第355話 辿り着いたものたち

『棺』へ突入と同時に大成は変身を解き、竜へと戻った。突入したときの勢いで十メートルほど滑ったのちに立ち上がる。


「……ここが『棺』か」


 自分が突入してきた場所こそは見るも無残に破壊されていたものの、それ以外は侵略を行う大規模な兵器とは思えないすっきりとした内装をしていた。かつていた世界の、駐屯地よりもずっと小綺麗である。


 見たところ、あたりには誰かの姿はなく、周囲からも誰かの気配は感じられなかった。


「寂れているわけじゃあなさそうだが、なんだか空虚だな」


 長らく誰も使っていない部屋のようであった。あの中には、こちらを待ち受けている人間の身体を乗っ取った竜どもがたくさんいると思っていたのに、少しばかり拍子抜けである。


『ここは兵器である以前に竜どもの本体を保存する場所だからな。なにより、いま動いている連中はごく少数だ。そのうえ、これだけの大きさでもある。活気がある場所にはなり得ない』


 国家の軍を完全に掌握できるレベルを動員しておきながら、それでもなおごく少数とは、奴らは一体どれほど規模を持っているのだろう。かつていた世界では、『怪物』が現れる以前の人類の総数は五十億だか六十億であったのは知っているが、竜たちの総数はそれよりも遥かに多かったのかもしれない。大きな力を持ちながら、それだけの数がいるとなると、こちらの想像を超えるほどとてつもないものである。


「……そういう話を聞くと、俺たちがどれくらい馬鹿な真似をしているのかわかるな」


『まったくだ。酔狂にもほどがある。一体、なにを考えているのだろうな』


 ブラドーの自虐めいた皮肉を聞きながら、『棺』の内部を進んでいく。竜たちの姿は一切なく、空虚な廊下が延々と続いていた。その静けさは、ただならぬなにかを感じさせる。どれだけ静まり返っていても、ここが敵の本拠地であることに変わりない。気を抜いていいはずもなかった。


「…………」


 静寂に包まれた『棺』内を進んでいたそのとき、突如なにかが失われたような感覚に襲われた。気づかないうちに自分の身体が何者かによって傷つけられたわけではない。にもかかわらず、はっきりと自分の身体の一部を構成していたものが失われた感覚。それは気のせいというにはあまりにもリアルだった。


『……どうやら、あの男が死んだようだ』


 それは言うまでもなく、ここに到達するために死力を尽くしてくれたアースラのことである。奴の状態を考えれば、いつ起こってもおかしくないことであったが、わかっていたとしても誰かが失われるというのは心に響くものである。


「……そうか」


 カルラの町から飛び立った時の状態を考えれば、安らかに死んでいったはずはない。その死が地獄のような苦しみを伴っていたことは容易に想像できた。


 先ほどの喪失感は、竜の力によって構築された繋がりが失われた感覚だったのだろう。それは想像以上に悲しげな感覚であった。たいした付き合いもなかったはずなのに、自分にとって大きなものが失われたのかもしれない。


 ……つくづく、馬鹿な男だ。自分以外の多くを救うために、地獄のような苦しみを味わいながら死んでいくことを選ぶなんて。その先になにも成し遂げられなかったのなら、どうするつもりだったのだろう? いまの状況を考えれば、とっくの昔に詰んでいたい等しい状況であったのに。


 だが、それでもあの男を笑うことなどできなかった。馬鹿で愚かであろうと、あの男がやったことは間違いなく英雄の行いなのだから。後世の誰かであればともなく、いまここにいた自分たちだけは奴を笑ってはならないのだ。なにがあったとしても、それだけは絶対に許されない。


 なにより、奴がいなければ自分たちはここまで到達することはできなかっただろう。いまここにいられるのは、あの男が地獄のような苦しみを味わいながらも協力してくれたからなのだから。


