第192話 奇縁

 奇妙なことになったものだ。つい先ほどまで命を賭けて戦っていた相手と一緒に歩くことになるとは思いもしなかった。現実というのは時にどこまでも奇妙で予想外のものである。そう思わざるを得なかった。


 自分から約一メートル半ほど離れたところを歩いている彼――斎賀大成と名乗った青年にそっと目を向ける。いまのところ、彼が背後から突然襲いかかってくる様子はなかった。


 とはいっても、まだ彼の言葉を鵜呑みにするわけにはいかないだろう。現段階ではまだ警戒は必要だ。彼が本当に自分と同じく異世界召喚され、失っていた記憶を取り戻し、自分と敵対する理由を失ったと断定できるわけではないのだから。


「……一つ訊きたいことがある」


 しばらく歩いたところで、斎賀が竜夫に話しかけてきた。竜夫は少しだけ間を置き、「なんだ?」と返した。


「あんたがいた世界はどんな感じだったんだ?」


「どんな感じって――少なくとも僕がいた日本は平和だった」


 竜夫が斎賀の問いにそう返すと、彼は「……そうか」と曇りが感じられる声で返答した。それはどこか羨んでいるようにも、残念そうにも聞こえる声。


「……あんたのところはどうだったんだ?」


 竜夫は斎賀にそう問い返す。


「ひと言で言えば地獄だ。俺がいた世界は滅びかかっている。どこの国に行っても平和なんてものは一切なかった。はっきり言って、偽りの記憶を与えられ、この世界の住人と思い込んだままのほうがよかったと言えるくらいだ」


 斎賀の言葉は心から吐き捨てるような調子だった。


「……核戦争でも起こったのか?」


 竜夫の言葉に、斎賀は「……それならまだよかったんだがな」と呆れるような調子で言葉を返してきた。


「あんたには信じられないかもしれないが、俺がいた世界はある日を境に怪物が現れた。俺が生まれる前の話だ。その理解を超えた力を持つ怪物に人間はなすすべなく蹂躙され尽くし、かつての十分の一以下にまで数を減らしている。まだ抵抗はしているが、それも時間の問題だろう。あと十年保ったらたいしたものだな」


 斎賀の言葉からは諦めにも似た達観が感じられた。それは、心から思っていなければ言えない言葉のように思えた。


「……冗談ってわけじゃなそうだな」


「冗談ならどんなによかったか。あそこでかろうじて生きていた人間は恐らくどいつも、それがただの悪い夢であってほしいと思っていただろうさ。俺も同じだ。夢も希望もなく、ただ滅びたくないという一身で勝てるはずのない戦いを延々と続けなければならないんだからな」


 斎賀の言葉から感じられる悲哀はとてつもない重量が感じられる。それは、本当にそのような社会に生きていなければ言えるはずのない言葉であった。


「……信じられないか?」


「いや……いまのあんたの言葉を聞いた限りでは嘘とは思えない。それに、いま僕は竜が実在した世界にいるんだ。である以上、怪物がいる世界があったっておかしくないだろう。あり得ないものなんて、この異世界に来てから嫌というほど見てきたからな」


 竜夫はそう言って、視界に入ってくる巨大な建造物に目を向ける。


 宙に浮かぶそれは、依然としてどこまでも力強くそこに存在していた。遠く離れたここからでもはっきりと感じられる程度に。


「あんたは、あれがなんなのか知ってるか?」


 記憶を失っていたとはいえ、彼は自分を狙う軍の刺客だったのだ。あの宙に浮かぶ巨大な建造物についてなにか知っていてもおかしくはないが――


「さあな。軍の人間であっても、俺は汚い仕事を請け負うだけの、ただの末端でしかなかったからな。俺と同居している奴なら知っているかもしれんが――」


 斎賀は、目の前にいる自分ではない誰かに話しかけるような調子で言う。少しだけ間を置き――


「――どうやら、そいつも知らんそうだ。まあ、どちらにせよあれが竜どものものであるのなら、俺たちが生き残るためにはあれをどうにかしなきゃならんだろう」


「そうだな。ところで、あんたの同居している奴っていうのは誰だ?」


 どう見ても、斎賀は一人である。一体、どこに同居している相手がいるのか?


「俺と同化させられた竜だよ。ブラドーというそうだ。あんたも竜の力を持っているんだから、てっきりいるもんだと思っていたが――」


 見たところ、あんたはそうじゃないらしいなと斎賀は言う。


「ああ。僕に力をくれた竜は、僕を助けたあと力を与えて、消えちまったらしい」


「ということは、あんたは誰も知らぬこの異世界で一人だったってわけか。平和な世界から来たあんたにはなかなかきつかったんじゃないか?」


「そうだな。でもまあ、その力があったおかげでなんとか生き延びられている」


 それがなかったら間違いなく野垂れ死にをしていたことは確実だ。それ以前に、あの竜に助け出されていなかったら、残虐な人体実験の材料にされた揚げ句に死んでいただろう。


 斎賀が召喚されたあと、どうなっていたのか気になったがものの、竜夫は訊かなかった。それは彼にとって間違いなく思い出したくない出来事であるだろうからだ。どこの世界に行っても訊くべきではないことは存在する。彼がこの異世界に召喚されたあとどうなっていたのかもその一つだろう。


 そう思ったところで、竜夫の視界にこちらを導くように続く光が見えた。恐らく、アースラによるものだろう。竜夫はそれを辿るように、その先へと進んでいく。


「ところで、あんたの協力者だが――信頼できるのか?」


「どうだろう。僕としてもよくわからないっていうのが正直なところだ。なにしろ言動が胡散臭い奴だからな」


 とはいっても、いまの自分に頼れる相手などほとんどいない以上、その胡散臭い奴も頼らざるを得ないのだが。


「言動が胡散臭いってのは俺も同感だ。まあでも、使えるものは使えるうちに使っておくべきだろう。俺たちみたいなのは特に」


「……そういえば、あんたも奴と接触したんだったな」


 二人は、自分たちを導くように続く光点を辿っていく。


「でもまあ、奴の言動がどうであれ、竜たちと敵対していることだけは間違いない。それだけは信頼できる――はずだ。確証はないけど」


 あたりを警戒しつつ、角を折れる。するとその先に――


 アースラとみずきの姿が目に入った。向こうもこちらに気づき、振り向く。


「お待ちしておりました」


 竜夫と斎賀が近づくと、重病人のような顔色をしたアースラが一礼する。アースラの一礼を見たあとに、彼の少し後ろにいるみずきに目を向けた。


 みずきは極限状態で運動して疲れている様子だったが怪我をしている様子はなかったことを再び確認して、少しだけ安心する。


「……早いところ話をしよう。遠くに浮かんでいるあれはなんだ?」


 みずきの無事を確認してすぐ、竜夫は切り出した。


「そうですね。私の予想が正しければ、あれは恐らく――」


 アースラは一度と奥にあるはずのあれに目を向けて――


「私たち破竜戦線が探していた、竜たちの本体を保存している『棺』です」

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