第159話 失い続けるもの

 自分にはなにもない。魔物に襲われ、家族も友人も、すべてを失った。ただ一人で無様に生き残り、この世界を侵食する魔物を狩り続けている。


「少しくらい休んだらどうだ?」


 それなりに親しかった同僚にそんなことを言われた。自分でも確かにと思う。だが――


 すべてを失った自分には、魔物を狩る以外やりたいことなんてなにもなかった。であれば、やるべきことをやるしかない。どうせ、魔物の血に呪われたこの身体は無理が効くのだから。


「……そうか。お前がそうするっていうのなら、俺はこれ以上なにも言わねえよ。俺には、お前の頑固さを曲げることはできないだろうしな」


 彼ははははと軽く笑い、去っていった。その日を境に、彼は帰ってくることはなかった。魔物との戦いで、負傷した仲間を守るためにその命を投げ出したのだ。


 負傷した仲間など、放っておけばよかったのに。この世界における人間の命などそこらに売っているカビた芋よりも安いのだ。そんなものを守って死ぬなんて、馬鹿なことをするものだ。そう思ったが――


 でもそれは、誇りある死でもあるのだろう。誰かを守って死ぬなんて、まるで英雄みたいだ。無様に生き残り続けている自分とは違う。この世界に、そんなものなどいるはずもないのに、そう思えた。


 部隊の中で唯一親しかった彼を失って、自分はまた一人になった。どうしてこう自分は失ってばかりなのだろう。自分の身体に混じった魔物の血がそうさせているのか、それともただ運が悪いだけなのか。よくわからない。だが、どちらだとしても変わりはしないだろう。どちらであったとしても、自分は失い続ける運命にあるのだ。


 自分以外の大切なものを失い続ける自分は今日も魔物を殺している。一匹、二匹、三匹。斬って刺して潰して射抜いて殺し続ける。


 呪われたこの世界に現れる魔物は無尽蔵に等しい。それがなくならない限り、魔物は現れ続ける。呪いを消す方法は、未だに見つかっていない。


 他の人たちはその呪いをなんとかしたいと思っているだろう。しかし、大切なものなどなにもなく、失い続ける自分にはどうでもよかった。呪いが消え、魔物が出てこなくなってしまったら、最後に残った魔物を殺し続けるという役目まで失ってしまうのだ。多くの人々をないがしろにして、それを守りたいと思うほど愚かではないが、役目すらも失ったとき、自分はどうなってしまうのかわからなかった。


 まあ、それでもいいのだろう。どうせ自分は役目すら失ったとしても生き続ける。簡単なことでは死ぬこともままならない身体なのだ。失ったら失ったで、空気のように生きていけばいい。たいしたことではない。


 今日も魔物と魔物狩りどもが跋扈する戦場に出向いていく。ただ一つ残った役目を全うするために。いつも通り、引き裂き、すり潰し、刺し穿って魔物を殺す、はずだった。


 気がつくと、どこかの地下と思われる場所にいた。そこは、四方のどこにも窓のない、ぼんやりとした明かりで照らされた場所。


 そこには多くの人間がいた。ざっと数えて、三十人はいる。白衣を着た数人と、武装した兵士。とてもではないが、友好的な態度とは思えなかった。


「――――」


 こちらに近づいてきた数人の兵士の一人が言葉を発する。なんと言っているのかまったくわからなかった。だが、喋りかけてきたそのニュアンスからして、やはり友好的な態度ではない。それだけは理解できた。


 一体、なにが起こったのか? 自分は、魔物がはびこる戦場に出向いたはずだ。何故こんなところにいる? というか、ここはどこだ?


 近づいてきた数人に兵士が、手慣れた動作でこちらを捕縛してきた。状況が意味不明すぎて、抵抗する間もなかった。手足を拘束され、まるで死体のように引きずられていく。


 しばらく引きずられたところで、牢屋に投げ込まれた。まるで物のような扱いだ。そう思った。そのような状況になってもなお、自分に起こった出来事がなんだったのか理解できなかった。


 牢屋には、自分以外にも人の姿があった。人間や、人間のような姿をした別の生き物、魔物のようなものまで確認できた。実に多種多様だ。これは一体、なんなのだろうか? やっぱり、この時点になってもまるで理解できなかった。


 それから、なにも起こることなく時間が過ぎていく。起こるのは、たまに兵士が現れて誰かを牢屋に押し込んでいったり、牢の中にいたものを連れていくことだけだ。牢屋から連れていかれた奴は、二度と戻ってくることはなかった。解放されたのか、それとも――


 いつしか、考えることをまったくしなくなった。拘束されたまま牢屋にぶちこまれたので、思考以外にすることがなく、ただ単純に飽きてしまったのだ。役目すら失った哀れな存在。それがいまの自分だ。


 役目を失った自分はいつかいまのようになっていたのだろうか? そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。考えるだけ無駄だと思った。失い続けるのは、自分の運命にも等しいのだから。


 考えることを放棄していくばくかの時間が過ぎたとき、自分は牢の外へと出され――


 それから――



 ケルビンが気がつくと、そこにはヒムロタツオの姿はなかった。自分以外に誰の姿のない空虚な街の風景が広がっている。


「一体、なにが――」


『気がついたか。どうやら邪魔が入ったらしい』


 ケルビンの言葉に返してきたのは、自身の内にいる相棒のブラドーだった。相変わらず不機嫌そうな声を響かせている。


「……教会の連中か?」


『別口だ。奴には、こんな真似はできないだろうからな。それになにより、いまはこちらを積極的に邪魔する理由もない』


「じゃあ、誰が」


『恐らく、お前だけがあのような状態になったことを考えるに、ヒムロタツオの協力者だろう。お前がやられたことから察するに、あいつか。貧乏くじを引いた挙げ句、利用されているわけか。なかなかに愉快だな』


 ブラドーは忌々しそうな口調の声を響かせる。


「一体、俺はなにをされたんだ?」


『幻の類を見せられていたのだ。それが、お前にとって気分のいいものか悪いものかは俺にはわからんがな』


「よく、わからないな」


 自分が見ていたのは、まったく知らない誰かの映像。何故あんなものを見させられていたのか、まったくわからない。だが、なにかあるように思えてならなかった。


「俺がなにを見ていたのかなんてどうでもいい。ヒムロタツオは?」


『見ての通り、お前が幻覚を見せられていた間に姿を消したよ。無防備になったお前を殺していかなかったことを考えると、随分と焦っていたらしいな。なにがあったのかはわからんが』


「……そうか。ヒムロタツオはいまどこに?」


『まだそれほど離れていない。いまから向かっても追いつけるだろう』


「……わかった」


 邪魔が入ったとはいえ、戦いはまだ終わっていない。それは恐らく、向こうも同じだろう。


 それにしても自分は一体なにを見させられていたのか? あの幻覚が、ただの脈絡のないものだとはどうしても思えなかった。なにかもっと、重要なもののような――


「……いや」


 ケルビンは短くそう言い、考えを打ち切る。


 いまやるべきは、自分が見させられた幻覚について考えることではない。教会の連中に先を越されないように、ヒムロタツオを始末しなくては。


 こちらにはまだ余裕がある。それに、ヒムロタツオに与えた呪いの影響はまだ消えていないはずだ。であれば依然、有利なのはこちらである。


「……行こう」


 ケルビンはそう言い、ヒムロタツオを追うために、人の絶えた街の中を動き出した。

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