第206話 氷の騎乗兵
通常よりも遥かに大きい馬がこちらに迫ってくるのは想像以上の重圧があった。ただでさえ人間の数倍以上の体重を持ち、そのうえ車のようなスピードで駆けてくるのだ。そんなものをぶつけられたら、自分でも相当のダメージを負うだろう。しかも、いま目の前にいる馬は通常よりも遥かに大きいうえに、竜の力によって生み出された存在だ。まともにぶつかり合えば記憶を失っていた頃に消費した復活回数をさらに減らすことになる。
この騎兵がブラドーの言う通り、この街をこのような地獄に変えた元凶によって生み出されただけの存在であるのなら、ここで消費するのは避けておくべきだろう。消費された復活回数が再生するまで、まだ時間がかかる。果たして、どこまでやれるか?
こちらに迫ってきた軽乗用車に匹敵する重量と速度を持つ巨大な馬を横に飛んで回避。通り抜けた際に冷たい風が吹きあがる。あの騎兵そのものが生み出している異常なほど強い冷気。それが大成の肌を貫く。痺れるような、焼けるような痛みが感じられた。
突撃を回避された騎兵はしばらく進んだところで方向転換し、再びこちらに迫ってくる。凍結した地面の上でありながら、滑る様子はまったく見られなかった。軽快かつ重量感のある音を響かせながら、こちらを轢殺すべく襲い来る。
あの騎兵を馬から叩き落とせればいいが、そう簡単にはいかないだろう。馬に乗っている奴は常にこちらの頭上にいるような状態なのだ。傍からみればその高さはそれほどではないかもしれないが、戦いというわずかな差が雌雄を決する場において、その差はとてつもなく大きい。それ以前に、馬はこちらを大幅に上回る機動性を持っているのだ。捉えること自体そもそも難しい。しかもここは馬の機動性を十全に発揮できる開けた場所である。広い場を縦横無尽に高速で動き回るものを的確に叩き落とすのは難儀であるという以前に常識的に考えれば不可能だ。
こちらに再び迫ってきた馬と、馬を駆っている騎兵が持つ斧槍を回避。冷たい風圧が大成の身体に吹きつける。
どこかに、奴の機動力を損なわせられそうな場所はないだろうか? 大成はあたりを見回す。すべてが凍てついた広場にあるのは、氷漬けにされた木々と人、そして小さな屋台のような商店だけだ。
ここから離れ、どこか建物の上にでも移動できればいいが、敵はこちらよりも大幅に機動力で勝っている以上、それを許してくれるはずもなかった。考えなしに退却しようとしても、追いつかれて背後からやられるのが目に見えている。
復活回数に余裕があれば、一回それを消費して奇襲を仕掛けるという選択もあった。だが、目の前にいるこの騎兵が何者かの力によって生み出された存在であるのなら、貴重な復活回数を消費してまで倒す必要があるとは思えない。死を装うのなら、奴を生み出している元凶を相手にしたときだろう。ここで使うべきではない。
馬に攻撃を仕掛けて、殺すのはどうか? 乗っている馬が殺されれば、奴は降りて戦わざるを得なくなる。
しかし、馬も竜の力で生み出された存在であるのなら、簡単に殺すことはできないだろう。多少の損害を受けたとしても、問題なく動いてくるはず。なにより、車のようなスピードと重量で迫ってくるあの馬を攻撃すること自体がそもそも難しいうえに、失敗すれば車のようなスピードで車のような重量をぶつけられるのである。仮に死ななかったとしても、その再生にはそれなりに力を使うのは明らかだ。いま目の前にいるこいつはただの有象無象でしかない以上、消耗はできる限り避けておくべきだ。
突進を二度回避された騎兵は止まることなくこの広場を駆けまわっている。あたりに響く軽快かつ重量感のある音は死を予感させる音色であった。
広場を駆けまわる騎兵が遠くで斧槍を振り回した。その瞬間、こちらに向かって鋭い小氷の柱がいくつも突きあがり、それが高速で迫ってきた。
騎兵はなおも止まることなく動き回り、こちらに迫ってくる氷の柱とは逆方向から突進を仕掛けてくる。どちらもまともにぶつかれば致命傷は避けられないのは明らかであった。
だが、その程度の危機では揺るがなかった。こちらは十年以上もの間、正体不明の怪物と戦い、そして生き延びてきたのだ。その程度の危機など、とっくの昔に味わっている。
大成は自身の血で構成された直剣を伸ばし、近くの凍りついた樹木に突き刺したのちに収縮させて氷の柱と馬の両方を避ける。凍りついた樹木に突き刺した直剣を引き抜き、再び伸ばして騎兵に攻撃。伸ばされた鞭にようにしなやかな直剣が騎兵を襲う。
しかし、騎兵は馬とその手に持つ斧槍をたくみに操り、それをなんなく防御。すぐさま振り返り、またしてもこちらに迫ってくる。
張りついた樹木から降りた大成は馬を避け、そのあとに振るわれる斧槍を直剣で防ぐ。巨躯の騎兵によって振るわれる斧槍はこちらの予想以上の重さがあった。
奴が竜の力によって生み出された存在であるのなら、ブラドーの呪いは有効なはずである。ブラドーが持つ呪いの力はとてつもなく強力だ。それが蓄積していけば、大きく力を削ぎ、いずれ死に至らせる。奴に、その影響力を与えられればいいのだが――
そこで大成は気づく。
奴は竜の力によって生み出された存在だ。であるなら、奴は竜の力そのものであるといってもいい。それならば、ただこちらと打ち合っているだけでその影響力は強まっていくのではないだろうか?
