第40話 幼馴染と一緒に温泉へ

 魔王の間はいつになく邪悪な気が充満している。理由はガルトルによるものだった。


 彼がアカンサスであったこと全てを包み隠さず伝えているうちに、魔王は怒りのあまり強いオーラを発し始めたのだ。


「……と、いうことでした」


 言い終えてからこめかみ付近に汗が流れる。明らかに魔王はイライラしていることが誰の目にも解り、白いカーテンの向こうに映る大きな目がギラついているようだった。


「ガルトル……どうなってんの?」


「…………はい。あの、」


「もう一度言う。……どうなってんの?」


 魔王はもはや言葉遣いすら適当になっている。


「ついこの前聞いた報告では、奴らはピラミッドにいるはずだったじゃん。それがアカンサスにいて……勇者は旅に出ないとかほざいたと」


「は、はい。どうやらそのようでした」


「うぬぬ! そのようでしたではなーい! よもやこれほどのダメ勇者とは。我は勇者との胸を焦がすような熱いバトルを心待ちにしていたというのに。これではいつまで経っても話が進まんではないか」


「いえ魔王様! 恐らく勇者がダラダラしているのは今のうちだけかと。世界中で魔王軍の脅威が広められている今、旅に出ないことは周囲の人間が許さないはずです」


「なんだかんだ三ヶ月くらい経っちゃってるけどな。だがガルトルよ。我が本当に苛立っているのは勇者のことではないのだ。解らんか?」


 ガルトルは眉をひそめ、必死に考えるものの全く見当がつかない。


「勇者のことではなかったのですか? となると……世界征服の進捗が遅いとか、」


「違う! 別に気にしておらんわそんなもん。ガルトルよ……解らぬか?」


 魔王が怒っている本当の原因は勇者ではなかったと知り、彼の困惑はますます深まる。他に何があったというのか。


「……お土産は?」


「は、はい?」


「お土産じゃ! 魔王城を立つ前に、アカンサスのお菓子を買い込んでくるように頼んでおったろう。それとヨッコラ先生のサインも貰ってくるように頼んだのに。貴様、なぜ手ぶらで帰ってきたのだ!?」


 そうだったとガルトルは思い出した。勇者達に見つかってしまったことに気が動転して、お土産のことはすっかり忘れていたのだ。


「は! 申し訳ございません魔王様」


「どれだけ貴様が帰ってくることを楽しみにしていたことか! いつお菓子とサインが出てくるのか楽しみに話を聞いておれば、どう見ても手ぶらだし! 我はガッカリじゃ。本来ならば降格させるところだが……」


「降格ですか……魔王様。何卒ご勘弁を」


「だがな、ポイズンミーコを復活させた貴様の功績を我は忘れておらん。なんという劇的な復活劇だったことか。まさかヒットちゃんが謎の超パワーでミーコを復活させるとはな。近年稀に見る神展開だった! 更にはファンレターの返信もきた。ヒットちゃんの最新刊を読み終えた時、まさかハンカチが必要になるとは思わなかった」


 長話に頷きつつもガルトルは、魔法少女クリティカルヒットちゃんを魔王に進めたことを後悔していた。今度はもっとマシなものを紹介しようとか考えつつ、


「私もあの展開には感動致しました。ますます目が離せませんね」


「うむ! やはり貴様は解っておるな。許す! ……あ、そうだ忘れてた。よいかガルトルよ。なんとかして勇者を旅に出させるのだ! もしこのまま奴がダラダラとスローライフを楽しんでいるようなら、我にも考えがある!」


「ははっ! 必ずや旅に出させてみせます。では、これにて失礼します」


 ガルトルは完全に疲れ切った顔になりつつも、足早に魔王の間から去って行った。




 クレーベの村にたどり着いた僕達は、まずはパティのご親戚に挨拶を済ませ、今日はゆっくりと休むことになった。明日から支店を作る為の相談や下見などを行っていく予定だ。それにしても大きな一軒家で、やっぱりパティはお金持ちの家柄なんだなと感心する。


 僕が借りている部屋は一階で、パティの部屋の隣に位置している。夕方になってベッドで休んでいると案の定ドアをノックしてくる音が聞こえて、「どうぞ」と言う前に突入してくる誰か。もう考えるまでもない。


「アキトー。そろそろ温泉に入りに行かない?」


「ええー。いいよー面倒くさい……温泉!?」


 僕はベッドから勢いよく上半身を起こし、ドアの前でニコニコ笑っている幼馴染と目が合う。


「そっか! この村には温泉があるんだったな! よし行こう、直ぐに行こう」


「うん! すっごく気持ちいいよ。見晴らしも最高だし、きっと癖になる!」


 温泉は昔から好きだったのでワクワクしてきた。必要な着替えや布などを入れた籠を片手に持って二人で外に出ると、暑くてたまらなかった気温も下がり丁度いい感じに涼しくなっている。


