第294話 侵食

 ウィリアムが放ったそれは黒い波動の中へと消えていった。なにも起こらない。いままでとまったく同じであった。


「なにかするつもりだったようだが――所詮はこの程度か」


 黒衣の男がつまらなそうな声を上げた。


「まあいい。なにをしようとしたとしても、貴様らが私を凌駕することもなかろう。そろそろ無駄な抵抗は諦めたらどうだ?」


「……それは、どうかな」


 こちらの返答は奴としても予想していなかったのだろう。ウィリアムの返答を聞いた黒衣の男は無言のまま眉根を上げた。


「足もとってのは思いもよらないものに掬われたりするもんだ。あんたにだって、それは訪れるかもしれないぜ」


 こちらにも似たようなことは何度も経験している。あと少し悪い状況に転がっていたら、取り返しのつかないことになっていた場合もあっただろう。そういうものが、竜にだって訪れないという保証はないはずである。


「挑発のつもりか? この状況でまだそのような口を叩けるとはな。いいだろう。精々足掻き、足掻いたことを徹底的に後悔するがいい」


 黒衣の男は冷たく言い放ち、力を奪う黒い杭を構えて動き出した。奴が動き出すと同時に、現状近接戦闘をすべて担当しているグスタフも動き出し、黒衣の男を阻む。黒い杭と、グスタフの二本の剣がぶつかり合った。


 そこに、ロベルトが創り出した火球が出現。それと同時にグスタフは後ろへ数歩ほど飛び、赤い剣で炎を放ちその火球を爆発させる。あらゆる生命の存在を許さない業火が黒衣の男を包み込んだ。


「やることは変わらぬか。それでどうにかできるとでも思っているのか?」


 当然のことながら、力そのものを奪う力を持つ黒衣の男はその程度ではわずかな火傷すらも負わせることはできない。炎の力を奪われ、それはすぐさま消えてしまう。


 だが、それでいい。いまこちらが狙っているのはそれなのだ。とにかく、いまは奴に力を奪わせることが先決だ。奴がこちらの狙いに気づく前に力を奪わせつつ、時間を稼いでいくしかない。


 炎を振り払った黒衣の男は再び動き出す。動き出した黒衣の男をグスタフが再び阻んだ。黒い杭と二本の剣の再度の衝突。そのまま幾合が打ち合った。


 黒衣の男はグスタフが繰り出す連撃を、埃を払うかのように捌いていく。やはり、奴はただ能力だけが強力なだけではない。戦闘技術そのものも洗練されていた。一人で戦うことになっていたら、仲間内で一番近接戦闘能力に長けているグスタフですら勝ち目はなかっただろう。


 黒衣の男と打ち合うグスタフを援護するように、炎の矢が放たれた。無数の矢が全方位から黒衣の男へと迫る。


 黒衣の男はグスタフの連撃を捌きながら、黒い波動を出現させて炎の矢の力を奪い、それを無力化していく。軽々しくやっているように見えるが、戦いにおいて同時に二つ以上のことを行うというのは、とてつもなく困難だ。それを軽々しくこなす黒衣の男は人智を超えているというよりほかになかった。


 ウィリアムはそこで黒衣の男の足もとから樹木を発生させた。強靭な樹木が黒衣の男へと絡みついていく。通常であれば、これに囚われたのならそう簡単に抜け出すことはできないが――


 力そのものを奪うことで、強靭な樹木を一瞬にして払い除けた。ほんのわずかな隙を作ることすら許してくれなかった。


 それでもウィリアムも、ロベルトも、グスタフも止まらない。二本の剣による連撃を、炎を、樹木を発生させて次々と攻撃を放っていく。怒涛の猛攻であったが、黒衣の男は容易く払い除けていった。連撃を弾き、炎と樹木の力を奪ってそれらを次々と無効化していく。その動きは圧巻というよりほかにないものであった。


