第399話 写し身の影

 先んじて動き出した白い影を竜夫は迎え撃つ。


 奴が行ってくる手段は、こちらにしてみればよく知ったものである。それは、いままでの戦いを切り抜けるために、死地において生み出したものなのだからそれは当然だ。だからこそ、それらの対処が難しいことをよく知っている。


 現れた奴が実際どのような存在なのかは不明だが、敵に化けるというのはよくできたものだ。自分自身が行っている手段というのは、よく知っているものの、敵に同じことをされることはあまりないのだから。


 奴がこちらをどこまで模倣しているのかはわからないが――これまで戦ってきた感じからすれば、かなり深いレベルでこちらを理解していることは間違いなかった。場合によっては、化けた時点でのこちらの記憶すらも模倣している可能性もあるだろう。


 考えれば考えるほど、厄介な相手だ。多くの存在は、自分自身と戦うことなどまず起こらない。それゆえに、自分自身と同じことをしてくる相手と戦うことに慣れていないのだ。それは、いまの自分も同じである。


 先んじて動き出し、接近していた白い影が刃を振るう。視認が極めて難しいそれは、理論上すべてを切り裂くことを可能とする極薄の刃であった。


 奴はただ、敵に化けるだけの存在ではない。化けた対象の持つ能力を十全に扱うだけの力を有している。本来であれば、薄いゆえに非常に脆く、扱いが難しい極薄の刃を問題なく振るっていることからもそれは確実だ。


 それだけの技量を持ち合わせていることを考えると、通常の武器を用いることで極薄の刃を破壊するという手段は難しい。破壊に失敗すれば、致命傷を負わされる可能性も充分にある。そうなってくると、同じものをぶつけるのが最善であった。


 理論上はすべてを切り裂く魔性の刃がぶつかり合う。ぶつかり合うと同時に、矛盾でも起こしたかのように双方の刃が砕け散る。


 極薄の刃はまだ対処の仕様があるのでまだいいほうだ。見誤りさえしなければ、こちらも同じものを創り出してぶつければそれで防げるのだから。問題は――


 刃を砕かれた白い影は怯むことなく距離を詰めてくる。踏み込みつつ、こちらに向かって掌底を叩きこむ。


 竜夫はそれを横に回り込むようにして回避。一見、素手での攻撃でしかないが、触れる同時に刃を創り出すことによってその座標に刃を割り込ませれば、どのような強度であったとしてもそれを無視することができる凶悪な攻撃となる。これも、非常に硬い相手を倒すために戦いの中で編み出した手段であった。自分のものであるがゆえに対処はできるが、それでも防ぎ得ない以上、非常に厄介な手段だ。


 使われてはじめて、防ぎ得ない攻撃手段というのが、とてつもなく厄介なものであることを認識させられる。


 回り込んで白い影の一撃を回避した竜夫は前へと踏み込む。白い影の胴体目がけて、自身の掌を叩きつけた。


 幻影のような存在であるが、実体がある以上、触れることも可能だし、ダメージも負う。そして、一定以上のダメージを受ければその身体も維持できなくなるはずだ。場合によっては、殺すこともできるはず。であれば――


 こちらがされて嫌な手段というものは、相手にとっても同じことである。奴が幻影のような存在であったとしても、必要以上にダメージを負うのはよしとしないはずだ。


 白い影は身体を逸らすようにしてこちらの掌底を回避。そのまま流れるような動きで距離を取った。


「厄介なことをしてくるものだ」


「お互い様だろ。というか、それはこっちの台詞だ」


 そう言い返すと、「まったくもってその通りだ」と悪びれる様子もなく返答してくる。近場でもぶれて見えるほど胡乱な存在のため、どのような表情をしているのはまったく見えなかったが、その声音からどのようにしているのか想像がついた。


 こちらの攻撃を回避したり防御したりしているところを見るに、奴がダメージを負うことは間違いないようだ。ダメージを負わない、あるいはこちらといま現在戦闘している影にダメージを負ったとしても、その大元には損害が一切返ってこないのであれば、わざわざ攻撃を回避する必要などない。攻撃を受けながら、無理矢理反撃をすればいいのである。攻撃をしている最中に回避をするというのは構造的に不可能であるのだから。