「温泉は村の外れにあるから、ちょっとだけ歩くの。ビックリするくらいおっきいんだよ」


「マジかー。もしかしてここに住んでる時、パティは毎日入っていたわけか?」


「うん! 毎日おじいちゃんとおばあちゃんと入りに行ってたの。混浴は入ったことないけど」


 僕の耳が些細な音を察知した犬や猫のようにピンと立った気がした。


「こ、混浴!? そんな素敵な空間がここに……」


「アキト……何考えてるの?」


 左隣からなかなか見ることのない鋭い視線が飛んでくる。パティは疑惑を感じつつちょっとばかり怒っているようだ。まずいまずい。この邪心は捨て去らなくては。


「え? イヤー。なかなか開放感のある温泉なんだなって感心していたんだ。もちろん僕は入らないけどな。ハッハッハ」


「アキトが入ってたらこの村の墓地に埋める」


「怖いこと言うな! だって合法だぞ。やらないけど」


「本当? 女の人の裸目当てで入ったりしない?」


「そんなワケないだろ! 僕はいつだって紳士だぞ」


「怪しい……アキトの脳内がエッチなことで渦巻いてないか心配」


「こらこら! 少しは信用しろよ。いやらしい気持ちに流されたことなんて一度もないぞ」


「マナさんに攻められてグラグラきてた。私知ってるもんっ」


 痛いところ突きやがる。誰だってあそこまで迫られたら陥落すると思うのだが。


「しかし僕は落ちなかったぞ。鉄壁のアキトと呼んでくれ」


「ペラペラのアキト」


「紙みたいな呼び名をつけるな!」


 彼女はなかなか信じようとしないのか、チラチラこっちの顔を伺ってくる。っていうか、こういう田舎道をパティと二人で歩いているのも悪くない気がした。ちょっとだけ山道を登った先にあった温泉は、まるでアカンサスの民家が三つくらい合体したような大きさで、飛び石がまた独特の雰囲気を醸し出している。


 木でできた門から中に入った僕達は、玄関から靴入れに向かった後、三つに別れた暖簾のれんをくぐりそれぞれの楽園に向かう。


「じゃあ私こっちだから。アキト、あとで入り口で待ち合わせしよ」


「ああ、解った。ゆっくりしてこいよ」


「…………?」


 パティが女湯の暖簾前で、何か不思議そうにこっちを見つめている。無表情に見える中に微かな動揺があるというか、僕はちょっとだけ彼女の反応にドキドキしている。ここに来て、混浴という真ん中にある暖簾に急激に引かれている自分を見抜かれているような気がしたからだ。


「ど、どうしたパティ? 入らないのか?」


「うう……アキトこそ、どうして男湯の暖簾をくぐらないの? まさか」


 ハラハラした顔になって震えだすパティ。


「違うって! お前は誤解してる。僕は間違っても混浴なんか入らないさ。安心して女湯を楽しんでこいよ」


「ほ、本当? 約束だよっ」


 やっとのことで幼馴染は女湯の暖簾をくぐって行った。そして舌の根も乾かぬうちに混浴の暖簾に踏み込もうとした時、僕の中にいる天使が叱りつけてくる。


『彼女との約束を破るつもりか! 君のしていることはイケないことだぞっ』


 そうだ! 今しようとしていることはいけないことだ。僕は強い意志で男湯への暖簾へと進路を変更する。しかしそんな中、僕の中にいる悪魔が、


『バレやしねえよ。村の女達の裸が見れちゃうかもしれないぞ! 混浴なんてチャンスはそうそうないのだ!』


 そうだ! 混浴なんてチャンスはそうそうないし、女湯にいるパティに解るものか。足は急速にUターンしてもう一度混浴の暖簾へ向かい、まさに手を掛けようとしたところで脳内天使が、


『バレるバレないの問題ではない! バレなければなかったと同じ、なんて考えは不純だぞ! 今すぐ男湯へ向かうのだ』


 そうだ! こうやって騙した代償は、きっとバレなくても後からくるものなんだ。もう一度Uターンで男湯の暖簾へ。さっきから僕は完全に不審者状態。


「おやー? アキト殿ではありませんか? こんな所で奇遇じゃのー」


 ハッとして背後を向くと、魔法使いマルコシアスさんが人の良いおじいさんスマイルを浮かべながら、ノソノソとこちらにやって来た。


「あ……ど、どうも」


「いやはや、クレーベは素晴らしい村ですな。このような温泉まであるとは……。どうですかなアキト殿、一緒に大自然を堪能しつつ湯につかい、大いに語り合いませんか?」


「本当ですね。あ、はい! じゃあ行きましょうか」


 一人で温泉に入っているより、誰かと語りながらのほうが楽しそうだと考えていると、マルコシアスさんは何の迷いもなく混浴の暖簾をくぐろうとしていたので、僕は大慌てになりながら、


「す、すいません! そっちは混浴ですよ」


「はい? そうでしょうな。それが何か?」


 つ、強い。全く何の躊躇も感じないとは。


「ははは! 何も遠慮はいりませんぞ、さあアキト殿。こっちに来なされ! さあ!」


「うわわ! ちょ、ちょっとー」


 僕は強引にマルコシアスさんに引っ張られ、結局混浴の暖簾に入って行ったのだった。

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