第84話 夢の中での再会

「ここは……」


 竜夫は気がつくと、そこは明らかにおかしな空間だった。昼でもあり夜にも思えるような空。あり得ない形状をした建物。その他にも色々とおかしなものばかりが存在する。どこまでも見渡しても、ここは現実ではないと確信を持って言えるほどだ。これは、間違いなく――


「いるんだろ」


 竜夫が虚空に向かって話しかけると、なにもないはずの場所から人の姿が現れる。痛そうで、苦しそうな表情が顔中に刻まれた若い女性。彼女は、なにもない空中に座っている。破竜戦線のリーダーであるハンナだ。


「すぐに、気づくとは……さすがだな」


 ハンナは夢の中であるにも相変わらず末期の重病を患っているとしか思えない、苦しそうな表情を浮かべている。


「そりゃ二度目だからな。これだけおかしくなってりゃ、嫌でも気づくさ」


 竜夫はため息をついてハンナの言葉に返答する。ハンナは苦しそうな声で「そうだな」と返してきた。


「ところで、いま……お前は、どこに……いる?」


 竜夫はハンナの問いに少しだけ逡巡をしたのち、「ローゲリウス」とだけ短く答えた。


「帝都を……離れた、のか」


「ああ。少し事情が変わってな。少し姿をくらませる必要があった」


「そう、か……」


 ハンナは竜夫がうやむやにして答えなかった事情に突っ込んでは来なかった。なにか察したのかもしれないし、ただ必要がないと思ったのかもしれないが、竜夫にとってはどちらであっても深く詮索されないのはありがたかった。


「そういうお前はどこにいるんだ? もうアーレムから離れているんだろ?」


 いくらなんでも、軍の施設への潜入などという危険な行為をやっておいて、まだその近くに潜んでいるなんてことはないだろう。なにしろ、あの潜入は軍のほうに察知されていたのだ。その場に留まるのはあまりにも危険すぎる。


「私は……帝都にいる」


 ハンナは意外にもあっさりと竜夫の問いに答えた。敵である軍の本部が帝都にあるといっても、あそこはかなり広い都市だ。それならば、街を転々として、下手に逃げ回るよりは、どこかに潜伏していた安全だろう。帝都ほどの規模であれば、反政府組織が隠れられるような場所などいくらでも見つかる。現に、自分がいた世界の指名手配犯なども、東京やその近郊に潜んでいるケースが多かったし、その理屈はこちらでもある程度は通用するはずだ。これも、その例と似たようなものなのだろう。


「まあ、別にどこにいてもいいさ。お前がどこにいたところで、僕になにか影響するわけじゃあないからな」


 ハンナと接触することで、病に苦しむみずきをどうにかできるわけでもない。そう思うと、夢の中であるにかかわらず嫌な気持ちになる。


「それも……そう、だな」


 虚空に腰を下ろしている彼女は同意をする。とてつもなく苦しそうだ。それを見ていると、現在進行形で苦しんでいるみずきの姿が頭の中にちらついた。


「でも、僕もお前に話しておきたいところだったんだ。ちょうどいいや」


 竜夫がそう言うと、ハンナは顔を上げる。その顔に刻まれた表情は指で軽く突いたらあっさり死んでしまうのではないかと思えるほど苦しげだ。だが、苦しげな表情を見せながらも、その目には強い輝きが感じられた。


「話したい、こととは……なんだ?」


「お前は軍が、いやこの国が竜に乗っ取られつつあることを知っていたんだな?」


 竜夫は単刀直入に言う。竜夫の言葉に、ハンナは「ああ」と吐息を漏らしながら、苦しそうな声で答えた。


「そうだ。私は、この国を飲み込まんとしている竜から、人々を……解放するために、戦っている。いや、いまはもう……いたというほうが、正しいな」


「何故だ?」


 竜夫はハンナの言葉に引っかかり、問い返した。


「私は、もう長くない。私は、自身の中に……転写された竜の、魂による侵食により……そう遠くない日に死を迎えるだろう。もう少し……粘れると思ったが、この間の潜入が軍に察知されていたことで、潜入した仲間が……全員殺されたことにより、仲間に分け与えることによって……いままで、無理矢理抑えて、いた侵食を……抑えられなく、なった」


