第280話 修羅

 どうすれば圧倒的な力を持つあの男を倒せるのだろうか? アレクセイは矢を番え、睨み合いを続けながらそれについて思案する。


 奴は強い。間違いなく、いままで戦ってきたなによりも。三対一という絶対的に有利な状況にもかかわらず、未だに奴を倒しうるものが見えてこない。


 それでも、奴を打ち倒さなければ、自分たちに未来はないのも事実であった。奴ら――復活した竜たちがなにを目的にしてティガーたちを攫っているのかはわからない。だが、自分たちにとってその目的はいいものではないのは明らかであった。


 危険な場所に潜るのを仕事にしている以上、死の覚悟くらいはとうにできている。ティガーにとってそれは必要最低限の意識であると言えるものだ。


 だからと言って、死にたいというわけではない。死を覚悟していることと、死にたいということは明らかに違うものだ。ただ死にたいのであれば、もっと楽な方法などいくらでもあるのだから。


「……それにしても貴様らは運が悪いな」


「……どういう意味だ?」


 その言葉に対し真っ先に反応したのはエリックであった。


「私と貴様らの能力の相性だ。私にとって、貴様らの能力は非常に都合がいい。ただそれだけのことだ」


 その言葉は一体なにを意味しているのだろう? この男がなんの根拠もなく、そのようなことを言うとは思えなかった。奴はまだ、なにか隠しているのだろうか?


「さて、続きをやろうか。久々に外へ出たのだ。楽しめる時間を欲していてな。もう少し楽しませてくれるとありがたいのだが」


 その言葉を言い終えると同時に男の姿は一瞬だけ消失し、ロートレクのすぐそばに現れる。予想を超えた動きの速さにロートレクは反応が遅れてしまう。のこぎりのごとき刃を持つ仕込み杖が振るわれる。速く鋭く、重い一撃。反応が遅れたロートレクはなんとか防御したものの、姿勢を崩されてしまう。


 窮地に陥ったロートレクを救うためにエリックが接近。雷撃を纏った大槌が振るわれた。


 しかし、男は時間が飛んだようにしか見えない動きを見せて、エリックの大槌を防いだ。片手で重量に勝っているはずのエリックの大槌を弾き返す。


「くそ……」


 アレクセイがそう言い捨て、二人に続く。雷を纏った三本の矢を男に放った。


「見事だ。だが、それではまだ足りないな」


 男は余裕そうな口調でそう返し、放たれた三本の矢を回避しつつアレクセイへと向かって距離を詰めた。それは、本来であれば命中していただろう。攻撃したあとには必ず隙ができる。竜とはいえ、いまの奴は人体が元となっているのだ。人体の構造上、急激に動いた直後に、別方向に急激に動くことはできないのが道理である。この男はその道理を無視しているようにしか見えなかった。明らかに異常だ。それが、奴の持つ能力なのだろうか?


 接近した男は仕込み杖を振り払う。禍々しさが感じられるのこぎりのような刃がアレクセイへと迫った。


 アレクセイは矢を手に持ち、男が持つ仕込み杖を防いだ。一瞬だけ防いだのちに能力を使用して身体の動きを加速させ距離を取り、そのまま矢を発射した。放たれた矢は少し飛んだところで破裂。散弾のごとく雷撃が拡散。


 それは予想外だったのか、男は仕込み杖で致命傷となり得る攻撃だけは防御したものの、くつかは掠めるように命中し、わずかに動きが止まる。


 そこにロートレクとエリックが挟撃を仕掛けた。雷を纏った拳と大槌が男へと迫る。どちらでも命中すれば、竜の力を持っていようとも致命傷になり得る一撃。


「見事。そうこなくてはな」


 男はこの状況であっても崩れることはなかった。不敵な笑みを見せた直後――


 ほぼ同時に挟み込むように迫るロートレクとエリックの攻撃を両方防いだ。わずかに先んじていたロートレクを弾き返しつつ、エリックの大槌を受け止めたのだ。どう考えてもあり得ない光景。それはまるで分身し、同時に二つの攻撃を放ったかのようであった。


 エリックの大槌を受け止めた男は蹴りを放って彼を突き飛ばす。あり得ない動きをした男に驚きを隠せなかったエリックはその蹴りを受けて大きく弾き飛ばされ、壁に激突。


 そのまま、エリックの大槌を受け止める前に弾き返したロートレクに向かって接近。仕込み杖とロートレクの手甲がぶつかり合う。


 再びあり得ない光景が飛び込んでくる。


 いま防いだはずの仕込み杖が別方向から振るわれたのだ。ロートレクは能力で加速させてそれをなんとか回避したものの、かわし切ることは叶わず、腹のあたりを掠めた。皮膚を切り裂かれ、血が滲む。


 なんだあの動きは。速いとかそういう次元ではない。ただ速いだけであのような動きができるとは思えなかった。奴はまだなにか隠している。それは、一体――


「まだ倒しきれぬか。存外にできるようだ。実にいい。せっかく修練を積んでも、それを活かせる機会がなくては無意味だからな」


 男は先ほどのアレクセイの矢でいくつかの傷を作っていたものの、そのどれも浅いものであった。その程度で翳りが見えるとは思えない。


「お前は……なにをやっている?」


 アレクセイはそう問いかける。


「言うまでもなかろう。動き、攻撃をかわして防御し、攻撃をしているだけだ。それとも、貴様らには私がなにか特別なことをしているように見えるか?」


 その言葉が放たれると同時に、蹴りで弾き飛ばされたエリックが復帰。大槌を構え直す。


「私は昔から小細工が苦手でね。他の奴らのような手品めいたものは使えないのだよ」


「……なんだって?」


 その言葉に真っ先に反応したのは腹をあたりを薄く斬られたロートレクだった。


「てめえは、竜の力を使ってないってのか?」


「どうだろうな。竜の力というものをどう定義するかにもよるが――それを、特別な固有性を持ったものと定義するのであれば、使っていないということになるな」


 その言葉通りであれば――先ほど見せたあの動きは竜の力によるものではないということになる。


「安心しろ。別に私は貴様らを舐めているというわけではない。私がそのような力を使っていない理由は簡単だ。ただ単に私は他の奴らが持っているような特別な固有性を持つ力を持たぬだけでしかない」


 できるのはこの切れ味がいいだけの獲物を出すくらいでね、と言って、持っていた仕込み杖に付着した血を振り払った。


「まあ、そういうわけだ。私には他の奴らが持っているような特別な固有性を持った力は使えない。できるのは自身の力を駆使して切り結ぶことだけだ。それとも、その程度しかできない奴の相手は不満かね?」


「…………」


 その言葉に返すことはできなかった。


 この男は、修練によってあのあり得ない動きを身につけたのだ。ただ強いだけの存在。それは間違いなく脅威であった。対処のしようがまったくないのだから。


 アレクセイの弓を握る力が強くなる。


 ただ強いだけのこの男をどうやって倒す? その正体が明かされても、いや明かされたからこそその手はより闇に包まれたと言えるだろう。


 修羅のごとき敵を倒す手は、なおも見えてこなかった。

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