第228話 分岐点

 私たちは二つで一つ、片方が欠けてもそれを補うようにできている。アニマが言ったその言葉が意味することは明白であった。


 それは、ここで死力を尽くして奴に刃を突き立てたとしても絶対に倒すことができないということに他ならない。


「ふふ、いい表情をしているわね。やっとの思いで私を殺したというのに、殺せないとわかってしまったのだものね。なんて悲劇なんでしょう。あなたのいまの心境を考えると私まで悲しくなってしまうわ」


 一度殺されても変わることなく壊れているとしか思えない調子で喋り続けるアニマ。そこにあるものは狂気に満ち溢れた歓喜。それは、自分が絶対に殺されることはないと思っているからなのか、それとも別のなにかがあるのか、よくわからなかった。


 竜夫はアニマへと目を向けたまま考える。


 ここでどれだけ力を尽くしたとしても、奴を倒すことができないのは明らかだ。新市街のほうにいるもう一人をどうにかできなければ、ここにいる奴をどうにかすることはできないのだろう。奴の復活が、大成の再生能力のように限界がある可能性はある。だが、いまの自分にそのような耐久戦ができるほどの余裕はなく、そもそも、限界があるのかどうかすらも不明なのだ。


 ……くそ。


 どこまで考えても勝ちは見えてこない。八方塞がりの状況。奴を倒すにはどうすればいい? なにか手段はないのだろうか?


 そこまで考えたところで――


『逃げてください』


 視界に文字が浮かび上がる。アースラからの交信。


『あなたを通じて敵の力について訊かせていただきました。いまの状況で、奴らを倒すことは不可能です。私が時間を稼ぎます。その間に――』


「……駄目だ」


 竜夫は小さく、力強く声を絞り出してアースラの言葉に返答した。


「いまの状況で奴を――いや、奴らを倒すことはできないのだとしても、逃げるわけにはいかない。僕らがここで逃げてしまえば、逃げた先がここと同じような事態に襲われてしまう。ここから逃げれたとしても、奴らは僕らが逃げた先でも同じことをするはずだ。このようなことを、二度も起こすわけにはいかない」


『……ですが』


「ああ、わかってるさ。いまの僕に奴らを倒す手段なんてないことくらい。生き延びることを第一に考えるのであれば、この戦闘から逃げるのが合理的なのだろう。それから、奴らを倒す手段を考えればいい。だけど、それじゃあ駄目なんだ。奴らはこの大都市を数時間足らずで滅ぼすような力を持っている。そんな奴らを、野放しにしておくことが正しいこととは思えない」


『その気持ちは私も理解できます。私だってここと同じような悲劇を別の場所で起こしたいとは思っておりません。ですが、そのためにあなた方が死んでしまってはそれこそ意味がない。あなた方がいなくなってしまえば、竜たちによる侵攻を止めることは不可能になる。であれば、ここは逃げ、再びの機会を窺うべきです』


 視界に浮かぶ文字からはどことなく強い感情が窺えた。


「……その機会を得るために、今後起こりうる損害を容認しろ、と?」


『結果的にそうなるでしょう。できることなら、私だってそのようなことをしたくありません。いまの時点でもうすでに多くの人々が犠牲になっているのです。私だって、それを容認できるほど、冷徹ではいられない』


「……なら」


『ですが、私たちには限界がある。すべてを救うことなどできやしません。であれば、より多くを救える判断をするべきだ。あなた方が生き延びることは、最終的により多くを救えると私は確信している。こんなところで死ぬべきじゃあない』


 視界に浮かび上がる文字からは、さらに強い感情が見てとれた。アースラもこちらと同じく、追い詰められているのだろう。それがはっきりと感じられた。


『お願いです。今後のためにここは逃げてください。あなた方はここで死んでいい存在ではないのです。より多くを救うために、そして未来のために、あなた方には生き延びてほしい。あなた方が逃げるのであれば、私も持てる限りの力を尽くしてその時間を稼ぎます。だから――』


 逃げてください、と念を押すような文字を視界に浮かばせた。


「一つ、訊きたいことがある」


 竜夫がそう言うと、アースラは『なんでしょう?』と即座に文字を浮かばせた。


「新市街にいる彼らは、どうしているんだ?」


 すべてが凍てついているという新市街で戦っている大成とその相棒のブラドーはどうしているのだろう? 彼らも戦っている以上、彼らがどうするか知らない状態で判断すべきではないと思ったのだ。


『彼らもまだ戦っております。恐らく、彼らもいま我々の前に立ちはだかっている敵――アニマとアルマを倒せないことは知っているでしょう』


「逃げろというのなら条件がある」


 竜夫は一度息を吐き出したのちに言う。


「彼らも逃げるという判断をしたのなら、僕もそれに従う。彼らが戦うのなら、僕も戦おう。彼らを置いて自分だけ逃げるのは、フェアとは言い難いからな。彼らの判断は効いているのか?」


『いえ。まだ聞いてはおりませんが、いまのところ逃げるつもりはないようです』


「なら、僕も戦おう。少なくとも、彼らが逃げるという判断をするまでは」


 そう言って、竜夫はアニマへと目を向ける。自身を守護する騎士を倒されたのにもかかわらず、そこには変わることなく余裕さに満ち溢れていた。


「あら、逃げないのかしら? 別に逃げてもいいのよ。逃げたのならまた追いかければいいだけだもの。もう一つくらい街が壊滅してもたいしたことではないでしょうし。人間の繁殖力はすさまじいものね。多少生かしておけば、勝手に増えていくもの。いまの私たちにはまだ有用性はありますからね」


 そんなことを言いながらアニマはその場で踊り始めた。どう考えても隙だらけだったが、隙だらけだったとしても、奴を倒すことはできない。どうにかして、奴を倒す手段を見出せなければならないが――


「あなたと戦ってみてわかったけど、あなたに対しては数で攻めたほうが有効そうね。そのほうが見ていて愉快そうな感じがするし、やってみましょう」


 そう言ってどこからともなく火柱が上がり、そこから先ほど戦った奴隷兵士が現れた。瞬く間に奴隷兵士の数は増えていき、数秒とかからずに十数体となった。


「精々頑張って足掻いてほしいわ。すぐに諦められてしまっては面白くないもの。せっかくここまで一緒に踊ったのだもの。徹底的にやるのが筋だと思わない?」


 さあ、踊りの続きを始めましょう、とアニマは大仰な声を出した。その言葉の直後、現れた十数体の奴隷兵士たちがこちらへと目を向けた。それを見て竜夫も再び構え直す。


 目の前に立ちはだかっているのは絶対に倒せない敵。それを倒しうる手段が見えないまま、戦いはまだ続く。

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