第35話 幼馴染はお持ち帰りを阻止したい

「マナさん、ちょっと。大丈夫ですか? マナさん!」


「うふふふ……大丈夫ですよぉ……アッキー」


 店から退店した僕らはただ普通に帰るつもりだったのだが、マナさんは想像以上に酔っ払っているようで、仕方なく肩を貸して歩いている。いつの間にかアッキーとか呼ばれてるし、なんていうかいろいろとヤバイ。


「あー。そこですぅ! そこが私の家。一人暮らしなの」


 彼女が指差したのは、如何にも女子が住みそうなお洒落なレンガ製の一軒家。ここからなら中央通りからも然程離れていいない上に、教会へも数分で着くだろう。フラつく彼女をなんとか誘導しながらも、ようやく扉の前にたどり着き、僕はお別れの挨拶をすることにした。


「ここまで来たら大丈夫でしょう。今日は楽しかったです! ありがとうございました」


「え? 帰っちゃうんですかぁ?」


「はい?」


「もう少し遊びましょうよ。私のお家で……」


 ま、まずい。これはかなり危険だぞ。こんな色っぽい酔っ払ったお姉さんのお家に入るだなんて。過ちが起こってしまっても不思議じゃない。


「え……いやー。ちょっと待って下さい。流石にお家に入るのはまずいですよ」


「どうしてですかー? 私の家になんて入りたくないと、そうおっしゃるんですかぁ?」


「いいや。そうではないんですが」


「じゃあ入りましょ! 私……いつも一人暮らしだから寂しいの。アッキー! 助けて」


「ちょ、ちょっと待って下さい。ちょっと!」


 マナさんは凄い強引さで僕を扉まで連れ込もうとする。このまま中に入ったらどうなってしまうのか解らない、とか思っているうちにズルズルと引き込まれ、まるでワニに食べられるが如く扉の中に入ってしまった。


「ただいまぁ……。あ、そうそう。お帰りを言う相手はいませんでした。じゃあアキトさん、こっちです」


 玄関から家の全貌は大体掴めた。中は27帖くらいの広々LDKといった感じだ。台所から三つくらいあるソファから吹き抜けの階段から、とにかくお洒落。酔って色っぽさ3割り増しになっているお姉さんがヨロつきながら奥に進む中、僕は玄関で立ちすくむ。


「や、やっぱり帰りますよ。僕としては、いきなり女性の家に上がり込むのは抵抗がありますし。変な噂がたってルフラースを困らせることになりかねないし」


「変な噂が立つからいいのですよ……」


 彼女のフラついていた足取りが止まっている。素面のように背筋を伸ばしていて、後ろ姿から表情は見えない。僕は彼女の意味不明な発言にちょっとばかり動揺していた。


「へ? 今なんと?」


 戸惑う声を聞いて振り返ったマナさんは、やはり酔っているような顔だ。


「うふふふ! 冗談ですよ冗談。美味しい飲み物だけでも如何です? ここまで送っていただいたのですから、何の持て成しもしないで帰してしまっては」


「いえいえ! 全然気にしないで結構ですしいい!?」


「お気になさらずー! さあ、こっちですわ」


 外に出ようとノブを掴んだ右手にひんやりとした感触が。マナさんの左手が包み込んでいた。そしてそのまま部屋の中に引っ張り込まれてしまい、僕はなんだかんだでソファに座らされてしまった。なんて強引なのだ。このままではやはり危険なことになりそう。


 彼女は軽い足取りで台所から、二つのグラスをトレイに乗せてテーブルまで歩いて来た。さっきまでのフラついた足取りはもう全然ない。さては僕は、騙されていたのか?


「はーい。アッキーの分……きゃっ!?」


「おおう!?」


 グラスを僕の前に出そうとした時、何をドジってしまったのかマナさんは転びそうになり、液体をこぼしてしまった。ズボンにかかってしまったけど微量なので大したことはなさそうだが、彼女はかなり気にしてしまい、


「ごめんなさいごめんなさい! 私ったらなんてことを」


「あ! 大丈夫ですから。全然気にしないでくださ、」


「ああん! 脚が!」


「ふぁああ!?」


 どんな物理法則が働いたのか謎だが、更によろめいたマナさんは僕に突っ込んで来て、見事に押し倒されたような形になる。なんて想定外の状況。こんなところルフラースに見られたら殺されてしまうぞ、とか考えていると、


