第131話 お互いの告白

 このまま潜伏を続けているわけにもいかない。セーフハウスにある、かりそめの自室にて竜夫はあらためてそれを認識した。


 目的は、この異世界で安全に暮らしていくことではない。もともといた、自分の世界に帰ることこそが目的なのだ。それは、ここに潜伏をしていたら実現する者ではない。


 なにより、この場所に潜伏し続けるのも危険だ。現にいま、外に出るたびに、何者かの視線にさらされている。こちらが十全を尽くしていたとしても、その何者かがこのセーフハウスを見つけ出すことは時間の問題だろう。いずれこの場所は特定される。できることならその前に、いま自分を狙っているかもしれない何者かを排除したいところだが――


 どこの誰が、どこから狙っているのかもつかめない状況だ。どうするべきか。


「……手がかりが必要だな」


 竜夫は小さく呟いた。


 このままこの状況が続いても状況は悪くなる一方だ。しかし、もとの世界に戻る手段に関する手がかりは現状まったくない。爆破されたあの施設跡に忍び込めば、なにか見つかる可能性はあるが、色々な意味で危険すぎるだろう。そもそも、手がかりになるものが見つかる確証があるわけでもない。


「竜の遺跡に、もとの世界に戻る手段の手がかりがあるかな」


 みずきを救うために潜った竜の遺跡は、かつて存在した竜たちの遺物がいくつも貯蔵されている場所だ。あそこには、転送装置のようなものがあった。であるならば、別の世界に移動する手段があってもおかしくない。ウィリアムたちを頼れば、再びあの場所に潜ることはできるだろう。だが――


「これも確証があるわけじゃないんだよな。それに、竜の遺跡はとてつもなく広いようだし、あの施設にあったようなものを見つけるのはかなり難しい、か」


 はっきり言ってそれは、一切の下調べもせずに石油を掘り当てようとするのと変わらない。やはり、ある程度あたりをつけられないと駄目だ。


 どうしたものか。やはり、あの施設が爆破されてしまったのが痛い。あれさえなかったら、もとの世界に戻れていたかもしれないのにと思うと、やるせない気持ちになる。


「ほんと、ままならないものだな」


 現実が自分の思い通りになってくれないのは、異世界であっても変わらない。しかし、現実なんてこんなものだろう。異世界であろうがなかろうが、自分の思い通りにことが運んでくれるのは、漫画かなにかの世界だけだ。


「とにかく、いまは安全を確保したいところだけど――」


 敵の姿がわからない以上、攻勢に打って出ることは難しい。なんとかして、この状況を打開したいところだが――


「やっぱり、言っておくべきだったかな」


 いま自分が、何者かに狙われているかもしれないということを、みずきに伝えておくべきだっただろうか? 無論、その通りだ。彼女とは一緒に生活をしているわけだし、自分になにかあれば彼女は一人になってしまう。心配をかけたくないからと言って、黙っていていいわけではない。いま自分たちを取り巻いている状況がどうなっているのか、伝えておくべきだ。できるだけ早く。


「そういえば、彼女もなにか言いたそうな風にしていたけど――なんだったのかな?」


 そう呟いて、竜夫は買い出しから帰ってきたときのみずきのことを思い出した。


 竜夫はベッドに座ったまま、考える。


「やっぱり、言っておいたほうがいいよな」


 竜夫は、そう結論を出した。ベッドから立ち上がる。


「まだ起きてるかな?」


 竜夫は部屋に備えつけられた時計を見る。時刻は夜の十時を回ったところ。普通であれば、起きている時間ではあるが――


 考えていても仕方ない。早く伝えておこう。これを伝えるのは明日でもいい。だが、明日でいいやと思っているうちに、それがどんどんと遅くなって、致命的な状況になってしまう可能性は充分にある。重要な事項に関しては、気になったときに伝えておくほうがいい。なにしろこれは、自分たちの命に関わることでもある。


 竜夫は部屋を歩いて進んで扉を出て、隣にあるみずきの部屋へと向かう。部屋の前まで辿り着いたところで、扉をノックする。するとすぐに反応が返ってきた。竜夫はゆっくりと扉を開けて、中に入る。


「どうか、しましたか?」


 竜夫が部屋に入ると同時に、みずきはぱたぱたと小さな音を立てて近づいてくる。


「ちょっと、話があってね。いま大丈夫かな?」


 竜夫がそう言うと、みずきは「大丈夫です」とすぐさま答えを返してきた。


「長く話すつもりはないけれど、立って話すのもあれだし、座ろうか。いいかな?」


「それじゃあ、こっちへ」


 みずきは竜夫の手をつかんで、そのまま引いていき、彼女が使っているベッドへと腰かける。異性が使っているベッドに腰かけるのは少し抵抗があったけれど、この状況で拒否するのはいかがなものかと思い、彼女に促されるまま竜夫も腰を下ろした。


