第183話 異形の存在

 扉を開いた先にいたのは異常なほど頭が肥大化した巨人であった。


 身長は恐らく三メートルはある。体重も正確にはわからないが、一般的に巨漢と言われる人間の数倍はあるはずだ。それだけでもすでに人間の範疇を超えている。


 なにより、異形なのは異常なほど肥大化した頭部だ。いや、違う。正確に言えば肥大化しているのは頭部ではなく脳だ。それは、脳が頭蓋骨を破るほどに巨大化して、外部に露出しているとしか思えなかった。


 それが、自分の目の前に座っている。それは、いま自分が見ているものが現実かどうか疑いたくなるものであった。


「…………」


 予想だにしてなかった異形の姿を見て、竜夫を発することができなくなる。この異形の存在が、ローレンスなのか? とてもではないが、人間には見えなかった。


「どうした? なにを黙っている? 直接相対したからと言って、別に遠慮することはない。俺と貴様の仲だろう。それともこんなことを思っているのか? 俺の姿はどう見ても、人間には見えない、と」


 ローレンスはその巨体に相応しい、こちらの身体を奥から震わせるような重い声を発する。


「安心しろ。そう思うということはお前が正常である証だ。俺自身でもそう思うからな」


 重い声を響かせたのち、ローレンスは大量の血を吐き出し、身体の至るところから出血する。竜夫の足もとにローレンスから出血した血が流れてきた。目の前に現れたローレンスがあまりにも異形だったせいで気づかなかったが、この部屋は真っ赤に染まっていた。それは恐らく、ローレンスから出血したものだろう。


「お前は……人間なのか?」


 大量に喀血したローレンスに竜夫はそう問いかける。


「正確に言えば、だっただな。俺の魂が転写された法王ローレンスは間違いなく人間だ。俺にしてみればどこにでもいる、どうということもない人間でしかない。俺の魂が転写されたことによって、この男は哀れにもこのような異形になったわけだ。なかなか愉快だと思わんか?」


 ひとしきり出血したところで、ローレンスは笑いながら竜夫の問いに返答する。


「俺の力は人間にしてみれば想像を絶するほどの処理能力を必要とする。ローレンスという男がこのような姿になったのは、それが原因だ。多くの他人を操るために脳が肥大化し、肥大化した脳を支えるために身体も巨大化した。入れられた中身によって器が変形したというところか。人間というのは、こちらの予想以上に環境に適応できる存在のようだ。研究者どもはなかなか面白いといっていたが、俺には知ったことではないな。どのような姿をしていようが俺は俺だ」


 ローレンスの身体から再び出血する。それはまるで、身体の内側から切り刻まれているようであった。あたりに大量の血かまき散らされる。だが、ローレンスは声をあげるところか、顔を歪ませることすらない。それも、ローレンスの異常さを際立たせる要素の一つであった。


「どうした? 来ないのか? 貴様を狙う俺を殺しに来たんだろう? それともいまさら怖気づいたか? 安心しろ。このような姿をしているが、俺自身にはお前と直接やり合えるほどの力はない。貴様の想像以上に俺は簡単に殺せるぞ。まあ、貴様がここで怖気づいて殺さなかったとしても、ローレンスという男の身体が死ぬという結果は変わらんが」


 ローレンスは自身の死を完全に理解していながら、それを恐れている様子はまったくなかった。ただ淡々と、客観的に自身に迫りくる死を語っている。その在り方も、見た目と同じくどこまでも異形であった。


 ローレンスが何故このような状況になっているのだろう? 竜夫は疑問に思った。確かに自分は、ローレンスが操っていた人間を殺害した。だが、ローレンスは他人を遠隔で操っていたのだ。遠隔で操っていた人間が殺されるとなんらかのペナルティがあるのか、それとも別の理由によるものなのか――


 そこまで考えたところで気づく。


 自分とアースラ以外にローレンスと敵対していた彼のことを。


 恐らくローレンスがこのような状態になったのは、軍の刺客であった彼によるものだろう。こちらを弱体化させていた彼の力。それがなんらかの形でローレンスの本体まで波及していたのだろう。それ以外、考えられなかった。