『俺だ。聞こえるか?』


 空虚な廊下を進みながら、大成は氷室竜夫に交信する。


『ああ。聞こえる。そっちも無事みたいだな』


 数秒ほどの間を置いて、氷室竜夫の声が返ってきた。こうやって言葉を返してきたということは、向こうもここに辿り着いたのだろう。


『なんかかな。そっちの状況はどんな感じだ? こっちは敵の本拠地なのかって思うくらい静かなんだが』


『同じようなもんだ。こっちも、敵と思われる奴らの姿はいまのところない。俺たちがここに侵入したことはわかっているはずだから、油断はできないな』


『あんたは、死ぬなよ』


『どうだろうな。断言はできないが、俺がやるべきことはしっかりとこなすつもりだ。そっちこそ死ぬんじゃないぞ。俺とは違って、あんたには戻るべき場所も大切な誰かもいるんだからな』


 こちらの言葉を聞き、氷室竜夫は『そうだな』とだけ返してくる。


『それじゃあ、なにかあったらまた連絡してくれ。俺にできることなんてたいしてないが、一人よりはマシだろう』


『わかった。それじゃあな』


 氷室竜夫の返答を聞いたのち、大成は交信を切った。


 相変わらず、延々と静寂に包まれた空虚な廊下が続いている。少し前まで、外であれだけの戦闘を行っていたのが嘘だったかのようだ。


『外はどうなってる?』


 ブラドーに問うと、『いまのところ、まだ動きはなさそうだ』とすぐさま返してきた。


『だが、いつ地上に対して戦力を向かわせてもおかしくない。なにしろ、ティガーたち――いやカルラの町の住人たちは、竜たちに対して反意を見せたのだ。潰しにかかったとしてもおかしくない』


 ウィリアムをはじめとしたティガーたちがどれだけ耐えられるかは不明だが、それが長く続かないのは間違いなかった。相当甘く見積もっても、持ちこたえられるのは数日が限度だろう。それ以前に、こちらが補給も休息もままならない状態で数日戦えるはずもないが。一気にカタをつける以外、勝ち目はなかった。


『そういえば、どこを目指せばいいんだ? この広さだと、適当に進んで目的の場所まで辿り着けるとは思えないが』


『目指すのは、ここの最奥――竜たちの本体が保存されている場所だ。そこさえなんとかできれば、俺たちの勝ちだから。それがどの方向にあるかは、お前でもわかるはずだが』


 そう言われ、大成は感覚を研ぎ澄ましてみる。


 するとそれはすぐに感じられた。圧倒的な存在感。いままで感じたなによりも大きな『なにか』がそこにあった。まだ離れているはずだが、すぐそこにあると錯覚するほどそれは強い。間違いなくそれが、竜たちの本体を保存している場所――ここの中枢といってもいい場所だ。


「場所はわかるが――どこをどう進んだらそこに行けるんだ?」


『俺が案内しよう。俺の探知能力や感覚はたかが知れている。あまり期待はするな』


「なにもないよりはましだ。どっちにしても急がないとな。悠長にしていられるとはおもえないし」


 そこまで言ったところで、かすかな振動が感じられた。大成は足を止め身構えたものの、敵の姿はどこにもなく、あたりは静寂に包まれたままであった。


『どうやら、地上にも戦力を向けられたらしい。なにが送り込まれたのかはわからんが、俺たちが戻るわけにもいかん。そっちは、地上にいるティガーたちに任せよう』


 地上にはウィリアムたち以外のティガーも出張っている。彼らがどれくらいの戦力であるかは不明だが、持ちこたえてくれることを信じる以外、できることはなかった。


 未だに『棺』の中は静寂に包まれている。異様なほどの静けさであったが、それがより不気味さを醸し出していた。


 とにかく、進むしかない。もう戻ることはできなくなってしまったのだから。


 大成は、あたりを警戒しつつ、静寂に包まれた『棺』を進んでいった。

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