第219話 氷の断罪

 狼たちを退けた大成は敵がいる方向へ向かって最多距離で進んでいく。


 世界の果てまで凍てついてしまったのではないかと思えるほど、街の凍結は続いていた。すべてが静止したこの氷漬けにされた街は、芸術的な優美さを持つ地獄だ。事情を知らぬものがいまのこの街を俯瞰したら、その優美さに感銘を受けるかもしれない。どういうものかわかっている自分でもこの地獄の綺麗さを感じてしまうのだから。


「敵はどこにいる?」


 大成はあたりを警戒しながら凍結した建物の上を飛び、近くの建物に着地し、ブラドーにそう問いかける。


『近い。すぐに追いつける』


「他に敵は?」


『安心しろ。近くにはいない。先ほど俺たちに茶々を入れてきた砲兵どもはどこかに退散したようだ。できることなら始末しておきたいところであるが、奴らを倒すことに躍起になって本来の目的を見失ってしまうわけにもいかんだろう。いま俺たちが狙うべきはあの双子だ。奴らをどうにかできなければ、ここで起こった悲劇が他の街でも繰り返される恐れがある』


 冷静に、淡々とした声を響かせるブラドー。


「……ところで、その双子ってのはどんな奴らなんだ? その口ぶりだと知っているようだが」


 いまのところ、近場には敵の姿はない。ならば、このあたりで敵のことを知っておくほうがいいだろう。多少なりとも敵のことがわかっていれば、戦いの際の助けになることは間違いない。それを聞けるのは、小康状態となっているいまだけだ。


『たいしたことは知らん。それでもいいか?』


「構わない。少しあるだけでも幾分かマシになるだろうし」


『そうか。いま俺たちとヒムロタツオが戦っているのは炎と氷の軍勢を生み出し、操る双子だ。俺たちが戦っているのは、この状況を見ればわかるように、氷の軍勢を操るほうだ。そいつらを生み出す双子自身には戦闘力は皆無に等しいが、それだけに奴らが生み出す存在は非常に強力だ』


「敵を呼び出すことに特化した能力ってことか」


『ああそうだ。奴らが生み出す軍勢を踏み越え、近づくことができれば勝機はあるが――』


「……それを簡単にさせてくれる相手ではない、ってことか?」


 大成はブラドーの言葉が切れたところに声を差し込んだ。


『その通り。奴らは特化した能力ゆえ、単なる雑兵の類でもそれなりに強力だ。それを幾千も幾万も呼び出すことができる。強力な個体になればなるほど、大量に生み出すにはコストがかかるようだが、それでもリソースはとてつもなく強大だ。単体で戦っている俺たちがそれを枯渇させることは不可能であると考えたほうがいい』


 この大きな街の半分が凍りついていることを考えれば、その双子の片割れとやらが持っているリソースが強大なのは言うまでもなかった。強大でなければ、ここまで大規模な破滅をもたらすことはできないだろう。


『一応これも言っておこう。奴らは自分たちだけで完結した狂った存在だ。対話ができるとは思うな。はっきり言って、時間の無駄だ』


「対話なんてするつもりはさらさらないさ」


 この街の住人を虐殺したような奴と話し合うつもりなど毛頭なかった。正々堂々戦うつもりもない。そんなことをしなければならないような相手でもないだろう。見つけ次第、問答無用で殺すつもりだ。


『俺があの双子について知っているのはこれくらいだ。俺が知らないなにかを奴らが持っている可能性は大いにある。気をつけておけ。そろそろ追いつくぞ。この建物を飛んだ先にある建物の下にある広場だ。そこに奴がいる。気を引き締めておけ』


 再び建物の上を飛び、音を立てないように隣の建物に着地。静かに進みながら自身の手に短剣を当てて切り裂き、血を吸わせて直剣の刃を創り出したのちに、建物の上から下を覗き込んだ。