呪いの影響力が強まれば、奴はいずれその活動を止めるはずであるが――
問題があるとすれば、ちまちま奴を削り殺しているような時間がないことだ。この街を襲う事態は一刻も早く解決されるべきである。さらにいえば、奴は竜の力によって生み出されたものでしかない。である以上、他にも同程度の戦力を持つ敵がいるのは確実である。それらを相手にしている状況で、たった一体にそんなことをしている場合ではない。
なにより、たった一人で誰の援護も得られない状況で耐久戦を仕掛けるのは悪手だ。敵はこの大都市の広範囲に影響を及ぼすほどの力を持っている。そんな奴が生み出している敵と持久戦をして、分が悪いのがどちらなのかは目に見えていた。いずれこちらが押し潰されるのは約束されていると言ってもいい。
『ブラドー』
大成は頼れる相棒を呼びかけた。
『奴に呪いの力を目に見えるくらいの影響を及ぼすにはどれだけ必要だ?』
『奴を斬りつけて、それなりに手傷を負わせることができれば、目に見える影響は出てくるだろう』
ブラドーは大成の問いに即答する。
『奴に傷をつけない場合は?』
『最低でも三十は打ち合う必要があるだろうな』
最低となると、場合によってはもっと必要である可能性があるだろう。いや、もっと必要になるはずだと考えておくべきだ。戦いにおいて希望的観測に満ちた甘い見積もりは厳禁だ。必要になるのはいつでも最悪を想定しておくこと。そうしなければ、戦いの中に発生する不測の事態に対応することはできないのだから。
騎兵は斧槍を振り回し、再び氷の柱を生み出してくる。今度は一直線ではなく、扇状に拡散する形であった。離れれば離れるほどその範囲は広まっていく。あらゆるものを刺し穿つ鋭い氷の柱が大成に迫る。
氷の柱が創り出されるのと同時に、大成はすぐさま血の直剣を伸ばし、先ほどと同じように近場の物体に突き刺したのちに収縮させ、高速で移動して広がりながら迫りくる氷の柱を回避。
氷の柱を回避してすぐ、騎兵はその機動力を生かし、大成が回避した場所へとすぐさま回り込み――
人間の身体など容易に寸断する巨大な斧槍が振るわれる。
だが、大成は冷静だった。伸縮させていた血の直剣を巧みに操り、空中で姿勢を立て直して騎兵によって振るわれた斧槍を捌く。斧槍の重量と巨躯の騎兵の膂力によって押されたものの、問題なく着地する。
距離が開き、睨み合う状態となった。その距離は十メートルほど。圧倒的な機動力を持つ騎兵にとっても、変異した身体と竜の力を持つ大成にとってもひと息で詰められる距離。
敵はまだ弱体化の影響はまったく見られない。まだ二度打ち合っただけなのだから当然であるが。
さて、どうする?
敵はまだ十全。こちらは以前の戦いで消耗した状態。なかなかに劣勢であるが――
「なに、たいしたことじゃない。なんとかなるさ。ただ向こうは馬に乗ってるだけなんだから」
そう呟き――
大成は騎兵が動き出すよりも前に凍りついた地面を蹴って前へと踏み出した。
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