第391話 忌まわしい記憶とともに

 この状況から勝利を導き出すには、いまできる限りの最善を尽くす必要がある。どれも欠けることは絶対にあってはならなかった。


 第三陣がこちらに迫ってくる。先に来たのは、機動力に優れる獣型の個体。素手で殴っても倒せるくらい脆弱ではあるものの、獣らしい攻撃力と機動力は決して侮っていいものではなかった。


 相変わらず、敵の数が減っている様子はない。間違いなく仕留めているのにも関わらず、数が減っていないということは、やられた先から次々と戦力を補充しているのは確実だ。膨大すぎる戦力を持っているからこそ、できる戦術。効率性さえ無視すれば、これほど効果的な戦術は他にないだろう。


 やはり、この状況を突破するには、どこかで奴の想定を上回らなければならなかった。そのとき鍵になるのは、先ほどブラドーが提案した戦法。


 いままで実行に移したことがなかったため、ぶっつけ本番できるのか不明瞭な部分はあるが――できない理由は存在しないし、なによりできなければこの状況を打破することもできないのだから、どちらにせよやる以外の選択肢は残されていなかった。


 迫ってきた獣型の個体を叩き切り、さらに前へと進みつつ、すぐさま迫ってきた二体目を蹴り倒して処理。


 スライム状の個体以外は極めて脆弱なので、攻勢を維持できていればなんとかなるが、この状態をわずかでも崩されたら急激に悪化する可能性は充分にあった。そして、その危険性は長引けば長引くほど高まっていく。少しでも早くこの状況は突破すべきであるが――


 圧倒的な数によって攻めてこられる状況で、下手に焦るのはあまりにも危険であった。機会を見誤ってはいけない。状況が状況だけに耐えなければならないときも多くある。


 無数の紙片によって守られている奴との距離は十メートルほど。距離的には短いが、雑魚が大量にいるという状況では、その距離は大河のごとき隔たりを生んでいる。


 まだ空中に設置された紙片はまだ残っていた。あれさえなければもっと簡単にことを運べたはずであるが、そんなことを言ったところで状況が変わってくれるはずもない。


 のっそりと人型の個体が迫ってくる。動きは鈍重だが、一切自身の身を顧みることなく組みついて自爆を仕掛けてくる奴らは極めて危険な存在だ。奴らに掴まるのは、獣型の個体に攻め込まれるよりも遥かに危険である。もう命のストックがない以上、掴まって自爆されたら耐えられる確率は極めて低い。しっかりと処理する必要がある。


 とはいっても、動きは極めて鈍重のため、処理すること自体はそれほど難しくない。迫ってくる人型の個体を、直剣を振るって斬り捨てていく。


 さらに前へと出る。まだ距離は遠い。あれを使うのであれば、もう少し近づくべきだろう。はっきり言ってあれは奇襲の類だ。成功する確率が高いのは一度きり。二度目がうまくいく保証はまったくない。あの女が一度見せられた手段をもう一度許してくれるとは思えなかった。


 こちらを阻むようにしてスライム状の個体が立ちはだかる。こいつらだけは耐久力が高く、物理的な手段だけで倒すのは非常に難しい。


 大成は手に持つ直剣に、竜の力を乗せ、一気に薙ぎ払う。


 耐久力に優れていたところで、あれが竜の力によって造られた存在である以上、こちらの呪いは有効だ。多少力を込めれば、それだけで即時破壊できる。そのぶんこちらの消耗が激しくなるが、消耗を恐れた結果、スライム状の個体を突破できず、獣型の個体に組みつかれたり、人型の個体の自爆を食らうことのほうが遥かに痛い。どうするべきかの判断を誤ることは敗北に繋がるのだ。それだけはなんとしても見誤ることはないようにしなければならなかった。


 スライム状の個体を処理したところでさらに前に出る。あと少し。もう一歩距離を詰めたいところだ。そこからなら、奇襲を仕掛けるには充分な距離であろう。


 だが、敵がそれを許してくれるはずもない。スライム状の個体がこちらを遮り、人型の個体や獣型の個体が横や背後から襲いかかってくる。


 無理に前に出ようとはせず、最初に迫ってきた獣型の個体を処理。掴みかかってくる人型の個体を避けつつ、直剣を伸ばして人型の個体の頭部を打ち抜いた。さらに別のスライム型の個体がこちらの行く手を遮ってくる。蠢く肉の塊のようなそれは近場で見ると、否応なしに不快感を抱かせるとてつもなくグロテスクな存在であった。


