第186話 極限なる戦い
ケルビンが動き出したのはヒムロタツオと同時であった。伸ばしていた赤い直剣を収縮させ、もとの大きさへと戻して振るう。赤い直剣はヒムロタツオが持つ武骨な刃と衝突。鋭い音が静寂に満ちた礼拝堂の中に響き渡った。そのまま鍔迫り合いとなる。
十秒ほど鍔迫り合いは続き、双方後ろへと飛んで距離を取った。その距離は八歩ほど。
ケルビンは赤い直剣を鞭にように変形させて振るう。それは細く長く伸び、ヒムロタツオの身体を引き裂かんと迫っていく。
だが、ヒムロタツオは冷静に自らが持つ刃で鞭のように変形した赤い直剣による攻撃を防いだ。攻撃を弾いたヒムロタツオはその隙をついて前へと踏み出そうとする。
ケルビンは弾かれた赤い直剣を操作し、ヒムロタツオの斜め後ろから攻撃を仕掛けた。ヒムロタツオは一度防いでも再び襲いかかってくるのを予想していたのだろう。死角から迫ってきたケルビンの赤い直剣を、ほとんど目を向けることなく防いだ。追撃を防いだヒムロタツオはさらに前へと出て距離を詰めてくる。
ケルビンは伸ばしていた赤い直剣を収縮させもとの形状へと戻し、前に出てくるヒムロタツオへと向かっていく。赤い直剣と武骨な刃が再び衝突。身体に深々と突き刺すような音が響いた。
そのまま打ち合いが続く。一撃、二撃、三撃。静まり返った礼拝堂に硬質な音だけが響いていた。お互い一歩も引かぬ一進一退の攻防。双方ともに傷ついていなかったものの、それは確実にケルビンを――恐らくヒムロタツオも――気力と体力を削っていった。
一度でもしくじれば、その次の瞬間に致命傷となるだろう。その重圧はとてつもなく重い。
しかし、余裕があるのは間違いなくこちらである。なにしろこちらは、殺されても復活できるだけの再生力をあと三回残しているのだ。その優位はとてつもなく大きい。なにしろ致命的な失敗を三度まで許してくれるのだから。
とはいっても、純粋な戦闘力で勝っているのはあちらだ。こちらの呪いの力で弱体化していても、ヒムロタツオの能力が戦闘においてこちらよりも圧倒的に優れていることは疑いようがない。
三度も失敗が許されるからといって油断をすれば、その優位はすぐに消し飛んでしまうだろう。幾多の戦いに勝利し、生き延びてきたヒムロタツオは強い。
いま目の前に立ちはだかっているヒムロタツオは以前よりも強くなっているように思えた。それはこちらが消耗しているせいなのか、それとも本当にヒムロタツオが呪いの影響を受けてもなお強くなっているのか不明である。だが、どちらであったとしても、奴がいままで戦ってきた敵の中でも最大級の強さを誇っていることに変わりはない。敵ながら見事であるとしか言いようがなかった。
ケルビンは赤い直剣を構え、その切っ先を延長させて刺突を放つ。伸びた刀身が赤い閃光のようにヒムロタツオに迫る。
しかし、速いだけの攻撃で歴戦の戦士であるヒムロタツオを揺るがせられるはずもなかった。ヒムロタツオは自身に向かってきた赤い直剣を刃で弾いて防ぐ。
防ぐと同時にヒムロタツオは前へと踏み出し、伸ばされた赤い直剣を潜り抜けてくる。たった一度の踏み込みで常人の数倍の距離を詰め、ケルビンへと迫ってくる。
ケルビンは伸ばしていた赤い直剣を高速で収縮させ、迫ってくるヒムロタツオを待ち受けた。接近してきたヒムロタツオは刃を振り下ろし――
ケルビンは赤い直剣でそれを防いだ。
「ぐ……」
ヒムロタツオの攻撃を防いだはずのケルビンは苦悶の声を漏らした。斬撃の直後に放たれたヒムロタツオの蹴りが腹部に突き刺さったからだ。蹴られた腹部から全身を揺さぶるような衝撃が伝わってくる。
だが、蹴られてもなおケルビンは怯むことはなかった。ここで怯んでしまえば一気に命を刈り取られると直感したからだ。気合いで腹部を蹴り上げられた衝撃と痛みを堪え、ヒムロタツオが放とうとしていた追撃を防ごうとする。
三度、赤い直剣と武骨な刃が衝突。お互いが持つ獲物が音を立てながら削っていく。
そこでヒムロタツオは身体を退く。半歩ほどの空間が作られた。ケルビンは退いたヒムロタツオを追撃しようとするが――
そのとき、自身の足もとで軽い音が聞こえた。ケルビンは反射的にそちらへ目を向ける。そこには――
