第421話 生命の坩堝

 ヴィクトールはこちらの視界から消えたのち、わずかな間を置いてから目の前に現れる。消えたと錯覚させられるほどの高速移動。ただそれだけで奴がとてつもない力を持っていることを理解させられるものであった。


 接近したヴィクトールはその手からなにかを放り投げる。大成と竜夫はほぼ同時に飛び上がって、放り投げられたなにかを回避。頭上を取る。


 大成は上空で直剣を携え、強襲。竜の力で足場を作り、それを蹴り込むことによって本来ではあり得ない加速を行う。


 奴も竜であることに変わりはない。竜殺しの呪いは間違いなく有効であるはずである。傷を負うことになれば、ただでは済むはずはないが――


「本当に、厄介な力だ。ただ触れるだけで我らに仇を為すその力は、何よりも度し難い」


 大成が振り下ろした直剣は防がれる。こちらを阻んだのは、不気味に脈動する膜のようなもの。現時点で、それがなにかは不明であるが――奴の能力によって生み出されたものであることは間違いなかった。


 膜によって攻撃を防がれた大成は再び空を蹴ってその場から離脱。あの膜に触れ続けているのは危険なように思えたからだ。


 大成の離脱と同時に、まだ宙にいた竜夫が弾丸を放つ。竜殺しの呪いの力を受けたことにより、ヴィクトールを守っていた崩れた瞬間に数発の弾丸が襲いかかった。それは意図して行った連携ではなかったものの、完璧というしかないタイミング。


 放たれた数発の弾丸はヴィクトールの身体を撃ち抜く。倒したかに見えたが、弾丸によって撃ち抜かれたそれが泥のようなものと化して崩れ落ちる。弾丸によって撃ち抜かれたそれは明らかな身代わり。


「まず殺すべきは貴様だろう。その力はいついかなる時であれ我らにとって最大の脅威だ」


 背後からヴィクトールの声が聞こえ、大成は振り向きつつ防御を試みる。だが、攻撃は飛んでこなかった。そこにいたのは、先ほど戦闘を行った顔のない人型。視界で捉えると同時に、それは急速に肥大化していって――


 まずい。目の前に現れたそれの危険性を一瞬にして察知。大成はすぐさま宙を蹴り、後ろへと離脱を試みる。直後、肥大化したそれは弾け飛ぶ。直撃こそなんとか回避したものの、広範囲にまき散らされた衝撃と熱を避けきることはできなかった。大きく後ろへと吹き飛ばされる。


 強い衝撃によって脳が揺さぶられ、視界が歪む。姿勢を整えなければならないが、回避しきれなかった衝撃のせいで身体が思うように動いてくれなかった。


 頭上にヴィクトールの姿が目に映る。防がなければと思うものの、まだ身体のほうは復帰してくれなかった。


 頭上のヴィクトールがその手に槍のようなものを構える。それは、ただ敵を刺し貫くために創り出された武骨なもの。それは、こちらの身体が復帰する前に無慈悲に投擲され――


 その槍は、大成の身体を貫くことはなかった。投擲された槍を竜夫が防いだのだ。


「……助かった」


 竜夫が槍を防いだ直後に大成の身体は復帰し、床に着地すると同時に礼を述べる。もし、一人であったのなら間違いなく致命傷を負っていただろう。


「別にいいさ。お互い様だ」


 竜夫はそう返し、宙に立つヴィクトールへと目を向けた。


 ヴィクトールは、この空間すべてを支配するかのように宙に立っている。その姿はまさしく圧倒的な強者というに相応しい。


「二対一、というのは厄介なものだ。一対一で会ったのなら決まっていたものも決まらんのだからな。でもまあ、それも強者の定めというものだろう。上に立つものとして、受け止めなければならんからな」


 二対一というどう考えても不利な状況であるにも関わらず、ヴィクトールからは余裕に満ちていた。


「それは……俺たちが雑魚ってことか?」


「まさか。我らの刺客を退け続け、ここまで生き残ってきた貴様らが雑魚なわけあるまい。その程度を見誤るほど、俺の目は衰えていないつもりだが」


 はっきりと力強く、ヴィクトールは言葉を返してくる。そこに、偽りは一切感じられなかった。


「ただ、俺がそれ以上に強いというだけのことだ。全力で来いよ異邦人ども。遠慮することはない。卑怯だろうが外道であろうが許されるのが戦いというものだ。そちらは二人いるのだから、存分にそれを有効活用すべきだと思うが。それでもなお蹂躙するのが俺の役目なのだからな」


