつ温泉にやって来たのかは解らないが、パティからすれば嫌な相手に違いない。大丈夫だろうかと心配になってくる。


「アキト殿、美女が二人もやって来たようですぞ。グフフ」


「そ、そうですね」


 興奮気味のマルコシアスさんとは対照的に、僕はちょっと居心地の悪いものを感じる。パティには混浴に入ったことがバレたくない。しかし、マナさんは彼女が嫌っていることに気がついてないんだろうか。


「勇者様……お背中流しましょうか?」


「いえ……けっこうです」


「まあ、何だか今日の勇者様は元気がないですね。心配です。それにしても……素晴らしいプロポーションをされてらっしゃるわ。細くて綺麗で、透き通るような肌はお湯を弾いてますし」


「あ、あの……そんなに見ないで下さいっ。恥ずかしいです。マナさんのほうが素敵です」


「あらあら、ご謙遜を。着痩せして見えるといいますか、意外と胸も大きいわ……」


「マ、マナさんのほうがおっきいですっ。もう言わないで」


 ゴクリ……。僕は思わず唾を飲み込んでしまう。なんて想像力が膨らむ会話をしているのだろう。パティは普段見られないところを褒められて恥ずかしがっているのが解る。全ての意識が女湯に行ってしまっている自分がいた。


「アキト殿……この混浴フロアの噂をご存知か?」


 エロジジイそのものといった顔つきになったマルコシアスさんが囁いてくる。まるで悪魔の囁きだ。


「噂ですか? いいえ、何も知りませんが」


「実はのう。この木で作られた壁……実は覗ける穴が存在しているとか」


「ファ!?」


 カン高い声を上げて、僕は思わず口元を手で抑える。なんてことだ。


「シー! ここからは隠密行動じゃ。ワシと一緒に魅惑の空間を鑑賞しようではありませんか」


「そ、そんな。いけませんよマルコシアスさん。犯罪行為ですって」


 普段より遥かにアグレッシブになっている魔法使いは、温泉から出ると女湯との仕切りを丁寧に調べ始めた。そんな彼の姿をハラハラしながら眺めつつ、ちょっと僕も混ざりたくなってしまってる。これはまずい、かなりまずい心理状態だ。


「勇者様。どうしてそんなに私から離れているのです? お話がしずらいではありませんか」


「……この位置が好きなので」


「隅っこがお好きなんですか? 何だかつれませんねー。もしかして、この前のことを怒ってらっしゃるの?」


「……」


 この前のこととは、僕がマナさんのお家に連れ込まれてしまったことに違いないだろう。沈黙が流れて空気が重くなったような気がするんだが、マナさんは歯牙にもかけないばかりか、更に煽ることも平気でやっちゃう人だ。


「あら、図星でしたか。うふふふ! 勇者様はやっぱりアッキーのことが、」


「ち、違います! 私はただ。っていうか、アッキーって……」


「ふふふ! もう愛称で呼び合う仲になりましたの」


 嘘つけ! 僕は今でも距離を置いてるわ。ここで思いっきり否定の言葉を叫びたいところだが、黙っていないといけないのが辛いところ。


「………そ、そんな」


「信じられないんですか? まあ無理もないことですよね。私としても、あそこまで急に進展しちゃうなんて思いもしませんでしたから」


「………」


 また沈黙が流れる。僕だったら気まずくなって温泉から上がるな。間違いない。


「また静かになっちゃったのね。ひょっとして、ジェラシー?」


「ジェ、ジェラシーとかじゃありませんっ」


「あらあらー。頬が桜色に染まっていますよ。なんて可愛らしい表情なのかしら。私が男性なら心底惚れてしまいそう」


「はうう! 変なこと言わないでください」


 聴いているだけでドキドキしてくる。マナさんときたら今度はパティにグイグイいってるみたいだ。時折お湯が跳ねる音が聞こえて、変な想像で僕は鼻息が荒くなってきた。エロ魔法使いはまだ木でできた壁を仕切りに見回している。完全に不審者に見える。正直知り合いと思われたくない。


「マルコシアスさん、いい加減やめましょうよ」


「いいや、ワシは諦めん。夢は諦めなければきっと叶うのじゃ」


「カッコイイこと言ってますけど、夢っていうより犯罪でしょうこれは」


「そう言うなアキト殿。男のロマンは止められん……あ」


 エロジイさんがとうとう目的の箇所を発見したらしい。それは思っていたよりも真ん中よりで、更にはちょうど人がしゃがんだ位置に空いている。マルコシアスさんが少年みたいに輝く目でこっちを見た。


「同志よ! とうとう発見したぞ。楽園への入り口を」

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