手榴弾が転がっていた。
まずい。そう直感したケルビンはすぐさま後ろへと飛び――
その直後、転がされた手榴弾が爆発。なんとか爆発に巻き込まれることは避けられたものの、眼球が歪むような衝撃がケルビンを襲った。
再び距離が開く。十歩ほどの距離。
まさか、手榴弾も創ることができるとは。つくづく恐ろしい能力である。反応できなかったら、あそこで一つ命を失っていたところだ。
「一つ、訊きたい」
十歩ほどの距離を隔てた先にいるヒムロタツオが声を発した。
「あんたは、なんのために戦っている?」
ヒムロタツオの問いかけが、静まり返った礼拝堂に響いた。自分とそれほど変わらない、若い男の声。相当疲弊しているはずなのに、その声からは疲れや苦しみといったものはまったく感じられなかった。疲弊しているとは思えないほど力強い。
「あんたと同じさ。大事なものを守るために命令を受けて、あんたと戦っている」
ケルビンは正直に答えた。どうして正直に答えようと思ったのかは自分でもわからなかった。恐らく、そういう気分だったのかもしれない。
「……そうか」
ヒムロタツオは自身が問いかけたその返答に短く答える。その声からは短い返答の中に複雑な思いが感じられるものであった。
「もう一つ訊きたいことがある。どうして、アースラの口車に乗った? 俺もアースラも軍の人間であるあんたにとって敵のはずだろう? あいつの口車になんて乗る理由なんてなかったはずだ」
「…………」
ヒムロタツオの問いかけを聞いたケルビンは押し黙った。
確かに、自分にはあの男――アースラの口車に乗ってローレンスと敵対する理由はまったくなかった。目的だけを求めるのであれば、仮にヒムロタツオがローレンスにやられてしまったのだとしても、彼の死亡が確認できればそれで問題はなかったはずである。
それなのに、どうして自分はそうしなかったのだろう? 裏切りと思われても仕方ない行為を行ってまで。未だにそうしてしまった理由がわからなかった。
『自分を思い出す手伝いをしてあげましょう』
あのうさん臭い男の言葉が頭に過ぎる。
どうして自分のことを知りたいと思ってしまったのだろうか? 自分のことなど自分がよくわかっている。そんなことは誰に言われるまでもなく当たり前のことだ。それなのに――
何故自分は、自分のことを疑っているのだろう? まるでどこかの哲学者かなにかのようだ。
確かに、なにか引っかかるものがあることは事実だ。なにかがつかえているような、もしくはなにかを忘れているような感覚。
……惑わされるな。ケルビンは自分に言い聞かせた。
奴らはただ、こちらを惑わすためにそんなことを言っただけだ。疑うようなことなどあるはずない。そう思うのだが――
自身の内に生まれ出た疑念が消えることはない。その言葉は邪悪な妖精のように自分を惑わし、確かなはずの自身を不安にさせる。足もとにあるはずの地面が徐々に崩れていくかのようであった。
くそ。本当になんなんだ。どうしてこんなことになった。こんな風に惑う理由などなかったはずなのに――
「……それをあんたに言う理由はない」
ケルビンの言葉に、ヒムロタツオは「そうか」とだけ返答する。
惑うな。惑ったら破れるのはこちらだ。ヒムロタツオほどの強者を相手にして、惑っている余裕などない。
「俺とあんたは殺すか殺されるかの仲でしかない。それで充分だろう?」
自分は猟犬であり、奴はその標的。それだけでいい、はずだ。
「そうかも、しれないな」
ヒムロタツオは少しだけ残念そうな声を漏らす。奴がなにをどう思っているのか、ケルビンにはまったくわからなかった。わかる必要もないだろう。自分と奴は、敵同士でしかないのだから。
「わかってるのならさっさとやろうぜ。あんたも長引くのは避けたいはずだ。そうだろう?」
「……そうだな」
ヒムロタツオの短い返答。やはりそれは、複雑な思いが入り乱れているような言葉であった。
そのやり取りの後に、ケルビンとヒムロタツオは構える。
極限の戦いは限界を超えてもなおまだ続く。
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