第218話 贖罪の炎

 大量の敵と弓兵どもを退けても戦いは終わらない。変わることなく街は燃え続け、そのすべてを破壊しつつある。


 竜夫はあたりを警戒しながら、自身を導くように先へ続いている光点を追っていく。


 先ほどの奴隷兵士の集団を退けてから、他の敵との遭遇はしていなかった。だが、油断はできない。奴隷兵士の集団との戦いの際にいた弓兵どもを始末したわけではないのだ。別のところで奴らに茶々を入れられる恐れは充分にある。他の戦いの際に逃がした弓兵どもに狙われるかもしれないことは頭に入れておくべきだ。


 熱風が渦を巻き、建物が無残に倒壊していく。およそあらゆるものが焼け落ちてしまったこの街が再び人が住める街になるのだろうか? そんなことが頭を過ぎった。


 しかし、それをいくら考えたところでいまの自分にどうすることもできなかった。たった一人で街を復旧することはできないのだ。滅ぼすことは一人でもできうるのに、なんて理不尽なのだろうか? そう思ったが、そんな文句を言ったところでいまこの街を襲った現実が変わることはない。


 結局、人というのはどこまでも自分にできることをやるしかないのだ。竜の力という超常なるものを得ても、万能にも全能にもなり得ない。である以上、いま自分にできる最善を尽くすよりほかに選択はなかった。それが、地獄であったとしても。


 そして、いまの自分にできる最善とは、この街を破壊し尽くし、地獄を創り出した元凶を始末することだ。そいつが残っている限り、今後、自分たちが逃げた先がこのローゲリウスと同じ結末に至ることを否定することはできないのである。ここと同じ地獄を作り出すのはなんとしても避けたかった。これ以上、関係ない人たちに対する罪を重ねるのは嫌だった。


 近場の建物が焼け落ち、こちらにその残骸が降ってくる。竜夫は自身を導くように続く光点のほうに向かって加速し、その残骸を回避。無残に焼け落ちた残骸は、地面にぶつかって砕けてもなお燃え続けている。やはり、その燃え方は、尋常なものとは思えなかった。


 それでも、足を止めるわけにはいかなかった。もうすでに、なにもかも手遅れだったとしても、前に進まなければならない。この街をこのようにしてしまった自分に対する贖罪のためという以上に、この街を地獄に変えた奴を許すことができなかったからだ。


 一体、この炎で何人の人が犠牲になったのだろう? ここに至るまで、無事だった人間を一人も見ていないのだ。この規模でそうなのだから、それは間違いなく数万の単位になるだろう。


 自分が数万もの人間を、破滅を導いたと思うと、心臓が切り裂かれるような痛みを覚えた。仮に、この街をこのように変えた元凶を倒したとして、それが許されるのだろうか?


 そこまで考えたところで、竜夫は首を振って思考を打ち切る。


 いまはそんなことを考えている場合じゃない。いまの状況は、余計なことを考えていられる状況ではないのだ。余計なこと考えていれば命取りになりうる。ここで死んだら、この街で起こった惨状に対する罪をあがなうことすらできなくなるのだから。


 そう自分に言い聞かせても、頭には『ここで死んだ方がいいのでは?』という思いが湧き上がってくる。ここで死ぬべきか生きるべきか、どちらが正しいのか自分では判断することはできなかった。なによりそれは、自分が決めることではないようにも思える。


 そのとき――


 建物の上から弓兵が矢を撃ってくるのが見えた。炎の矢がこちらへと放たれる。いまの自分にとってそれは、回避するのは容易かったが――


 矢を撃ってきた弓兵はこちらに矢を回避されると、すぐさま退いていった。こちらを導く光点とはまったく違う方向。それにはあからさまにこちらを誘導しようという意図が見えた。


 できることなら遠くからこちらを狙ってくる弓兵を始末したいところである。今後、弓兵の無視が状況に響くことは大いにあり得るだろう。だが、それをやった結果、本来の目的を見失ってしまうのは元も子もなかった。あの弓兵はこの街を地獄に変えた奴が生み出した存在に過ぎないのだ。であれば、断つべきは大元であるそいつである。


 竜夫はあたりを警戒しながら光点のほうへと進んでいく。


 背後で建物が倒壊する音が聞こえてきた。それでも竜夫は振り返ることなく前へと進んでいく。振り返っている余裕などなかったし、なにより振り返ってしまったらもう二度と前には勧めなくなってしまうと思えたからだ。


 角を折れ、旧市街のメインストリートに出る。さらにそこを進んでいくと――


 その先に見えたのは、この炎の中で呑気に踊っている若い女の姿。一瞬生存者かと思ったものの、その明らかすぎる異常さに気づき、その認識をすぐさま改める。あれは――


「あら、あなた」


 炎の中で踊っていた女がこちらを振り向く。


「そっちから来てくれるなんてちょうどよかったわ。あぶり出せばそのうち出てきてくれると信じていたけれど。軽微とはいえこちらにも損害が出ているし、そろそろ出張らなきゃと思っていたところだもの」


 その女がこちらに対して発した声は、これだけの惨状を引き起こしたものとは思えなかった。これだけの犠牲を生み出しておきながら、それについてなにも思っていないものの声であった。


「あら、どうしたのそんな厳めしい顔をして。もしかしてこの街をこんな風にしたことに起こっているのかしら? 確かにこれは私があなたをあぶり出すためにやったことだけれど、あなたが責任を感じることではないと思うわよ。あなたがこの街に火を点けたわけじゃないんだし、そんな義理は必要ないでしょう。それとも、焼かれた住人の中に知り合いでもいたのかしら。確かにそれなら残念だけれど――人間なんてある程度の数が生きてさえいれば勝手に増えていくのだから、そういう相手なんてまた作ればいいだけのことじゃない。そういうものではないのかしら」


 女が発した言葉は、理解に苦しむものだった。なにを言っているこの女は。とてつもなく強い怒りが濁流のように脳内を襲ってくる。


 激情に駆られそうになったところで、竜夫は自分に落ち着けと言い聞かせた。


 いま目の前にいるのは人間じゃない。人間の身体を乗っ取った竜なのだ。である以上、その倫理が人間とかけ離れていてもなんら不思議なことではない。


「あら、意外と冷静なのね。さすがあのお方に選ばれただけのことはあるわね。それとも、あのお方に選ばれたからそうなったのかしら? まあ、どっちでもいいわね。どちらにしても、私がやることは変わりないのだし」


 そう言った女の言葉はどことなく空虚なものだった。感情というものをどこまでも欠いたものであった。自分一人だけで完全に完結しているものの言葉。


「できることならあなたを生きたまま捕らえて素材にしたいところだけど――許してくれるかしら? どう思うアルマ? 彼を捕らえることを許してくれると思う?」


 女は自分たち以外誰の姿もないのにも関わらず、誰かに呼びかける。


「まあ、そうよね。じゃあ死体を利用しましょう。死体でも私たちと同じ存在であればそれなりのものになるでしょうし」


 アルマという誰かに話しかけていた女はこちらへと目を向けた。


「というわけだから死んでくださいな。出会って早々で悪いけれど。仕方ないわよね。はじめからそういう関係だものね私たち」


 竜夫は自身に目を向けられると同時に、反射的に刃と銃を創り出し――


 この地獄を生み出した元凶である相手に向かって、一気に飛びかかった。

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