第170話 正しさとは

 背後から中年の男を昏倒させたケルビンは、倒した男のことを眺めながら自身に問いかけた。


 一体、自分はなにをやっているのだろう?


 確かに、教会の連中に標的であるヒムロタツオを仕留められたら失態であることは間違いない。だが、教会の連中とわざわざ敵対する理由があったわけではないのも間違いないのである。本来であれば、教会の連中を利用してヒムロタツオを追い詰め、最後に自分が持っていくという形が一番であったはずだ。それなのに、何故――


『本当のあなたを知りたいと思いませんか?』


 ヒムロタツオに協力していた破竜戦線の男の言葉が未だに脳内に焼きついたままだ。破竜戦線もヒムロタツオと同じく、軍に仇なす仇敵である。どんな形であれ、自分は軍に所属する人間だ。ヒムロタツオを仕留めるために、軍の敵である奴と交渉をするという選択が正しいはずがないというのはわかっているのだが――


 それでもなお、奴の言葉が気になって仕方なかった。


 あのとき何故、自分は奴の言葉を振り払い、あの場で始末することができなかったのか? いまになって考えてみても、自分がそう判断した理由がわからなかった。


 やるべきことができなかった苛立ちと、自身の足もとから襲う得体の知れない『なにか』が渦を巻き、心をかき乱されている。


「……くそ」


 ケルビンは小さく呟く。


 本当に、なにがどうなっているのだろう? どうしてこんなことになっている? その言いようのない不信が津波のごとく自身を襲っていた。いま知っている自分が正しいかどうかなど疑う余地などあるはずがない。必要以上に自分を疑い始めたら、キリがないのである。


 それでも、自身が揺らぐのを抑えることができなかった。なにが正しく、なにが間違っているのか。それすらもよくわからなくなっていた。自身のまわりにあるすべてあやふやとなったような気がしてならない。自分はどうするべきなのか? どうするべきだったのか?


 それでもケルビンの足は動いていく。


 自分すらも知らない自身を知るという、得体の知れないものに突き動かされてしまう。


「ブラドー」


 ケルビンは自身の相棒たる同居者に問いかけた。


「俺の選択は正しかったのか?」


 ケルビンの言葉を聞き、数秒時間を置いたのち、ブラドーは「そうだな」と声を響かせる。


『お前が軍の人間であるのならば、お前の選択は正しかったとは言えないだろう。それだけは間違いない』


 どこかから響くブラドーの声はいつも通り冷静で、その言葉はどこまでも正確だ。


『だが軍など関係なく、お前自身の選択であるのならば、それは俺に咎める権利などない。お前はお前だけのものだ。お前が知りたいというのであれば、俺にはそれを否定することなど不可能だ。だから俺はあのとき、止めることをしなかった。それとも、お前はあのとき、俺に止めてほしかったのか?』


「…………」


 それもよくわからなかった。


 しかし、あのときにブラドーに止められていたら、自分は思いとどまったかもしれないと思えるのもまた事実である。


「ブラドーは、俺の知らない俺のことを知っているのか?」


『知らないと言えば嘘になるが――俺は、お前自身のことを俺が教えるべきではないと思っている。お前のことはお前が知らなければ、意味がない。自分のことを誰かに与えられたところで、それはお前のものであるとは言えないからな』


 淡々とした調子のブラドーの声が響く。その言葉は冷たく引き離すもののようでもあり、もっとも近い自分のことを考えているようにも思えた。


『どちらにしても、俺はお前の選択を尊重する。お前がなにを知り、なにを選んだとしても俺はお前のことを否定するつもりはない。それはお前の身体を借りている身として、お前の選択を尊重するのは最低限の礼儀であると俺は思っている』


「……そうか」


 ここでブラドーを問い詰めたところで、彼はこちらが知りたいことを喋ってはくれないだろう。


 考えても仕方がない。理由はどうであれ、もう選択してしまったのだ。あとに退くことはできない。こうなったら、ヒムロタツオを十全に始末するために、あの男の口車に乗るよりほかに道はなかった。


 ケルビンは人の姿が絶えた街を駆けだした。


「次の奴はどこにいる?」


『一人こちらに近づいてきている。目の前の角で数秒待って飛び出せば、問題なく奇襲できるだろう』


「わかった」


 ブラドーの言葉通り、ケルビンは目の前の角で立ち止まり、そこから先を覗き込んだ。


 その先にいたのは、六十過ぎくらいと思われる男。いかにも聖職者然とした男であった。ケルビンは、一度息をついて――


 男が角に近づいてきた瞬間に飛び出した。死なない程度に腹部に打撃を与え、彼を昏倒させる。男は一切声を上げることなく、ケルビンの腕へと向かって力なく倒れた。


 それから、ケルビンは自身の血を固めて創り出した赤い直剣を取り出して、男の肩のあたりを浅く突き刺した。男の肩のあたりに小さな血の染みができ上がる。それを確認したところで、そっと地面に寝かした。彼と同じように昏倒させたのはこれで十人目だ。


「ところで、本当にこれだけでいいのか?」


 ただ昏倒させて、小さな切り傷をつけただけで、遠くから他人の身体を操っているらしい教会の連中に損害を与えることができるのだろうか? 操っているのだから、殺さなければ損害を与えることなどできるとは思えないが――


『ああ。他の奴ならこれでは損害を与えられないだろうが、俺たちなら別だ。昏倒させ、いまのように少し身体に傷をつけて血を入れてやるだけで着実に力を削ぐことができる。なにしろ俺の血は呪いの力だからな』


「どういうことだ?」


 ブラドーの言葉はやけに確信に満ちていたので、ケルビンは問いかけた。


『俺たちと同じくヒムロタツオを狙っている奴は他者に刻印をつけることによってそいつを自分のものとして操る力を持っている。それはどれほど離れていようと、自分自身と繋がっていることに他ならない。どんな形であれ、繋がっている以上、俺の血が持つ呪いの力は必ず伝播する。一つでは影響が出ないものであっても、積み重ねれば決して馬鹿にならない。俺たちがいまやっていることはそういうことだ。そろそろ、影響が出始めてくるころだろうな』


 いい気味だ。そのまま死ねとブラドーは吐き捨てた。


 ブラドーの言葉を聞いて、ケルビンはなるほどと納得する。ブラドーが持つ呪いの力は強力だ。操っている何者かと、操られている人たちとなんらかの形で繋がっているのなら、操られている人を介してその呪いが本体に影響を与えるのは必然である。

『奴が俺たちにちょっかいを出されたと知って、操っている奴らとの接続を切ったところで、一度伝播した影響が消えるわけではない。破竜戦線のあの男、軽薄そうに見えてなかなかえげつないことをする』


 くくく、とブラドーは笑い声を漏らす。


『それに、奴の能力は他人を操る以外能がないからな。特化しているがゆえに強力ではあるが、ひとたび破られればそれは脆弱だ。俺の力によって侵食されようとも、切り離すことはできまい』


「ところで、操っている教会の連中ってのは一体どこの誰なんだ?」


 これほど多くの人間に影響を与えられるような人間は限られている。


『それは――』


 ブラドーはその名を告げた。


「本当か?」


 その名を聞き、ケルビンは驚きを隠せなかった。まさか、それほどの大物が関わっているとは予想外だったからだ。


『ああ。お前に嘘を言ってどうする?』


「それもそうだ」


 立場がどうであれ、無辜の人々を駒のように操るなど許されるはずもない。こうなったら徹底的に邪魔をすることにしよう。


 ケルビンはそう心に決め――


 次なる標的に向かって進み始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る