「やっぱり酔っ払ってしまったみたい。私ってば……普段はこのような失態は犯さないんですのよ」


「そ、そうでしょうね! ははは。誰にだってドジっちゃうことはありますよ……」


「うふふふ。さぁてアッキー……ここからどうしたい?」


「へ? ど、どうって?」


 彼女は何かを誘っている。大体だが予想がついている。僕が極度の自意識過剰ではなければ多分当たっているだろう。いつの間にか敬語もなくなり、距離感をさらに縮められている気がした。


「あらあら……鈍感なフリをしているのね」


「ちょ、ちょちょちょ! 何をしているんですかマナさん。そろそろ起き上がってもらわないと」


 セクシーなお姉さんの左手が僕の退路を塞ぎ、右手がズボンの辺りで……これ以上は言わないでおこう。とにかく今の状況は危険すぎる。


「もーう。ここまできて何を躊躇うの? では私がこれからアッキーを、草食系男子から狼に変身させる魔法をかけてあげるわ」


「い、いえ! そんな魔法はかけなくていいですよ。ただの回復魔法……ふぁああ!」


 色っぽい顔が近づいてくるー! 僕はもうパニック状態だ。この魔性のプリーストを今すぐ何とかしなくてはと焦りに焦ってしまう。このままだと完全にキスされてしまう。僕は顔を左に背けた。


「あらん。こっちがお望み?」


「はう! マナさん、ストップ! ストーップ!」


 フーッと、冷たい息を右耳に吹きかけられ思わず上半身が仰け反った。


「火がついたら止まれないの、私」


「と、止まってくれー! アンタ彼氏いるだろぉ!」


 この人は草食動物の皮を被った野獣だ。次の瞬間、ふっくらとした弾力のある唇が頬に密着し、跡がつきそうなほど強くキスされてしまった。もう完全に捕食される一歩手前まできて……。


 コンコン……。コンコン!


 強い音が扉から何度も聴こえてくる。これは外から誰かがノックをしているに違いなかった。


「あ、あの……誰かがやってきましたよ」


「……チ!」


 舌打ちするなんて、マナさんは行儀が悪い一面もあるんだなと思いつつ、彼女が離れて玄関に向かって行ったので安心した。


 鍵穴からノックの主を確認している彼女を他所に、呆然とした顔で佇んでいると、二階に誰かが立っていることに気づいた。僕の目には悪霊にしか見えない顔をした何かが。


「おかしいわねえ……誰もいないみたいよ」


「う、うわああー!」


「アッキー? アッキー!?」


 マナさんはきっとこの後僕を探したのかもしれない。でもその後のことは解らないんだ。だって二階の窓から入ってきたパティに強引に連れ出されたから。




「な、なあ……一言も言わずに出て行くのはマズかったんじゃないか?」


「マズくないです。あんな暴挙をしたんですから、私は彼女が許せません。だからあのくらいマズくないです」


 パティはドアをノックした後に超人的なジャンプ力で空いていた二階の窓から入り込み、黙って僕と一緒に一階の窓から抜け出した。こういうのってどうかと思うんだが、プンスカ怒っている彼女には強く言えない自分がいる。


「許せない! やっぱり泥棒猫だった! それにアキトも優柔不断過ぎ」


「なあ、もうそう怒らないでくれよ。僕はちゃんと抵抗したんだぜ。まさかあんな目に遭うなんて」


 今は家までの帰り道。僕はちょっとばかり気まずくなっている。


「私が行かなかったら、マナさんと変なことしてたでしょ?」


「するわけないだろ。マナさんは親友の彼女だぞ」


「全然説得力ないっ。押し倒されてたのに」


「あれは想定外だ! ミイラ男だと思ったらドラゴンゾンビだったんだ」


「その例え全然わかんない」


 ごもっともです。


「と、とにかく。予想以上のオフェンスに防御壁が全部崩壊させられてしまっていたんだよ」


「アキトの砦は頑丈だと思ってたのに……。マナさんだからワザと守りを薄くしていたんでしょ?」


「そんなことはない! 僕は潔白だ」


「ねえ! もうマナさんと二人で遊んだりしない?」


「しないよ。何だか危険な人だって解ったからな」


「本当? ドロドロの人間関係に足を踏み入れて、最終的に廃人になったりしない?」


「お前何処まで想像を膨らませてるんだよ。ないって! 絶対ない」


「圧倒的に、説得力が足りないっ」


「もう! いい加減機嫌なおしてくれよ。頼むからさ」


 十字に別れた道でパティは立ち止まる。ここでお別れなのだが、まだ何か言いたいことがあるんだろうか。そろそろ解放してほしいんだけど。


「じゃあ、私のお願い聞いてくれる?」


「……なんだよ。お願いって」


「また何処かに遊びに行きたい! 今度はアキトのオススメの所でっ」

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