 こちらを見下ろしながら、ヴィクトールは言う。


 そこからは、自身の強さに絶対の信頼を持っていながら、油断や傲りが一切ない。


 さすが、竜どもの頂点に立つだけのことはある。いま目の前にいる敵は、間違いなくいままでで最大の相手というに相応しい。


 それでもなお恐怖はまったく感じなかった。敵の強さをはっきりと理解しているにも関わらず。それはきっと、奴を倒さなければここから生きて帰ることは絶対にできないというだけではないのだろう。


 ここですべてを出し切り、ヴィクトールを倒し切るべきだろうか? 奴が、いままでの敵以上に出し惜しみをしていい相手でないことは間違いない。それがわかっているのに、そうするのは少し危険なように思えた。


「というわけだ。俺も全力で貴様らを葬らせてもらおう。俺は、我らのすべてを背負ってここにいる。上に立つものとして、それは絶対に果たさねばならない義務なのだから」


 その言葉の直後、ヴィクトールの周囲に先ほど投擲した槍と同じようなものが無数に展開される。こちらの視界を埋め尽くすようなそれらは圧巻というよりほかにない。


「では、死ね異邦人ども。我らの再誕の礎となるがいい」


 視界を埋め尽くすように展開された無数の槍が一斉に放たれる。それはまさしくその一つ一つに必殺の威力を誇る雨であった。


 大成と竜夫は降り注ぐそれらをなんとか凌いでいく。降り注ぐ槍を避け、弾いていくが、たった一つで必殺の威力を持つそれらを防ぐのは簡単なことではない。被弾を避けても、どんどんとこちらの力を削っていく。


 爆撃というに相応しい槍の雨を避けながら、大成と竜夫は変わることなく宙に佇むヴィクトールへと向かっていった。


 このままじゃ、火力で押し切られる。そう判断した大成は竜の力を解放。その力を直剣に溜め、一気に解き放った。それは、降り注ぐ槍の雨をなぎ倒しながらヴィクトールへと向かっていき――


 放たれたそれは空を切った。ヴィクトールの姿が消える。だが、その姿が視界から消えても見失うことはなかった。右横から気配。竜の力を乗せた直剣をそこに向かって振り下ろした。


 斬った感触はあった。だが、それは先ほど同じく泥のように溶けて消える。向こうも、こちらが追いついてくることをわかっていたのだろう。


 背後から接近する気配を察知したものの、力を込めて放ったため、反応が遅れてしまう。


 こちらの背後の回り込んだヴィクトールを竜夫が迎撃。ヴィクトールの槍と竜夫の刃が衝突。


 竜夫がヴィクトールの動きを止めたことにより、遅れていたこちらも動き出す。ヴィクトールの横へと回り込んだ。二対一だからこそできる戦法。


 先ほど解放した竜の力はまだ残っている。これさえ当たれば、どれほどの強者であっても殺し切れることは間違いなかった。残った力を振り絞り、竜殺しの剣を振り下ろした。


 仕留められる。そう確信できる一撃。それは、竜夫によって動きを止められていたヴィクトールへと吸い込まれるように向かっていき――


 その身体を両断した。竜殺しの呪いに満ちた刃によって、その身体は弾けるように溶け――


「見事なものだ。我らが放った刺客がやられたというのも頷ける」


 竜殺しの刃によって斬り捨てられたはずのヴィクトールが、先ほどまでいた位置から数メートルほど離れた場所に現れる。


 なにが起こった? いまのはどう考えても回避できるタイミングではなかった。身代わりと入れ替わる猶予すらもなかったはずである。なにより、間違いなく奴の身体を斬っていたはずなのだ。


 なのにも関わらず、何故奴は生きている?


「どうした? いまのは間違いなく殺したはずだ――そう思えたのか?」


 こちらの思考を読み取ったかのようにヴィクトールが語りかけてくる。


「残念だが、そう簡単にはいかんのが現実というものだ。この程度でやられてしまったら、他の者に示しがつかんからな」


 そう言ったヴィクトールは余裕そのものだ。一切ダメージを負っているようには見えない。


「だが、いまのはなかなか危なかったな。やはり、簡単にはいかんか。それでこそ、倒すべき敵というものだろう」


 ヴィクトールはその手に携える槍を構え――


 それを、自身の足もとに突き刺した。

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