第213話 冷たい街の猟犬部隊

 延々と続いている氷漬けの街をなおも進んでいく。


「無事そうな人間はいまのところゼロ――すさまじい状況だな」


 氷漬けにされた新市街に辿り着いてからそれなりの時間が経過しているが、無事な人間は一人もいなかった。目に入る人間はすべて分け隔てなく時を止められたかのように凍結させられている。その代わりにいるのは、この街を氷漬けにした元凶によって呼び出された冷気を纏い、まき散らす兵士ども。先ほど戦った騎兵タイプ以外に、槍を持った歩兵タイプの敵とも幾度か遭遇し、戦闘に至っている。そいつらは単体での脅威はそれほどではないが、一気に数でかかられると非常に厄介であった。


「敵の位置はどうなっている?」


 大成はブラドーに問いかけた。


『安心しろ。着実に近づいている。どうやら奴はいまのところ動く気はないらしい。このまま行けばそれほど時間はかからないが――』


「確実に邪魔は現れる……ってことか?」


 そうなると、先ほど戦った騎兵のような強敵と遭遇する可能性も充分にあるということだ。できることなら、戦闘は避けていきたいところであるが――


『ああ、そうだ。いま俺たちが相手をしている奴らは、とにかく物量を生み出すことに特化している。ろくに補給も得られない状況で単独で戦っている俺たちにしてみれば、最悪の相手だ』


 吐き捨てるような調子の声を響かせるブラドー。


「呪いの影響はどうだ?」


『芳しくないな。奴らはとにかく母数が巨大だ。母数だけでいえばこの間のローレンスよりも遥かに大きい。母数が巨大である以上、必然的に呪いの伝達にも時間も労力もかかる。さらに言えば、俺たちの呪いが伝播する前に、呪われた奴らを遮断、隔離することで本体と他の軍勢を、その影響から守るということもできるはずだ。それは時間稼ぎに過ぎないが、そうやられているうちに、物量に圧されて俺たちが退避せざるを得なくなる可能性も充分にあるだろう。はっきり言って、俺たちの力は奴らと非常に相性が悪い。である以上、奴らの全体的な弱体化は期待するな』


 ネットワークの遮断によって他の端末からのマルウエア感染を防ぐ仕組みのようなものか。確かに、そういうことができるのなら、ブラドーの能力と相性は非常に悪いと言えるだろう。


 ブラドーの口調は相変わらず冷静であったがものの、どこか危機感を匂わせていた。無論、こちらにも危機感を持っているが、彼は敵のことをなまじ知っているために、こちらの想像以上に危険であると思っているのかもしれない。


「氷室竜夫の状況は?」


『生きているが、やはりこちらと同じくいい状況ではないな。なにが起こってもおかしくはないだろう。最悪の事態が起こってもおかしくない。わかっているとは思うが、逃げるときは奴を助けようとするなよ。そんなことをしようとすれば、お前まで巻き込まれかねん』


「……わかってるさ。一緒に戦っている相手を見捨てて逃げるのには、とっくの昔に慣れているよ」


 自分が生きていた場所は、そうやって仲間を見限ることができなければ、生き延びていくことなど叶わなかったのだ。そういうことができなかった奴ら――本来であれば生きているべきだった人間から死んでいく世界であった。確かに慣れてはいるが、それになにも感じなくなるわけではないのだが。


『……お前には言うまでもないことだったか』


「いや、別にいいさ。なにかまかり間違うことだってあり得るからな」


 大成はそう言ったのち、跳躍して凍結した建物の上に飛び乗った。


 建物の上から見える新市街の風景は、相変わらずどこまでも凍りついている。見渡す限り続くその風景はまるで、世界そのものが凍りついてしまったかのようであった。


 ここからでは旧市街のほうはちゃんと見通すことはできなかったが、少しだけ炎が踊っているのが目に入る。わずかな隔たりを経て、炎と氷に支配された異常な世界。そこにはもはや、帝国第二の都市として、大陸に深く根付く宗教の総本山がある歴史ある街の面影はまったく感じられなかった。想像を絶する炎と氷によってすべてが蹂躙され尽くした地獄。それが、いまのローゲリウスであった。


 そうなった状態を見ると、仮にこの地獄を創り出した奴を倒したところでどうなる? と思ってしまうが、ここで倒さなければ、他の街がここと同じようになりかねない以上、捨て置いて諦めるべきではないだろう。少なくともいまはまだ。


 凍結した地面に滑りそうになりながらも、大成は氷漬けにされた街の中を進んでいく。


「アースラというあの男はどうなっているんだ?」


 氷室竜夫の協力者である重病人のような顔色をしたあの男は一体どうしているのだろう? 奴もまだ、このローゲリウスに残っているはずであるが――


『奴も生きているようだが、ヒムロタツオ以上によくない状況だ。なにしろ奴の中にいるのは、俺のように友好的な存在ではない。奴は、力を使うたびにその侵食が強くなっていくだろう。このままだと、時間の問題だ』


「それは、そんなに強力なものなのか?」


『ああ。竜というのは人間よりも遥かに強大な存在だ。そんなものが自分の中に転写されてしまえば、ほとんどはそれに耐えきれず圧し潰されてしまう。巨大な質量を力強く押しつけられれば潰れるのと同様にな。奴は自身に押しつけられている巨大な質量になんの支えもなく耐えている状況だ。それにはとてつもない苦痛を伴う。はっきり言ってたいしたものだ。あの男、どこか胡散臭いくせにとんでもない精神力の持ち主だぞ』


 いつも斜に構えたことばかり言っているブラドーが素直にそう言うのは珍しい。素直に認めたのは初めてのように思えた。


 そこまで考えたところで、大成は首を振る。軍にいる人間のほぼすべてが竜によって乗っ取られている現実を考えれば、アースラというあの男がやっていることはこちらが考える以上に、斜に構えたブラドーが素直に認めるほどに、とんでもないことなのだろう。人間というのは、異世界においても見かけによらないものらしい。


 大成は飛び出して、他の建物に飛び移った、その瞬間――


 自身の斜め下から気配を感知し、すぐさま手に持っていた直剣を鞭状に変形、伸縮させてすぐさまその場から離脱する。紙一重のところに、冷気とともに巨大ななにかが通り過ぎていった。移動先の建物に張りついた状態で、先ほど自身が飛び立った場所に目を向ける。


 そこには、三日月状の巨大ななにかが突き刺さっていた。先ほど戦った騎兵と同じ青灰色をしている。あれは、一体――


 そう思ったところで、建物に突き刺さっていた三日月状のものが変形する。そこにいたのは、青灰色の毛並みを持つ狼のような生物。そして、先ほど戦った騎兵の馬と同じく、異様なほど巨大であった。


 建物に張りついていた大成は突き刺した鞭状の直剣を引き抜いて地面に着地。巨大な狼にあらためて目を向ける。巨大な狼も、その巨体を一切感じさせない軽やかな動作で地面に着地した。禍々しい双眸がこちらへと向けられる。その距離は二十メートルほどあったが、先ほどの奇襲の勢いを考えれば、あってないようなものだろう。


「――――」


 大成へと目を向けた狼は、こちらの耳をつんざくような咆哮を上げる。すると、どこからともなく別の狼が現れる。いま目の前にいる奴よりも小さな個体。それが六体。小さなものであったが、その目は奴らを呼び出した巨大な個体と同様に禍々しく、殺意に満ちている。奴らとの戦闘は避けられそうになかった。


 小さな狼たちは、口から白い冷気を吐きながら牙をむき――


 獰猛な鳴き声を発しながら、こちらへと一斉に向かってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る