 ローレンスの様子を見て、竜夫は同時に恐ろしくなる。彼の力がもっと強く影響していたら、自分もいまのローレンスのような状態になっていたかもしれないと思えたからだ。アースラがどのようにして彼を言いくるめ、ローレンスと敵対させたのかは未だに不明である。しかし、もし彼とローレンスが敵対してなかったのなら――


 ローレンスのように、全身から出血して死を迎えていたのは自分であったかもしれない。それは想像したくないことではあったが、いまのローレンスを目の前にしていると嫌でもそれが頭に過ぎる。


「本当に現実というものはいつになってもままならんものだ。せっかくあのお方の力を我が物にできる機会であったというのに。だが、仕方ない。自分の思い通りにいなかったことを嘆いても現実は変わらんからな。この身体が死んだとしても、俺には次の機会がある。奴に与えられた呪いも時間が経てば癒えるだろうからな。ここで焦る必要もあるまい」


 重く響く声で笑ったのち、ローレンスは再び全身から出血する。決して広いとは言えないこの場所に濃密な血と死の匂いが立ち込めていた。


「どうして、お前はあいつの力を求めている?」


 竜夫は再びローレンスに問いかける。


「我々と袂を分かったあのお方が時間とともに朽ちていくのが耐えられなかったからだ。あのお方は我らの頂点に立つ存在。再臨する我らには、あのお方は必要だ。あの小生意気な若造にそのような大役など任せられんからな」


 ローレンスは再び喀血する。ローレンスから出血した大量の血によって埋め尽くされたこの場所はまさに地獄のようであった。


「で、貴様はどうするつもりだ? 俺を殺すためにここまで来たんだろう? 俺は貴様らと戦い、結果として敗北したのだから、その資格はあると言える。それとも、俺がこのまま内部から引き裂かれていくのを眺めていくか? それもよかそう。いつの世も、誰かが苦しみ、そして死ぬというのは最高の娯楽でもあるからな。異世界の住人たる貴様らもそうなのではないか?」


 死に瀕してもなお、ローレンスの余裕はいまだに健在だ。いま自分の目の前にいる奴はすべてに達観し、その結果を受け入れる準備がある。それはこちらをあざ笑うほどに不敵であった。


「…………」


 竜夫はローレンスの言葉に返答しないまま、右手に刃を創り出した。人間の範疇を超えた巨躯を持つローレンスであっても死に至ら閉められる巨大な刃。竜夫は、それを構え――


 投擲する。


 投げられた刃はローレンスの巨大な頭部を貫いた。巨大な刃によって巨大な頭部を射抜かれたローレンスはそのままぐったりとうな垂れるようにして、動かなくなる。


 ローレンスが動かくなったことを確認したのち、竜夫は踵を返して歩き出した。


 歩きながら、竜夫は考える。


 奴があそこまで達観していられたのは、ここで殺されたからといって自身が死ぬわけではないからだろう。どこかにいるはずの竜どもは、人間に魂を転写されているだけなのだ。奴らを真の意味で殺すには、どこかにいるはずの本体――奴らの魂そのものを殺さなければ駄目だ。


 別に、自分の目的を達成するためには、竜どもの本体を見つけ出して殺す必要はない。だが、奴らがこちらを狙っている以上、身を守る必要がある。自分一人であればいいが、いまはみずきがいる。彼女を守るためには、脅威を排除しなければならない。


 竜夫は歩き、先ほど降りていった階段を登っていく。階段を登り切った先に――


「来たか」


 待ち構えていたのは、もう一人の敵である彼の姿。彼は赤い直剣を手に持っている。この礼拝堂の出入り口は一ヶ所しかない。戦いは避けられそうになかった。竜夫は右手に刃、左手に銃を創り出した。


「さあ、やろうか」


 竜夫と彼はほぼ同時に構え――


 最後の戦いが始まった。

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