第11話 幼馴染は何かを警戒している

 とある昼下がりのこと。


 以前から頼んでいた新商品の聖水を受け取る為、僕は教会に足を運んでいた。中は煌びやかな白い壁や床に包まれている。赤い絨毯もそこら中にあるランプも高級品みたいだった。ここは結婚式で有名な所だからそこそこ稼いでいるらしい。


「すごーい! やっぱり結婚式ができる教会っておっきいね」


 そして、なぜかは知らないがくっついてきた幼馴染がキョロキョロ教会内を見渡している。


「あんまり動き回るなよ。静かにしているべき場所だからな」


「お待ちしておりました。アキトさん……あら! 勇者様も」


「あ……あわわ……」


「あ! マナさん。ご無沙汰してます」


 神父様は外出しているということで、代わりに新人僧侶のマナさんが聖水を持ってきてくれた。なぜかちょっとだけ勇者は慌てている。ライオンに追い詰められたインパラみたいだ。


「頼まれていた魔除けの聖水ですが、こちらでお間違いないでしょうか?」


 祭壇の側までやって来たマナさんから渡された小瓶には、一見単なる水としか映らない液体が入っていた。しかしこの聖水は、モンスターなら寄せつけること無く外を歩けるという優れものなんだ。


「はい! ありがとうございます。後でお金を持ってきますんで、それじゃあ僕らはこれで、」


 僕は聖水が沢山入っている箱を受け取ってその場を去ろうとした。


「あ! お待ちください……」


 去り際に呼び止められて、僕はクルリと体を回転させる。


「はい?」


「少しだけ勇者様とお話がしたいのですが……」


「え? パティとですか。いいですよ」


「ひゃあっ。ま、待ってよ。アキト、おばさんを待たせちゃダメだってば」


「いや、そうじゃなくて。僕はすぐ帰るからさ、お前はここでのんびりしていけばいいじゃないか」


「うう……そ、それは、ちょっと」


 モジモジしている幼馴染に、マナさんは緑色の長髪を揺らしながら微笑を浮かべ、優しげに歩み寄ってくる。女性にしては背が高くてスタイルがいい。何と言っても胸が大きい。パティにはすぐ帰るとか言っちゃったものの、ちょっと僕は彼女達のやり取りに興味が湧いて立ち止まっていた。


「勇者様。私……貴方様と旅に出れる日を待っております」


「は……はい。ま、前向きに……善処……あ!」


 突然マナさんは勇者の両手を掴むと、胸の近くまで持って来て熱い眼差しを向けてくる。これは男だったらコロっと恋に落ちてしまう瞬間かもしれない。二人とも女子だけど。


「信じておりますね。うふふ」


 色っぽい。実に色っぽい。マナさんはパティから手を離すと、なぜか今度は僕のほうへ歩みを進める。もしかして、今度はこの何処にでもいるような町民の手を握ってくれるのか。


「アキトさん。箱の中には聖水が二十本ほど入っておりますが、足りなくなったら仰ってください。もし宜しければ、毎日お届けにあがりますよ」


「え? いいんですか? でも、ちょっと悪いなぁ」


「ふふ。何も気兼ねする必要はありませんよ。私達は今勇者様が連れ立ってくださるのを待っている身で、時間が有り余っているのです。教会のお手伝い以外にも、何か働けることがあればと探しておりましたので」


 めちゃくちゃ良い人じゃないか。こういうボランティア精神には心揺さぶられる思いだった。


「じゃ……じゃあ。お言葉に甘えて」


「……………」


 ニヤニヤ笑いながら喋っていた僕に、まるでナイフのような視線が突き刺さる。パティが無表情でこちらを眺めているが、なんか怒っているような気配もある。長い付き合いになると、けっこう読めてしまうのが逆につらい。


「おいおい。どうしたんだよパティ?」


「別に……早くいこ」


 パティはちょっと強めに僕の右手を掴んでぐいぐいと引っ張る。危うく左手で抱え込んでいた箱を落としそうになってしまった。


「ちょっと! いきなり引っ張るな。じゃあマナさん、ありがとうございました!」


「はい。いつでも来てくださいね!」


 マナさんの温かい笑顔を見つめた後、氷属性最上級モンスターのような背中に視線を移した。ワケも解らないまま教会の扉を開けて公園を歩き出したところで、


「ちょ、ストップ! ストップ! 箱を落としちまう」


 パティはようやく僕から手を離すと、どっかの不気味な人形みたいに突っ立っている。夜中に見たらきっとちびってしまう。


「どうしたんだよー。急に不機嫌になって」


「……別にっ。ねえ、あの人に毎日聖水を持って来てもらうの?」


「ああ。どうしても暇だっていうから、手伝ってもらおうかと思ってる。誰かさんが冒険に出ないからな」


 箱をしっかり持って公園を歩き出した僕の隣で、パティは不振な顔のまま俯くうつむ。道具屋までの道はまだけっこう長くて、変に気まずい空気がある時にはちょっと辛い。彼女はしばらく黙っていたが、何かを言い出そうと深呼吸をしては、やっぱり黙るという行為を繰り返しているように見える。


