第193話 復讐者たち

『どうやら面白いことになってきたようだな』


 響いたブラドーの声はどこか満足そうであった。それは、自分が本来の記憶を取り戻したことを喜んでいるのか、それとも別の思惑があるのか――実際のところどうなのかは不明である。


『……嫌なのか?』


 大成は氷室竜夫に気づかれないように、ブラドーに言葉を返す。


『いいやまったく。俺としては竜どもに復讐できればそれでいいからな。それさえできれば、さっきまで敵だった異世界人と協力するのも悪くない。なにより、ヒムロタツオは戦力として有益だ。利用できるものは多いにこしたことはない』


 淀みなく声を響かせたところで――だが、とつけ足した。


『交わるはずもなかった異世界の住人同士が異世界で敵同士として巡り会い、幾度となく戦った果てに記憶を取り戻して協力することになったんだ。なかなかに運命的じゃないか。これを面白いと言わずしてなんとする? それとも、記憶を取り戻したお前はそういうのは好きじゃないか?』


 楽しそうに言うブラドーの声を聞き、大成は少し考えたのちに『確かに』と納得する。言われてみればブラドーの言う通りだ。


『でも、お前はそれでいいのか? 俺はもう竜どもの言いなりになるつもりはない。俺は俺の名誉のために竜どもと戦う。お前の同胞たちと決別するってことだ』


『構わん。そもそも俺には竜どもに協力する義理などはじめからない。俺の本懐は、俺を迫害した竜どもすべてへの復讐だ。記憶を取り戻したお前が、竜どもと決別するのならおれに越したことはない。はっきり言って清々しい気分だ。これで思う存分、竜どもへの復讐ができるんだからな』


 どこからともなく響くブラドーの声はやはり楽しそうだ。強大な敵に反抗しようとする存在の声とは思えないものだった。


『なにより俺は、分の悪い賭け事が大好きでね。たった数人で竜どもと戦おうとするのは馬鹿としか言いようがないが、それでも賢しいだけの卑怯な連中よりは好ましい』


『犬死するかもしれなくてもか?』


 大成は遠くの空に浮かぶ巨大建造物へと目を向ける。


『構わんさ。どうせ俺はもう後戻りできない身だ。である以上、犬死するのならそれでも構わん。そうなったら、俺もお前も、その程度でしかなかったってことだ。そうなったとして、なにか評価が変わるわけじゃない。なら、好きなようにするほうがいいと思わないか?』


 犬死したところでなにか変わるわけじゃない。ブラドーが響かせたその言葉は的確としか言いようがないものであった。


『それとも、記憶を取り戻したお前は死ぬのは嫌か? それならそれで俺も構わん。生きているのならそれが正常だ。俺だって正直なところ死ぬのはごめんだからな』


『いや――』


 ブラドーの言葉に対し、大成は心の中で首を振り、否定する。


『まったくそんなことはない。無様に死んだように生きるくらいなら、なにも成し遂げられずに犬死するほうがましだ。なにより俺は、氷室竜夫とは違って守るべき大切なものも、帰るべき場所すらもないからな』


 仮に竜どもを打ち倒し、もとの世界に戻ったところで、そこで待っているのは滅びかけた地獄だ。そんなところに戻ったところでなにもならない。できることなら、この異世界で目的を果たしたのちにここで潔く死にたいところだ。


『お前の言葉からして、お前がいた世界というのはなかなかに酷いところだったようだな』


 ブラドーの言葉に対し、大成は『まあな』と返す。


『では、俺たちの意見は一致しているわけだ。竜どもを打ち倒す。そのためにヒムロタツオたちと協力する。酔狂としか言いようがないが、やれるところまでやろうじゃないか』


『ああ、その通りだ。俺たちみたいな持たざる者にできることなんて、その程度しかない』


 大成はブラドーの言葉に強く同意した。


 この世界の竜どもは間違いなく強大な存在だろう。いまも残っている自分に植えつけられていた偽りの記憶を参照すれば、それは明らかだった。竜どもの力は、自分がいた世界に現れた怪物どもに匹敵する。


 得体の知れない怪物と戦っていた自分は、自分が持っている力を信じているわけではない。信じれば自分が持っている力が大きくなるわけではないのだ。自分を信じようが信じまいが、できることはできるし、できないことはどうやってもできない。危機に瀕して未知の力が都合よく目覚めるのなら、自分がいた世界が滅びかかったりしなかっただろう。


