第296話 切り札
リチャードが投げつけた小瓶は白衣の男へと命中し、砕けた。砕けると同時にその小瓶の中に入っていた液体が奴へと降りかかる。
とりあえず命中はしたものの、これからが問題だ。これが本当に奴に通用するのか、仮に通用したとしてもその効果が発揮するまでどれだけの時間を要するのかどうかもわからないのだから。こちらは、奴の力がどれほどのものなのかはっきりと見えたわけではない。これで倒せなくとも、他の仲間がその機会をつかめることができればいいのだが――
いま自分にできる最善を尽くす以外、できることなどなにもなかった。戦いというものはいつだってそこに帰結する。
「……なにをするつもりだったのかはわからんが、私の力が貴様の力と同質であり、なおかつ私のほうが上回っているという現状は絶対に覆らない以上、貴様の毒は私には効かぬ」
白衣の男は平然と言葉を返してくる。間違いなく毒を浴びたというのに、その身に影響は一切現れていなかった。少なくとも、いまのところは。
「ティガーは捕えろと言われているが、そちらの三人は移送し、貴様だけは私がいただくとしよう。なにぶん、私と同質の力を持っている存在というのはなかなかお目にかかれるものではないのでな」
白衣の男は冷たい目をリチャードへと向ける。
「もうすでに勝ったつもりか? 俺たちはまだ一人もやられちゃあいないぜ。少しばかり気が早いんじゃないか?」
リチャードの挑発的な言葉に対し、白衣の男は「まだ、それだけのことが言える勇気だけは認めてやろう」と返答してくる。
「貴様らが私に勝てる見込みでもあるのか? あるというのなら結構。やってみせろ。所詮、貴様らが考えることなどその程度であるということをその魂に刻んでやろう」
その言葉を言い終えると同時に、パトリックが呼び出した二体の幻影が動き出す。二体の幻影は白衣の男を挟み込むようにして攻撃を仕掛けた。幻影が持つ武骨な大剣が白衣の男へと迫る。
白衣の男はそれを翻るようにして回避。幻影に小瓶を投げつけた。小瓶が当たると同時に幻影は溶けるようにして消滅。とてつもなく強力な融解力を持つ融解剤。まともに当たれば、ひとたまりもないだろう。なにかを使って防ぐことも難しい。
「……っ」
呼び出した幻影が融解剤を食らって消滅したことで、その反動がパトリックへと返ってきて、彼は表情を歪める。パトリックが呼び出す幻影は、強いになるほど自身の身体との繋がりが強くなり、攻撃を食らった際の反動が大きくなる。見たところあの幻影はかなり強力なものであった。それを一瞬にして溶かされたのなら、自身に返ってくる苦痛は相当に大きいものだろう。
それでもなおパトリックは止まることはなかった。残ったもう一体の幻影を操作し、白衣の男へと攻撃を仕掛けていく。
白衣の男はそれを苦もなく回避していった。近接戦闘は不得手としているとは思えない動きであった。それは、こちらと奴とでは前提としている基準が違うのだと思い知らされるもの。
パトリックの幻影に加勢するように、レイモンも攻撃を仕掛けた。空気を、風を操り鋭く流麗な連撃を放っていくものの、白衣の男は二方向から迫ってくるそれらを軽く捌いていく。なんらかの薬品を自身に投与して、その力を強めているのか、それとも一切の能力増強をせずにそれを成し遂げているのかはわからなかったが、二人で同時に攻撃を仕掛けてもなお追い詰めることすら叶わないことは間違いなかった。
そこへタイラーの岩塊も襲い来る。地上からはパトリックの幻影、上からはレイモン、下からはタイラーの岩塊が白衣の男に対し攻勢を仕掛けていくものの、奴の余裕が崩れる素振りはまったく見えない。恐らく、適宜そのときに有効な薬品を自身に投与して、その能力を増強しているのだろう。その薬品による能力の増強を阻害できればいいのだが――
くそ。あれのまだ効果が出てこないのか? 奴の耐性が完全で万能でないのであれば、間違いなくなんらかの効果は出てくるはずであるが――