「そんなに苦しいのか?」


「ああ……。とても、苦しい。日に日に、自分の中にいる竜の魂が……大きくなっている。ただ目を開いているだけで、強烈な死の匂いが……感じられるほどに」


 虚空に座るハンナの首ががくんと折れる。だが、彼女はすぐに顔を上げた。竜夫のことを注視する。


「軍が、竜に乗っ取られている……ことを黙っていたことに、関しては……素直に謝罪、しよう。すまな……かった」


 ハンナは、弱々しい声で謝罪の言葉を述べた。


「別にいいさ。そんなこと、できるのなら知りたくなかったからな。いつから、軍は竜に乗っ取られていたんだ?」


「それは……私も、知らない。私が入隊した十年ほど……前には、すでに乗っ取られていた。もしかしたら、軍が大戦後の混乱に乗じて、国の実権を握った……ときには、竜たちはすでに……軍の中枢にいたのだろうと、私は……考えている」


「…………」


 軍が竜に乗っ取られていることを知ったハンナが、なにをどう思ったのかはわからない。だが、間違いなく彼女は、それを危険だと思ったのだろう。その敵が、とてつもなく強大な存在であったとしても、彼女は戦わねばならないと思ったに違いない。だからこそ、彼女たちがただの暴力的な反政府組織とは思えなかったのだ。


「そう思った結果が、これだ。人の世を飲み込まんと……する竜たちを打破することもできず、ただ苦しんで死んでいく。実に……滑稽だ」


 ハンナは、自嘲をするような声で言う。竜夫は、彼女の言葉を否定することも肯定することもできなかった。


「なにもできなかったと言うわりには、諦めてるようには見えないが」


 苦しそうに悶えているハンナの目にはまだしっかりと強さが感じられた。なにもなすことができずに敗北し、死んでいく者の目とは思えない。


「そう……だな。私はまだ、負けて……いない。私のように、竜の力による……侵食を受けずに、力を……行使できるお前がいる。お前の、目的がなにであったとしても……お前さえいるのなら、人々の希望は……消えない、だろう」


 竜夫に託すように、祈るようにハンナは言う。竜夫には、苦しそうに言う彼女の言葉を無下にすることはできなかった。


「……それで、いいのか?」


「いい。竜に抗うと決めたときから……私は死を、覚悟……していた。だから、死ぬのは……怖くない。なにも為せなかったのは悔しいが、希望になり得るお前がいるのなら、その悔しさにだって……耐えられる」


 そう言ったハンナの言葉はとても弱々しいものだったのに、とてつもない強さが感じられた。


「他の仲間はどうしたんだ?」


「犬死する私に、ついてくる必要は……ないと、言った。彼らにだって、自由に生きる権利がある。私のために、その命を使う……必要はないからな」


「そうか」


 竜夫は、そう返すことしかできなかった。


「最後に一つ訊きたいことがある。お前らが、軍の施設に潜入する危険を冒してまで、探していたものとはなんだったんだ?」


「竜の……棺だ」


 ハンナは簡潔に答える。


「それはなんだ?」


「竜たちの本体――いわば、魂を保存しているものだ。人間の乗っ取った竜たちは、人間に魂を……転写している。だから、乗っ取った人間を殺したとしても、竜たちの本体は殺すことはできない。やつらの本体が保存されている竜の棺を破壊しない限り、な」


「…………」


 その事実を聞いた竜夫は、唾を飲み込んだ。


 乗っ取った人間を殺したところで、竜たちを殺すどころか傷つけることすらもできない。それはどこまでも理不尽であった。


「もう……訊きたい、ことは……ないか?」


「ああ」


 竜夫は短くそう返答する。


「そうか。なら、いい。死にぞこないの私に、無理矢理つき合わせてしまって……すまなかった」


 ハンナはそう言って、軽く会釈をする。


「別にいいさ。それじゃあ、またな」


 竜夫がそう言うと同時に、あたりにあったこのおかしな世界を構築するものは崩れていく。


「ああ。お前に、竜の祝福があらんことを」


 ハンナがそう言うと、この空間を構築するものがすべて崩れ――


 竜夫は、暗黒の彼方へと落ちていった。

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