 それほど強大な存在を敵にしようとしているのに、恐怖はまったくなかった。しかし、できるという根拠のない確信があるわけでもない。何故かは自分でもよくわからなかった。もしかしたら、どこか壊れているのかもしれない。得体のしれない怪物どもと延々と戦っていれば、そうなってもおかしくはないが。


『で、俺たちはこれからどうする?』


 大成はブラドーにそう問いかける。


『あの男が言った通り、空に浮かんでいるあれが〈棺〉であるのなら、奴らはすぐにでも本格的に動き出してくるはずだ。障害である俺たちをまず潰してくるだろう。俺たちさえ潰してしまえば、あとはどうとでもなるからな』


『一つ訊きたいんだが、ところで、〈棺〉ってのはなんなんだ?』


『竜どもの本体――魂を保存してある場所だ。あそこに保管されている本体をどうにかできなければ、人間の身体を乗っ取った奴らを殺すことはできない。いまの奴らは、あそこにある魂を、人間に対して転写しているだけだからな。魂を転写された人間を殺したところで、失われるのはその複製だけだ。あそこにいる奴らにはなんの影響もない』


『…………』


 魂の転写。それはまさしく神の域に達する魔法としか言いようがないものだ。それは、この異世界にいた竜というのはとてつもない力を持っていることに他ならない。


『……敵ながらとんでもない奴らだな』


『恐れているというわけではなさそうだ』


 ブラドーの言う通り、大成には恐れというものはまったくなかった。ただ他人事のようにすごいなと思うだけだ。それは、もともといた世界で怪物という存在と戦っていたからかもしれない。


『そういえば、お前のことはなんと呼べばいい? 偽りの名で呼ばれるのは嫌だし、それ以前に失礼だろう?』


 確か、サイガタイセイと名乗っていたなとブラドーが言う。


『そうしてくれ。偽りの名で呼ばれると、自分が無様に偽の記憶を与えられて踊らされていたことを思い出して腹が立ってくるしな。偽りの名で呼ばないのなら、苗字でも名前でも愛称でもなんでもいいさ。好きに呼んでくれ』


『それでは、タイセイと呼ばせてもらおう。こうして一蓮托生の身である以上、苗字で呼ぶのは少しばかり他人行儀すぎるからな』


『ありがとう。助かる』


『それで、これからどうする? 俺は基本的にお前の方針に従おう。無論、意見があれば言わせてもらうが』


 ブラドーのそう言われ、大成は考える。


 こちらが記憶を取り戻したことは、恐らくすぐに向こうに知れるだろう。自分に植えつけられた偽の記憶は恐らく、竜の力によるものだ。であるならば、その効力が失われたことが能力を行使した相手に伝わる可能性は充分にあり得る。


「ところで、あんたはどうする?」


 大成が考えていたところに氷室竜夫の声が挟んできた。


「そっちこそ、どうするつもりだ?」


「とりあえずいまは隠れ家に戻って、方針を決めるつもりだ。あとは少しでも休憩しておきたいからな。あんたも来るっていうのなら、別に構わない。まだ部屋は余っているしな」


 記憶を取り戻した以上、もともと滞在していたホテルに戻るわけにもいかない。あそこに滞在していることは向こうも把握している。であれば、真っ先にそこを突いてくるだろう。自分も氷室竜夫と同じく、竜どもの脅威に他ならないのだから。


「そこは安全なのか?」


「確証はないが、ローレンスが軍にこちらの居場所を漏らしていないのであれば、いまはまだ大丈夫のはずだ。だが、いつまでも大丈夫であるとは言えないだろう」


「それなら大丈夫だ。ローレンスが動いていたのは奴の個人的な思惑によるものだからな。律儀に軍に報告しているとは思えない」


 大成は氷室竜夫の言葉にそう返答する。


「じゃあ、お前がそういうのなら俺も行かせてもらおう。もともといたホテルに戻るわけにもいかんならな。よろしく頼む」


「そうか。じゃあいったん戻ろう。方針を決めるのは、それからだ」


 四人は、氷室竜夫の潜伏場所へ向かって歩き出した。

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