「それで、話ってなんですか?」


「あまりいい話じゃあないんだけど――」


 竜夫はそう前置きをして、こちらに帰ってきてから、不審な視線を感じていることを手短に話した。


 その事実を聞いたみずきは――


「いずれこうなるかもってわかっていましたけど、それが目の当たりになると、嫌な気持ちになりますね」


 少しだけ残念そうな声でみずきは返した。


「だから、場合によってはこのセーフハウスから離れなければならないかもしれない。そうなると、安宿を転々とする生活になる。それでも大丈夫かな?」


 できることなら、彼女だけでもいまと同じくらいの生活をさせたいところである。だが、それも難しい。彼女は自分以上に、頼れるものがいない状況なのだ。それを考えると、自分が近くにいたほうがいいだろう。


「少し不安ですけど、氷室さんがいてくれるなら、わたしは大丈夫です」


 みずきは不安そうに、だけど力強さが感じられる声で言う。彼女のそんな声を聞いて、竜夫は少しだけ安心した。


「あの、わたしも氷室さんに話しておかなければならないことがあるんですけど、いいですか?」


 おずおずとした調子でみずきは声を発した。


「いいよ。なにかあったの?」


 みずきのそんな言葉を聞いて、竜夫は気を引き締めた。どうやら、自分が買い出しに行っている間に、なにかがあったらしい。


「気のせい、かもしれないんですけど――昼間、氷室さんが買い出しに行っている間に、すごい頭痛がして、そのときに――」


 部屋にあった家具の位置が少しだけ動いていたんです、とみずきは言う。


 部屋の中を見てみると、おぼろげな記憶しかないが、部屋の中にあるものが以前と少しだけ変わっているように見えた。


「部屋の中に誰かいた、わけじゃないんだよね?」


「はい。わたししか、いないはずです」


 自分一人でいるところでそんなことが起こったのなら、とても恐ろしいだろう。なによりいまは、逃亡中の身なのだ。その状況でそんなことが起きれば、実害がなにもなかったとしても、その恐ろしさはさらに増加する。


「この異世界には、幽霊とかいるんでしょうか?」


 わずかに声を震わせながら、みずきはそう問いかけてきた。


「竜がいて不思議な力があるくらいだから、幽霊くらいいてもおかしくはないだろうけど――わからないな」


「……そう、ですよね」


 落胆したような声を出すみずき。彼女が恐怖に襲われているというのに、なにもしてやることができない自分がもどかしい。竜の力を得ても、誰かの恐怖を消してやることもできない。またしても、自分の無力さを思い知らされた。


「あの、迷惑でなければでいいんですけど、一人だと眠れそうにないので、少しだけいてくれませんか?」


「いいよ」


 竜夫が短く返すと、みずきは嬉しそうに淡い笑みを見せた。


「それじゃあ、手を握っていてくれませんか?」


 みずきの言葉を聞き、竜夫みずきの手をそっと握る。彼女の手は、自分よりも体温が高いのか、とても温かい。触れていると、どこか安心するものがあった。


 後ろでごそごそという音が聞こえる。みずきがベッドへと入っている音だろう。それを見るわけにもいかず、竜夫は扉の方にずっと目を向けていた。


 そんなとき――


 部屋の中にふわりと嗅いだことのない匂いが漂ってきて――


 風景が変わる。いままでいた場所が、CGで作られた場所だったのではないかと思うほどの変貌。なにが起こったのかと、竜夫は身構えた。


 変貌した世界に、文字が浮かび上がる。


 いきなりですまないが会って話がしたい。問題ないのであれば、この場所に来て欲しい。

                                  アースラ


 簡潔にそれだけの文言と、番地だけが書かれていた。ということは、この状況は、彼が作り出したものなのだろう。そして――


 こうやってこの場所に幻が出現したということは、この近くに彼がおり、このセーフハウスの場所もわかっているのだ。どうやって特定したのかはわからないが、ハンナが持っていた力を受け継いだ彼にできてもおかしくはない。


 それからすぐに幻は弾けて消え、もとの世界へと立ち戻る。見慣れた、まだ生活感があまりないセーフハウスの部屋へ。


 竜夫は背後を見る。ベッドに横になっているみずきは、もう眠っているらしかった。時計を見る。時刻は十一時を回っていた。どうやら、あの幻に襲われてから、それなりの時間が経過していたらしい。


「僕も寝るか」


 アースラがなにを目的にしているのかは不明だが、会って話がしたいというのなら、断る理由はない。なにより、彼はこちらが求めている情報を持っている可能性がある。つかめるものは、つかんでおくべきだろう。


 そう決断した竜夫は、自分の手を握っているみずきの手をそっとはがしてから立ち上がる。それから部屋の明かりを消して――


「おやすみ」


 寝ている彼女にそう言って、部屋を出た。

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