 あとどれくらいだ? 奴にだって奪える力の総量には限界があるはずである。そうでなければ、わざわざ力を放出する必要はなかったはずだ。あの力の放出はとてつもなく強力なものであるが、それをするこということは奪える力に限界があるという証明でもある。このまま食わせ続けていれば、いずれ限界を迎えるはずであるが――


 だが、それを許してくれるほど奴が生易しくないのは間違いない。こちらからは把握できないその総量を、奴が熟知しているのは間違いないからだ。とにかく攻撃しまくっていれば限界を超えさせられるのは楽観的に過ぎるだろう。そもそも、こちらが狙っているのはそれではないのだ。


 あれは、あとどれくらいで発動する? あれがどれほどの力を必要とするのか、こちらもまだ把握しきれていないのだ。しかし、あれが目論見通り上手くいったのであれば――


 成し遂げられないはずのことも、可能としてくれるだろう。問題があるとすれば、こちらがその発動まで耐えられるかどうかということだ。


 こちらの猛攻を払い除けた黒衣の男は周囲に黒い波動を放った。これをまともに食らえば、残っている力をすべて奪われてしまう可能性もある。地面を伝いながら迫ってくるそれを三人は飛んで回避。


 グスタフが赤い剣から炎を放ち、ロベルトがそこに火種を放り込む。爆炎が巻き起こった。


 ウィリアムは樹木を生やして自分たちの足場を創り出したのち、黒衣の男に樹木を絡みつかせる。


 黒衣の男に触れると同時に、樹木は力を奪われてすぐさま枯れて消滅した。


「どれだけやったところで無駄であるとわかっているにも関わらず立ち向かうというのは、勇敢ではなくただの愚か者の所業だ。もうそろそろ貴様らも限界であろう。そろそろ終わらせるとしようか」


 黒衣の男の無慈悲な言葉があたりに響き渡った。


 その直後、黒衣の男から振動が伝わってくる。奪った力の放出。攻撃と同時に行われる、再び力を奪えるようのするための措置。もうすでに、あれを防ぐ力は残されていなかった。あれをまともに食らえば、仮に耐えられたとしても、再び立ち上がることはできないだろう。


 そこで、黒衣の男の表情が変わる。それは、いままでずっと余裕だった奴がはじめて見せた動揺であった。


「貴様、一体なにをした?」


 それを見て、ウィリアムは笑みを見せる。


「さっきも言っただろ。足もとってのは思いがけないところで掬われたりするもんだって。それがいま、あんたのところにやってきただけさ」


 先ほど黒い波動に飲まれ、どこかへと消えたものは植物の種だ。それは当然のことながら、ただの植物ではない。それは、竜の力を糧とするものであった。


「いくらあんたが大食らいでも、無限に食えるわけじゃない。その領域は有限だ。であるならば、同じようなものをぶつければ、無敵といってもいいあんたの力を破れるのかと思ってな」


 植物の力はその成長力にあると言ってもいい。奴の力によって呑み込まれた竜の力を糧とするあの種は、奴の領域内で成長を続け――


 際限なく巨大化していく植物によって、いずれは内部を食い破るだろう。


「あんたは強い。すべてにおいてあんたはこちらを上回っていた。だが、慢心がなかったというわけじゃない。あんたはそこを俺たちに突かれたんだ」


 奴の領域内で巨大化していく植物によって、奴の身体にも変異が訪れる。領域を圧迫され、それが奴の身体自身にも影響を及ぼし始めているのだろう。


「貴様ら……私を殺すとはどういうことがわかっているのか?」


「知らないよ。だが、あんたをどうにかしなきゃ、俺たちは生きていくことはできないんだ。あんたを殺したあとのことは、あんたの脅威がなくなってから考える」


 ウィリアムは冷たく言い放つ。それ以上、費やす言葉は持ち合わせていなかった。


「せっかく手に入れた身体であったが、ここまでか。今回のことは次の糧にさせてもらおう。喜べ人間。貴様らの勝ちだ。少なくともこの場ではな」


 そう言い残し、黒衣の男の内部から無数の植物が生え出して――


 すぐさまそれは肉体を突き破り――


 巨大な樹木へと変貌していった。

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