 恐らく、回り込もうとしても他にもたくさんいるスライム状の個体がこちらを阻んでくるだろう。奴らを避けて近づくのは極めて困難だ。となると、奴らを処理するしかないが――


 当然のことながら、敵はこちらの思うようにさせてくれるはずもない。人型の個体や獣型の個体が次々と迫ってくる。


 刃を振るい、殴り、蹴り、次々と打ち倒していくものの、状況はまったく好転してくれない。ただこちらの力を削り取られていくばかりだ。こちらは奴の保有する戦力とは違って有限である以上、長引けば長引くほど、状況は悪くなっていく。


 あと一歩が極めて遠い。ここさえ切り抜ければ、なんとか奇襲を成功させやすくなるというのに。本当に難儀なものだ。特に、いまのように多勢に無勢であるときは。


 とはいっても、弱音など吐いていられるはずもない。なにがどのようになったとしても、ここをどうにかできなければ、生き残って前に進むことはできないのだから。別に、死ぬのは構わない。元より、守るべきものも執着しなければならないものも持たぬ身だ。ただ、なにも成し遂げることなく死を迎えることだけが耐えられないというだけ。


 人型の個体と獣型の個体を何体か倒し、わずかな切れ目ができたところで――


 大成は手に持つ直剣に再び竜の力を乗せ、大きく薙ぎ払う。それにより、こちらを遮っていたスライム型の個体群と、近場にいた数体の人型の個体と獣型の個体を巻き込んだ。


 敵までの道が切り開かれると同時に、充分な距離となった。


 ここだ。そう判断した大成は、竜の力を解放し――


 瞬間移動したかのような速度で、白衣の女へと接近。


 行ったのは、自身の身体に流れる血を操作することによる身体能力の爆発的な強化。血を操ることで自分の身体を変形させることができるのであれば、血を操作することによって身体能力を爆発的に向上させることも可能であるはずだと、ブラドーが言ったのだ。


 竜の力の解放と、血の操作による爆発的な身体能力の強化。この二つが合わされば、圧倒的な堅牢さを誇る大量の紙片にすら脅威となり得るだろう。


 竜の力を解放したことによって、直剣は巨大な剣へと変貌。それは、どのような存在であれ、等しく死をまき散らす災厄というに相応しい。それを、飛び上がって振り下ろす。


 巨大な剣と紙片が衝突。通常の状態では防ぎきれないと判断した奴は、紙片を一点に集中させてこちらが振り下ろした巨大な剣を押しとめる。


 狙い通りだ。それを防いだとしても、もう一つの剣がお前を狙う。


 大成は防がれた巨大な剣を爆散させる。爆散した巨大な剣は禍々しい赤黒い霧へと変貌。霧状となった竜殺しの血が必殺の一撃を防いだ白衣の女を含め、周囲にあるすべてを包み込む。


 奴を守っていた紙片は、完全に密閉されていたわけでもない。とてつもなく強固な網目のようなものだ。であれば、霧状となった血を防ぐことは不可能だ。


 霧状となった竜殺しの血を浴びれば、どうなるかは考えるまでもない。


 周囲を呑み込んだ赤黒い霧が晴れていく。そこにいたのは、全身から大量の血を流しながら倒れている白衣の女の姿。


「き、貴様……」


 あれだけの竜殺しの血を浴びてもまだ奴は生き残っていた。だが、誰が見ても放っておけばすぐにでも確実に死ぬことがわかる状態であった。


 大成は、血の刃を失った短剣を倒れた女へと突き立てた。背中から心臓を貫かれた白衣の女の動きが止まる。


『どうやら、なんとかなったようだな』


 ブラドーの声を聞き、白衣の女が絶命したことを確認し、短剣を引き抜いて立ち上がる。


『だいぶきつかったけどな』


『まあ、死ぬよりはマシだろう。一応、お前は復讐を果たしたわけだが、まだ終わったわけではない』


『わかってるよ。すぐに行こう。ちゃんとやることを全部済ませないとな』


 大成はブラドーへそう返し――


 倒れた白衣の女が動き出さないことを改めて確認したのち、先へと進んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る