第2話 幼馴染が僕の部屋から出ていかない

 昨日はとても大変だった。

 まさかパティが冒険から戻って来てしまって、そのまま僕の部屋でゴロゴロしてるだけで一日が終わるなど誰が想像しただろう。おふくろも帰って来てからかなり驚いた顔で、


「あらー。パティちゃん、今日から出発じゃなかったっけ?」


 と聞いたところ、


「あ。おばさんお帰りなさーい。あれはやめました。えへへ!」


 とあっさり返事した時は声も出なかった。そんな簡単にやめていい話ではないでしょうよ。世界中が魔王の脅威に脅かされている昨今、倒せる奴が向かっていかなくてどうするのかと店番しながら考えていると、多少の接客をしただけで一日が終わってしまった。


「うーん、売り上げがやばい。何とかしないとな」


 僕は帰り道で今後の経営について考える。何かキャンペーン的なことをしたほうがいいんだろうか。ふと街を歩いている若い男女のグループが目についた。青春を謳歌している真っ最中といった感じだ。きっと街から出て冒険に旅立とうとか、そういった展望があるのではないだろうか。楽しそうだよな……まあ、別にいいけど。


 あんな奴らちっとも羨ましくなんてないぞと何度も思いつつ、トボトボと暗い気持ちで家の扉を開ける。


「ただいまー。今日もあんまり儲かんなかったよ」


 おふくろはそこまで嫌な顔をしていなくて、


「おかえり。まあ今は時期が時期だからしょうがないよね。お客さんが来てるよ」


「お客さん?」


 僕にお客さんなんて来るとは、珍しいこともあったものだ。ちょっと不安な気持ちで階段を上がり自室のドアを開いた瞬間、またしても驚きに口が広がったまま戻せない。


「おかえりー。今日は早かったね!」


 幼馴染のパティがやって来てまたしても雑誌を読んでいる。そこまでは別に驚くことではないのだが、今度はソファではなく、僕のベッドの上で寝そべっていたからだ。


「こ、こらー! 何を勝手に人のベッド使っているんだ!」


「なんか……このベッド気持ちよくて……」


「気持ちよくて、じゃない! 早く出ろ早く!」


「あーん、アキトの意地悪ー」


 僕は布団の中に潜り込んで抵抗するパティの腕を掴んで引きずりおろそうとするが、彼女も抵抗するのでなかなか話が進まない。


「というか! 冒険に出るはずだろうよ。いつまでこの街に残り続けるつもりだ?」


「私はアカンサスの民。この街に骨を埋める所存ですっ」


「一時的でいいから出ろって! とにかく僕のベッドからは今すぐ出ろ」


「いーやー。だって気持ちいいんだもん。アキトってば最近全然私と会ってくれなかったよね? こうでもしないとお話だってしてくれないんでしょ意地悪」


「それは……、僕も忙しかったというか」


 嘘だ。忙しくなんてなかった。彼女と別れるっていうことに心の中で抵抗があって、でもしょうがないと感じてた。会えば辛くなると思った僕は、自分から距離を取ることにしたんだ。いつだってそう、自分から去っていく。


「シャー!」


「ぐわあっ!? ひ、引っ掻きやがったな!」


「ふっふっふ。私は今布団という最強の防具を得た。アキトにはこの要塞は突破できまいっ」


 まん丸になった布団から顔だけを覗かせて、カニみたいに左右に動き出したその姿は、昨日見た精悍な旅立ちからは想像もつかない。


 でも、コミカルでわりと可愛い。不意にドアが開いておふくろが顔を出した。


「ご飯できたわよぉ。パティちゃんも……って、あらー!」


「ひゃ、ひゃああ! ち、違うんです! これは違うんですー」


「何が違うんだよ。お前も晩飯食うか?」


 慌てた勇者は、顔を布団の中に潜り込ませてプルプル震えている。




 一階で晩御飯を食べ終えた後、パティはまた僕の部屋に上がってきた。ベッドの位置どりは阻止したので、何とかソファまでに侵攻を抑えている。ちょっと不満げな顔をした彼女だったが、不機嫌な顔もちゃんと絵になるから不思議だ。


