第312話 決戦前

 不安は残っているものの、こちらにできることはもうすでにない。アースラと、ウィリアムたちを信じよう。彼らなら、やってくれるはずだ。


 わずかとはいえ光明が見えたことで、この拠点の中に満ちている空気が明るくなったように感じられた。このような窮地に立たされても、生き残ったこの町の人たちの希望はまだ消えていない。であれば、こちらもそれに応え、為すべきことを果たすべきだ。この町が窮地に立たされた原因の一つは、間違いなくこちらにあるのだから。


「……帰ろう」


 時間的にはまだ昼のはずだが、特になにかしなければならないことがあるわけでもない。明日から『棺』突入のために本格的に動き出すのだ。休めるときにしっかり休んでおくことは大事であることは疑いようもない。


 遺跡の中にある拠点は以前よりも慌ただしいように思えた。なにしろ町が壊滅したに等しいのだ。そんな状態でのんびりしてられるはずもない。


 借りているテントへの帰路を進む中、これから行われる作戦についてもう一度考えを巡らせてみる。


 正直なところ、あれが本当にできるのかどうかはわからない。できるかどうかはすべてアースラとウィリアムたちにかかっている。無論、なにか協力できることがあれば手伝うつもりであるが――あれは、その性質上前もっての練習が不可能だ。そのあたりも不安要素の一つである。その時になって、できないと判明する可能性も決して低くはない。


 ぶっつけ本番でやるしかないというのは、誰であっても厳しいものである。要となるウィリアムたちも、その重圧を強く感じているのは間違いない。


 だが、それでもやるしかなかった。あれがうまくいかなければ、自分たちもティガーたちもその先は閉ざされてしまうだけだ。いつも通りのことであるが、駄目なら取り返しがつかないというのは、何度経験しても慣れることはない。


 なにより、ティガーたちを援護するアースラの容態も気になるところだ。いつ死んでもおかしくない状態となった彼がいつまで耐えられるのだろうか? アースラの身体を蝕むものは精神論でどうにかできるレベルをとっくに超えているはずだ。それなりの時間――具体的に言えば自分と大成が『棺』への突入を果たせるまで――彼が保ってくれないのであれば、あの作戦の成功率は著しく低くなってしまう。


 そういうことを改めて思い返していると、本当に遠くまで来てしまったことが感じられた。自分を守るために、もとの世界に戻るために動いてきただけだというのに、多くを得て、失ったような気がする。


 いや、思い返すのはやめておこう。まだなにか達成できたわけではないのだ。思い返すのは、やるべきことを済ませてからのほうがいいだろう。いまはまだ、そのときではない。


 昼も夜も関係なく明るい拠点の中を進んでいく。テントまで半分くらいの距離を進んだところで――


「よお」


 向かいからクルトがやってきて、こちらに声をかけてきた。


「またなんか、でかいことをやるつもりなんだってな。あんたにも目的があるんだから止めはしねえが、無茶はするなよ」


 クルトの軽い調子の言葉からは、疲労が感じられた。


 それも無理もない。帝都が崩壊してから、ずっと移動ばかりしているのだから。それも、結構な人数の子供たちと一緒に。子供たちはみなこんな状況になっても弱音を吐かない強いよくできた子たちであるが、それでも他人の命を預かるというのは相当の負担になるものだ。


「それは、お互い様だろう。あんたも少しくらい休んだほうがいいんじゃないか?」


 こちらの言葉に対し、クルトは「かもしれねえな」と彼らしくない調子で言葉を返してくる。


「子供たちは大丈夫か?」


「いまのところは。こんな状況が続いているっていうのにな。子供なのによくできたもんだ。ガキの頃の俺に見せてやりたいね」


「…………」


 クルトがどんな子供だったのかは不明だが、裏社会の住人たるギャングの一員になったくらいだから、順風満帆で裕福な暮らしはしていなかったことは間違いない。


 そこで、竜夫は思い出した。この町の戦いで、彼の所属するギャングのリーダーであったアンリが竜によってその身体を奪われ、誇り高き死を選んだことを。


 あの老婆をこの手で殺したことを、彼に伝えるべきだろうか? 竜夫は無言のまま十数秒ほど悩み――


「あんたに話がある」


 こちらがそう切り出すと、クルトは「なんだ改まって」と返答をしてきた。


「あんたの親分である、あの婆さんの話だ」


 そう言って竜夫は竜によって身体を奪われたアンリが刺客としてこの町にやってきたこと、そしてこの手で彼女を殺したことをかいつまんで話した。こちらの言葉を聞き、クルトは神妙な面持ちとなり、押し黙る。数十秒ほど沈黙の時間が続いたところで――


「……そうか」


 遠くを見つめながら、短く返答する。


「いいのか?」


「どうだろうな。急な話過ぎて、俺もまだ整理ができていないが――」


 クルトはそこで一度言葉を切り、ゆっくりと息を吐き出した。


「少なくとも、俺はあんたがボスを殺したことを恨むつもりはねえよ。あの人なら、そう言うことくらいわかるからな。でもまあ、なんだろう。殺しても死にそうになかった人が死んじまうってのは、なかなか衝撃的だ」


 こちらには、クルトとアンリがいわば上司と部下のような関係だったことくらいしかわからない。だが、それでもなお彼らがそれなりの長い期間の付き合いがあったことは理解できる。長い付き合いであれば、思うことがあって然るべきだ。死というものは、唐突に訪れる。それを、このような状態で聞くことになったのなら、なおさらだ。


「ボスは俺たちになにか言っていたか?」


「子供たちが無事でよかった、と」


「そんな状況でも子供たちを気にかけていたのは――あの人らしい。この件がどうにかなるまで、あいつらを守らなきゃならなくなっちまったな」


 クルトの言葉はどことなく嬉しそうに聞こえた。


「子供たちを頼むよ。僕は僕がやれることを全力で尽くす。だから――」


「わかってるさ。わざわざ言う必要はねえよ。誰にだって、やらなきゃならないことがあるのは当然だからな。あんたは、あんたがやらなきゃならんことをやってくれ。それは間違いなく、俺にはできないことだからな」


 こちらの言葉を遮るようにクルトは言った。


「それじゃあ、帰ろうぜ。またなにかやるんなら、休息は必要だろうし、なにより嬢ちゃんの心配を解いてやんな」


「……そうだな」


 竜夫は返答し、二人でテントへと戻っていった。

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