 そこには、青灰色の髪をした若い女の姿があった。すべてが凍りついた広場の真ん中で、ぼうっと佇んでいる。それは隙だらけのように見えたが――


 ここから飛んで不意打ちを仕掛けるには少しばかり距離がありすぎた。


 そっと建物の上から覗きながら、大成はどうする? と自身に問いかける。


 直剣を捕捉伸ばせば届くが――やはり距離があるせいであそこまで伸ばすとなると細くなりすぎて殺傷能力が大きく減衰してしまうだろう。しっかりと確実に、仕留められなければ意味がない。


 直剣の刃を構成している血をそのまま斬撃として放出するのはどうか? いや、それも駄目だ。こちらの手から離れた血がその形を維持していられるのには限度がある。いま奴がいる場所は、そこに辿り着く前にその限度を迎えるだろう。やったところで、気づかれて終わるだけだ。


 やはり、遠距離から攻撃する手段がないというのはもどかしい。それさえあれば、奴に気づかれることなく仕留められたかもしれないのに。


 そこまで考えたところで――


 広場の中心で佇んでいた青灰色の髪の女がこちらに目を向けてくる。


「……におうわね。あの忌々しい呪いの匂い。近くにいるんでしょう? 隠れてないでさっさと出てきたらどうなのかしら? 遠慮なんてしなくてもいいのよ。今日ばかりは許してあげるわ」


 かなりの距離があるのにもかかわらず、その女の声は異常なほどはっきりと聞こえてきた。大成はわずかに逡巡したのちに、建物の上から飛び降りた。


「どうもこんにちは。調子はいかがかしら? なかなか見つからなくて結局こんな風になってしまったわ。上からは若くて健康なのは適度に生かしておくようにと言われていたのに。どう言い訳をしたものかしら? あなた、なにかいい案はないかしら? 一応軍の犬をやっていたのだから、そのくらい知っているでしょう?」


 青灰色の髪の女は、姿を現したこちらに対し、優雅な一礼をしたのちに一気にまくし立ててくる。


「知るか。そんなもん、自分で考えろ」


「あら、ひどいじゃないそんな態度を取るなんて。せっかく発言を許してあげたのに言わないなんて、愚かねあなた。まあいいわ。愚かだからこそ私たちに歯向かっているのでしょうし」


 青灰色の髪の女は、ため息をついたのち広場を歩きながらそんなことを言い返してくる。


「ねえ、あなたは訊かないの? 私たちがどうしてこんなことをした? とか。そういうのはお約束じゃあなくて?」


「それをお前に聞いたところでなにになる。街が復元されるわけでも、住人が甦るわけでもない。であれば、そんな質問は無意味だ。訊く必要も価値もない」


 大成は女の言葉にそう返答したのちに直剣を構えた。


「ふうん。あなたはアニマのほうにいるお友達と違ってノリが悪いのね。私としては愉快なほうがよかったわ。まあ、ここで文句を言ったところでどうしようもないけれど」


 青灰色の髪の女は笑みを見せた。


「それにしても、まさかあの忌み子が異世界から呼び出した人間に協力をするなんて、この私の目をもってしても見抜けなかったわ。てっきり牙を抜かれて腑抜けていたと思っていたけれど、まだそんなことをする意欲が残っていたのね。物事というのは思いもよらないものね。面白いと思わない? 異世界の住人さん?」


「お前が耄碌したんじゃないかって言ってるぞ」


 大成はブラドーが響かせた言葉をそのまま発した。


「かもしれないわね。だってずっと長い間眠っていたのだもの。あなただって起きたばかりの頃はそうなのじゃあなくて? それとも異世界の住人は眠ったりはしないのかしら? 非常に興味があるわ。教えてくださらない?」


「悪いけど、俺はお前の話に付き合っている時間はない」


 大成は直剣を握る力を一瞬だけ強めた。「あら、そんなことを言うことないじゃない。酷いわね」という言葉を聞きながら――


 大成は、この地獄を生み出した元凶を倒すために前へと踏み出した。

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