第205話 拒絶する冷たい街
すべてが凍りついた街はどこまでも続いている。そこに存在するあらゆるものは氷漬けにされ、時を止めていた。
氷漬けにされたそれらはすべて生々しく、つい先ほどまで活動していたことが明らかなものばかりであった。事実、そうなのだろう。その証拠に氷漬けにされた人々の多くは恐怖が見られなかった。きっと彼らは、いつも通りの日常を過ごしていたところに、恐怖を感じる間もなく氷漬けにされたのだ。
「予想以上に、大がかりだな」
この街の景観を守っている伝統的な建築でありながら真新しさが感じられる建造物が立ち並ぶ新市街は冷気と氷に支配されていた。それはまるで、世界の果てまで凍りついてしまったかと思えるほどであった。吹きすさぶ風は痛みを感じるほど冷たくありながら、生きているかのような唸りがあった。
「……予想以上に酷い状況だ。長居するのは危険かもしれない」
もともと身体能力に優れる変異した身体を持つうえに竜の力を得た自分であればある程度は耐えられるだろう。だが、この冷気は人や大きなものすらも瞬間凍結させるほど強力なのだ。防寒着がない以上、それは確実に身体を蝕んでいく。さっさと済ますべきであるが――
これだけ大規模な影響を及ぼす奴が、さっさと済ませられるような相手であるとは思えなかった。相当に強力な敵であることは疑いようもない。
「ブラドー」
大成は己の内側にいる相棒に話しかけた。
「これだけ街を凍結させるような力を持つ奴に心当たりはあるか?」
『いくつかあるが――現状はまだ断定できん。もう少し調べる必要があるだろう。そうすれば、ある程度絞ることは可能だ』
どこかから響いてくるブラドーの声はこれだけの冷気に包まれていながらも冷静であった。常に冷静な相棒がいるというのは非常に頼もしい。彼との出会いだけは、この異世界における唯一といってもいい幸運だと言える。
『お前の身体はどうなっている? 人や建造物を丸ごと凍結させるような冷気だ。まともな防寒着すらない状況ではいくらお前の身体が頑丈でも影響は免れないだろう』
「……いまのところは大丈夫だ。けど、新市街を支配している冷気は予想以上に強い。いつまで耐えられるかはわからないな」
『わかっているとは思うが、寝るなよ』
「この状況で寝られるほど、気は抜けちゃいないさ」
大成はブラドーの言葉に軽く返した。
凍てついた新市街に無事な人間も物もなにもなかった。生きているものも、そうでないものもすべからく平等に凍りついている。新市街の凍りついた人間は氷漬けにされてもなお、いまにも動き出しそうなほどの躍動が感じられた。この状況を作り出した元凶を排除すれば、そのまま問題なく生き返るかもしれない。そうであればいいのだが――
うまくいくかどうかは不明だ。急速冷凍されたとしても、問題なく蘇れる保証などどこにもない。それがうまくいくのは古典的なSF映画の中だけだろう。凍てついた街の住人のすべてがそのまま蘇ることができないという最悪も考えておく必要がある。
「それでもまだ、旧市街よりはましか」
大成は数分前までいた燃える旧市街のことを思い出す。
燃えている旧市街は、凍てついた新市街にある『もしかしたら』すらない状況だ。燃やされて炭化した人間が甦るはずもない。もしかしたら、生存している人間がまったくいないという可能性さえもあり得る。
だからといって、こちらがマシというわけでもないだろう。すべてが凍りつき、生々しい状態で保存されたこちらは別種の地獄でしかない。なにしろ、あらゆるものが凍りつき、無事が確認できる人間すらまだ一人もいないのだから。これを旧市街よりマシと言える人間がいるのならぶん殴ってやるところだ。
吹きすさぶ冷気はさらに強くなる。冷たく無機質な冷気はあらゆるものを拒絶しているかのようだ。
吹きつける極限なる冷気は肌を焼くような痛みが感じられた。それに耐えられるからといって、痛みが感じなくなるわけではない。自分の身体は死ににくい以上、必然的に身体の危険信号のである痛みなどが感じにくくはなっているが、完全になくなっているわけではないのだから。
「敵はどこにいる?」
新市街に入ってからしばらく進んでいるはずだが、敵の姿は未だ見えない。これだけ大規模な災厄をまき散らしているのである。この場にいないということはないはずであるが――
『どうやら、近くにいるようだ。気をつけろ。背後だ』
ブラドーの声を聞き、大成は背後を振り向く。そこにいたのは巨大な馬を駆る騎兵であった。それは、凍りついた新市街の道を滑るようにこちらに迫ってくる。馬を駆ってこちらに近づいてくる騎兵は巨大な斧槍を振りかぶった。
大成はそれを横に飛んで回避。凍結した地面に触れた箇所に焼けるような痛みが走る。しかし、その痛みを気にしている余裕などどこにもなかった。
大成に奇襲による一撃を回避された騎兵は、しばらく進んだところで、凍結した道でありながら問題なく停止し、振り返る。
「こいつが……この街をこうした元凶か?」
『……違う』
大成の声にブラドーがすぐに割り込んだ。響いてきたその声は、彼らしくない重さが感じられた。
『この街に送り込まれたのはあのイカレた双子か。最悪といってもいいなこれは。道理でここまで街を破壊することに躊躇がないわけだ』
「知っているのか?」
『まあな。あの騎兵はそいつ――この街をこのような地獄に変えた奴の片割れに呼び出されたものだ。あれを倒しても同じようなのがいくらでも湧き出してくるから、無視したいところだが――』
「無理……だろうな」
普通の馬ならできるかもしれない。だが、いま目の前にいるあれは竜の力によって生み出された超常の存在だ。奴が駆る馬も超常たる力を持つ存在だろう。そうであるのならば、奴から走って逃げることは不可能である。
そのうえ、こちらは凍結した地面の影響を受けるのだ。この場でいつも通り動けると思わないほうがいい。そういう点を考慮しても、奴から逃げることは不可能であった。
こちらに奇襲をかけてきた時の状況を考慮すれば、奴はこの凍結した地面であっても問題なく動けるはずである。やはり、いくら考えても奴から逃げられるビジョンはまったく見えなかった。
「…………」
騎兵はあたりに青灰色の見える冷気をまき散らしながら、馬の上からこちらを見下ろしている。その顔は不気味な兜にすっぽりと覆われ、まったく見えなかった。
「騎兵との殴り合いとは、つくづく嫌な状況だ。しかも――」
大成はあたりを見回した。
運が悪いことに、いま自分がいる場所はちょうど広場であった。馬の機動力を十全に生かせる程度の広さがある。馬の機動力を削げる場所に行って仕切り直したいところだ。しかし、建物はどこも凍りついて入れないうえに、そもそも奴はこちらの機動力を大幅に上回っている。少しでも有利な場所に逃げるということすらも許してくれないだろう。
それでも、やるしかなかった。自身の生存のために。そして、少しでも名誉ある死を遂げるために。この騎兵を打ち倒さなければならなかった。
大成は閉まっていた短刀を抜き、冷気によって冷たくなった身体にその刃を突き刺した。
突き刺した刃は自身の血を吸い上げ、刀身を形成する。血の色の、竜殺しの呪いを持つ魔剣。相手が馬に乗っていようと、あれが竜の力によって生み出されたものであるのなら、その影響は免れないはずだ。
こちらの状況を見た騎兵も馬をいななかせ、斧槍を構え――
馬は凍りついた地面を駆り、こちらへと迫ってきた。
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