「毎日会っちゃうの……困る……」


 ボソッと、凄く小さな声で漏れたつぶやきに僕は反応してしまう。


「へ? 毎日会っちゃうって、さっきの話のことか?」


「あっ!? き、聴こえた?」


「聴こえたよ、こんな近くで歩いてるんだから。どうしてお前が困るんだよ」


「え、えーと! えーと。……わ、私が毎日急かされるからっ。マナさんが来ちゃうと」


「来る時間なんていつも同じくらいだろ。その時間を外せばいいだけじゃないか」


「う……で、でも」


 きっとアカンサス一煮え切らない態度の持ち主であろう幼馴染は、隣でチラチラこっちを見ながら考え込んでいる様子だった。なんかさっきの嘘っぽいな。


「あ! そうだ! 道具屋の入り口に聖水を撒いておけばいい! マナさんきっと入ってこれなくなるよ」


「アホか! 彼女はどう見たって人間だろうが! 何で侵入を防ぐ必要があるんだよ」


「……私には魔物に見える」


「何でだよ。あの人の何処が魔物に見えるんだ」


「魔物っていうか猫」


「解んねえな。別に猫っぽくはないぞ」


「猫っていうか泥棒猫」


「何を盗む気なんだよマナさんは!」


 こちらを見上げる顔がまたほんのり赤くなっているようだった。困っている顔も何だか可愛いし、世界を守る存在っていうより守られる側にしか見えない。僕はそんな彼女の瞳にずっと見つめられると顔を背けてしまう。ドキドキしていることを悟られてしまうのではないかと思うからだ。


 そんなこんなでやっと僕らは道具屋に戻り、後は比較的のんびりと過ごした。新商品はなかなか売れ行きが良かったので、これからも聖水を用意してもらうことになりそうだ。我々も教会もしばらくお金を儲けることができる。


 次の日、朝から倉庫でおふくろと品出しをしていると、もはや道具屋の一員みたいになってるパティがやって来た。


「おはよっ」


「あら、パティちゃん。今日は早いのねえ。どうしたのー?」


「早すぎだ! 開店前だぞ」


「ちょっと……気になることがあって」


 大体予想はついている。要するにマナさんを監視しに来たんだろう。一体彼女の何をそんなに警戒しているんだと考えていると、不意にもう一度扉が開く音がした。


「皆さんおはよう! 聖水はこっちに置いておけばいいのかな?」


 意外な来客が聖水の箱を持って来るのでビックリした。マナさんではなく、僕の友人であるルフラースだったからだ。思わず倉庫から飛び出して、


「おいおい! どうしてお前が聖水を持って来るんだよ? マナさんが来てくれるはずだったのに」


「ははは! 彼女に話を聞いてね。女性に重い物を運ばせるわけにはいかないから、俺が代わりに持って来ることにしたんだ」


「あらあらー。イケメンさんはとっても優しいのねえ。アキト、ちゃんと見習いなさい」


「やなこった! 僕はありのままでいく」


 パティは驚きのあまり口を半開きにして固まっていた。ルフラースはさっさと入り口まで軽やかな足取りで向かうと、僕らにモテ男特有の爽やか純度100%の笑顔を振りまく。


「じゃあ失礼するよ。勇者殿、今度良かったら本当に、冒険に行きましょう。マナと俺とあなた……それからガーランドさんかな。マルコシアスさんは腰痛が酷いみたいだし……」


「は……はい。いつか、行ってみたいですね」


 なんて淡白な返答なんだ。でもルフラースの発言のほうが気になってしまった。


「えらく他人事だな! しかもマナって……お前随分馴れ馴れしくなってるじゃないか」


「え? そりゃあ馴れ馴れしくもなるさ。恋人だからな。じゃ」


 奴はドアを閉めて風のように去って行った。衝撃が槍みたいに僕の脳裏を突き抜ける。


 恋人!? あのマナさんとルフラースが?


「……はああ。良かったー!」


「うわっ! どうしたんだよいきなり大声出して」


 パティがため息と共にデッカい声をあげるというレア行動に出た。倉庫で品出しをしながらおふくろは笑っている。


「二人とも楽しそうねー。おばさん、忘れていた青春を思い出しちゃうわ!」


「別に楽しくはない!」


「アキトー。私も品出し手伝うよっ」


 幼馴染はすっかり機嫌を取り戻したらしい。全く理由が解らなかったが、とりあえず僕はホッとした。

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