「なあ、パティはさ。どうして冒険に出ることをやめちゃったんだ?」


「……だって、大変だから……」


 予想の斜め下の答えが返ってきた。僕はちょっとだけ首を傾げる。


「大変なのは当たり前じゃないか。具体的に何が嫌だったわけ?」


「だってだって! 野宿しなきゃいけないでしょ、トイレが外についてないでしょ、毎日お風呂に入れないでしょ、地獄だよ地獄!」


「あのなあ。みんなそのくらい我慢しているんだぞ。冒険に出れば苦労した分以上の名声や富が手に入っちゃうことも多いし、僕には魅力的に思えるけどなー」


「別にいらない。富や名声なんて。王様にも言われたけど」


「あ! そうだ。王様にも冒険に出ると宣言したんじゃないか。ヤバイぞ、勝手にやめたら」


「……や、やっぱりマズイよね。怒られるよね」


「怒られるとか、そういうレベルで済めばいいけどな。餞別せんべつとかもらってないのか?」


「500マネイとブロンズソード貰ったよ」


「え……500マネイも!?」


 僕は思わず飛び上がりそうになった。500マネイといえばこの辺りではとても大金だ。切り詰めれば四ヶ月半程は生活していくことも可能だろう。アカンサス王はやっぱり気前がいい。


「じゃあやっぱり旅に出なきゃいけないぞ! 断ったらきっと処刑だ処刑!」


「きゃああ! どうして脅かすの? やめてよー」


「脅かしているわけじゃないけど。実際にそうなりそうな勢い感じてるぞ。いくらなんでも500マネイ貰って何もしませんでしたはまずい」


「じゃあ……じゃあ。アキトも一緒に行こうよ」


 僕は目が点になったと思う。あまりにも唐突な冒険のお誘いだ。


「え!? なんでそうなるんだよ。僕にはきっと無理だよ」


「どうして? どうしてアキトは旅に出れないの?」


 彼女はソファから立ち上がって僕に詰め寄って来る。ちょっとだけ背を屈めて、こちらと視線がピッタリ同じようにして真っ直ぐに。パティはきっと街一番の美少女だと思う。サファイアを思わせる青い瞳に見とれてしまったが、恥ずかしくなって慌てて目を逸らす僕。


「いや、だって! 僕には戦う力がほとんどないからだ。パティだって解っているだろ。普通の商人にも満たない能力なんだから、足手まといになることは目に見えてる」


 パティはまだ納得してくれそうにない。顔が近い、顔が。


「そんなの私達が何とかするよ。アキトは頑張ってポーションとか採取してくれればいいんだから、武器屋とか防具屋で半額になるまで値切ってくれたりしたらいいんだから」


「そんなに値切れるか! 僕は苦手なんだよ。そういうの。もうこの話はなしだ。考えたくもない!」


「ううう……関係ないけど……衝動が、強い衝動が私を突き動かしている……」


「へ? 何の話だよ」


「えーい!」


「ふぁっ!? ちょ、ちょっと何すんだよ」


 突然パティが抱きついて来やがったから死ぬほどビックリした。


「えへへ。小さい頃肝試しに行った時は、こうやって抱きついてたよね!」


「いやいや! 小さい頃はそうだけどさ! ちょっとぉ待てって」


 や、やばい……女の子に抱きつかれるなんて、一体どうしたらいいんだ。なんて無防備なんだと、心臓の鼓動が叩きつけんばかりに高鳴ってくる。


 そんな時、またしてもガチャっと扉が開いた。


「アキトにパティちゃん! お菓子持って来たわよー。あ、あらー!」


「ひゃああっ! おばさん、これは違うんです、違うんですー」


 光の速さでソファに撤退して雑誌で顔を隠すパティ。


「何が違うんだよ」


 結局のところ、勇者が旅に出るかどうかの話は進まずじまいだった。

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