 それらを考慮すれば、いま目の前にいるあの白い影は、れっきとした本体なのだ。


 本体なのであれば、奴さえ倒せば終わりであるが――


 それは、簡単なことではない。奴はこちらが生き延びるために戦いの中で編み出した数多くの手段を十全に扱うことができるのだ。敵にされてはじめて、それらの手段がかなり厄介なものであることを認識させられた。


 なにより厄介なのは、自身の身体から刃を生やしての防御だ。攻撃に対して的確に行うことができれば全方位、どの場所であっても防ぐことを可能とする手段。そのうえで同時に反撃も行える。位置によってはその反撃で殺しうることも可能だ。そうでなかったとしても、攻撃に使った手足を破壊されかねない。


 反撃を考えると、敵に直接触れて刃を創り出すのは極めて危険だろう。刃を突き刺せたとしても、こちらの腕を破壊される可能性が非常に高い。あとのことを考えている場合ではないことはわかっているが、それでもここを切り抜ければ終わりではないのもまた事実である。目的はあくまでも、敵の撃破ではなく、『棺』の破壊なのだから。


 身体から刃を突き出させる防御を無効化しうる手段は、魔弾が極薄の刃となるが――


 極薄の刃は少しでもずれた位置から衝撃を加えれれば、そもそもが脆いものである以上、容易に破壊されてしまう。場所によっては、刃ごとこちらの身体にダメージを負わせられる可能性もある。


 それに、極薄の刃を扱えるのは向こうも同じだ。同じものを扱える以上、こちらの極薄の刃を防ぐことは容易である。先ほどこちらがやったように。こちらにできる手段は、こちらに化けた相手にもできるのが当然なのだから。


 もう一つは着弾箇所に刃を創り出す魔弾であるが――魔弾は弾速こそ速いものの、直線的であるために回避はそれほど難しくない。武道の達人であっても弾丸を回避できるくらいなのだから、超常の存在である奴にとってはさらに簡単なものであろう。


 それは、こちらも同条件ではあるものの――こちらは自分がやっていることを敵にされることに慣れていない。そここそが、目の前にいる敵に化けるという奴が持つ大きなアドバンテージである。


 どうにかして、これらの厄介な手段を潜り抜けて、奴を倒さなければならないが――


 いまのところ、それは見えてこない。まさか自分がやっていた手段がここまで厄介なものであるとは。人間、自分自身のことは案外見えていないというが、まさしくその通りである。


 奴を倒すのであれば、化けた時点での自分自身をなんらかの形で上回る必要があった。短時間でそのようなことが可能なのか?


 いや、と思い直す。できなければ、この場を切り抜けて進むことはできないのだ。であれば、やるしかない。ついさっきの自分自身を上回る。敵の本質は、自分自身だ。こちらに化けた何者かではない。


「一つ、訊きたい」


 竜夫は、十メートルほど離れたところにいる白い影に語りかけた。


「あんたは、何者だ? どうにも、あんたが他の竜どもとは同じに思えなくてな」


 こちらの問いかけを聞いた奴は「俺のことが気になってるってわけか。それは嬉しいねぇ」などとおどけた調子の言葉を返してくる。


「俺は、重要な存在を守るためだけに創り出されたものだよ。要は、ただの替え玉だ。十全にその役目をこなすために、意思だのなんだのは与えられているが、根本的にはただの竜どもによる被造物に過ぎない」


 その言葉に卑屈さはまったくない。ただ純然たる事実を述べているだけのように聞こえた。


「それともなんだ、そんなもんでいいのかとか説教するつもりか? 悪いがその気はないね。これでも俺はそこそこいい身分が与えられていてね。それなりに満足している。なにより――」


 白い影はこちらを見据えた。


「俺は、俺を創り出したあの竜どもがどれほどの存在なのか、よく知っている。奴らに反旗を翻そうなんてのは馬鹿で無謀であるとしかいいようがない。勝つ見込みのない反乱なんて、するつもりは一切ない」


「別に、あんたをたぶらかそうとなんてつもりはないさ」


 ここで自分に与してくれる敵がいるはずもない。そうでなければ、ここで立ちはだかりなどしないだろう。


「あんたを倒して、先に進ませてもらう。用があるのは、この先だからな」


 竜夫は刃を創り出し、構える。


 敵は、鏡に映った自分自身。それを打ち破るために、なにが必要になるのかを見極めなければならない。


 ゆっくりと息を吐く。


 己を破るための戦いは、さらに加速する。

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