三つ同時の攻撃を捌く白衣の男の動きに翳りは見えてこない。幻影の攻撃をかわし、レイモンの刃をその身で受け止め、タイラーの岩塊や礫を叩き潰していく。
いつまでこの攻勢を続けていられるだろう? この攻勢を続けられなくなったら、恐らくいまの均衡は崩れてしまうことは間違いなかった。速く倒さなければならないが、なかなか決定打を浴びせることができない状況はなんとも厳しいものであった。こちらの余力が尽きる前に、勝負をつけなくてはならないが――
だが、圧倒的にこちらを上回る力を持つ敵を相手にして、それが簡単にできるはずもない。なにしろ状況は四対一だ。本来であればとっくに終わっていてもおかしくない。実戦において、数的有利というのは圧倒的な優位なのだ。その優位があるにもかかわらず、追い詰めることすらできてないということは、こちらと奴の力に圧倒的なほどの差があるという証明でもある。
白衣の男がレイモンを弾き返した、その直後――
いままで余裕を見せていた白衣の男の表情が変貌する。表情がわずかに歪んでいた。
「貴様……なにをした?」
その言葉からはわずかな苦痛が感じ取れた。どうやら、時間はかかったものの当たってくれたらしい。
「あんたに効きそうなものを盛ってやっただけさ。俺の毒なんぞ効きやしないと高をくくってたのが間違いだったな」
リチャードが白衣の男に投与したのは、相手の免疫機構をかいくぐるために、それ自体が変異をする毒。少し前に、偶然創り出すことができたもの。生命体のような性質を持つ毒物であった。
奴が持つ耐性が極めて強力なものであったとしても、それはこの世に存在するあらゆるものに対して完璧なものではないはずだ。まだこの世に存在しない未知の性質のものにまでは耐性は持っていないはずである。生命体のように変異を繰り返す毒であれば、いずれ奴の耐性にもあるはずの脆弱性をつけるはずだ。奴の反応を見る限り、それはなんとかうまくいったようだ。
無論、変異する毒はもともとの毒性自体も極めて強力である。こちらと同質の能力を持ち、極めて強い耐性を持っていなかったら、即死していただろう。
「くそ……なんだこれは。自己変異をしているのか? 人間がこのようなものを創るとは」
いまは恐らく、奴の耐性とこちらの変異する毒がすさまじい攻防を繰り広げていることだろう。
だが――
そこにレイモンが接近する。変異する毒によって気を取られていた白衣の男は反応が遅れ――
レイモンは白衣の男の身体に触れる。その直後――
白衣の男は大量の血を吐き出した。
「なにを……」
「リチャードの毒を盛られた身体に手を突っ込むのは危険かと思ってな。触るのを最低限にしてできる確実に殺せる手段を取らせてもらった」
白衣の男は膝から崩れ落ちる。
「あんたのまわりの空気を加圧させてもらった。人間ってのは急激な加圧や減圧を受けるとあっさりと死んじまう。海に潜ったあと、すぐに浮上して酔っ払ったようになったりするだろ? あれの極めて強力なやつさ。あんたが復活した竜であったとしても、その身体は人間である以上、それは有効だと思ってな」
そこにパトリックの幻影がレイモンと入れ替わるようにして接近。幻影であれば、人間には極めて危険な加圧された空気を吸い込むこともない。幻影は、加圧された空気を吸い込んだことによってもうすでに致命的な状況になっていた白衣の男に刃を振り下ろした。
白衣の男は幻影によって叩き切られ、そのまま血を垂れ流しながら動かなくなった。
それを見届けたところで――
「なんとか、終わりましたね」
圧倒的な力を持つ奴に勝てたのは、はっきり言って運がよかったからだろう。なにかが少しずれていたら、こちらがやられてもおかしくなかった。
「いや、まだみたいだ」
リチャードの言葉にレイモンがそう返答。なにかを察知したらしかった。
「まだ休むには早いみたいだぜ。最後にもうひと仕事、やろうじゃねえか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます