第77話 石畳と木組みの街
古都ローゲリウスは帝都とは違った雰囲気を持つ街だ。日本人がよく想像するような石畳と木組みでできたいかにも西洋にある異国の街という感じだ。特に竜夫たちが身を隠している旧市街は住宅も含めてそこにある多くの建物が年季が入っているせいか、その趣がかなり強い。
できることなら、ゆっくりと街を見てまわりたいと思うのだが、明日どうなるかもわからず、軍に追われ、命を狙われている状況である以上、そんなことをしている場合ではない。いまはやるべきことを、できることをやろう。ゆっくりと見て回るのなら、当座の安全を確保できてからでも遅くないはずだ。
「……驚きました」
竜夫の隣を歩いていたみずきが声を上げる。
「まわりにいる人たちがなんて言ってるのかわかります。わからないはずの言葉が理解できるのはとても不思議な感覚ですが、すごいです」
みずきのそんな声を聞いて、竜夫は安心する。どうやら自分がやったことは成功してくれたらしい。これで問題はなくなった、とは言えないが、相当に改善されたことは確かだろう。言語が理解できればコミュニケーションが断然取りやすくなる。あとは定期的に得られる資金があれば、彼女一人でも生活していけそうではあるが――
「氷室さん。本当にありがとうございます。なにからなにまでお世話になってしまって」
みずきは足を止め、申し訳なさそうな声でそう言ったあと頭を下げた。
「別にいいさ。気にしなくていいよ。僕も岩花さんも過酷な状況であることは変わりないし、お互いできることやって協力していかないと」
竜夫がそう言うと、みずきは少し安堵したような表情を見せて、再び「ありがとうございます」と言う。
あの地獄のような施設から助け出したときは、死んだような目をしていたみずきだったが、いまはだいぶ回復してきた、ように思える。しかし、心の傷というのは他人には見えにくいものだ。回復したように見えても、致命傷になりかねない深い傷を負っていることもあり得るだろう。そのあたりを考えると、できることならしっかりとした知識を持つ医師のもとでカウンセリングなどを受けさせたいところだが、気軽に情報収集ができるインターネットも人脈の伝手もない異世界ではそれも難しい。悩ましいところだ。
二人は再び歩き出す。古い石畳を歩く音が響き渡る。
今日の目的は食材などをはじめとした生活必需品の買い物だ。ここを紹介されたときに多少の生活必需品はあったが、いまはだいぶ数が少なくなってきている。竜の力を得た自分とは違って、普通の女性であるみずきには多くのものが必要になってくるのは明らかだ。それになにより、男である自分には、女性が生活するにあたって必要になってくるものというのはよくわからない。だからといって、なにが必要かというのを直接的に訊くのもあまりデリカシーがないように思える。果たして、どうしたものか。
「一応、まとまったお金は引き出してあるから、なにか必要なものがあれば買ってくれて構わない。その、なんだ、男である僕にはあまり言いたくないものもあるだろうし――」
なんと言ったらいいのかよくわからず、竜夫は頭を掻きながらぼそぼそと言葉を発することしかできなかった。なにもわからない異世界であるとはいえ、もっと気の利いたことが言えないのかと自分を罵倒した。
「気を遣っていただいてありがとうございます。けど、大丈夫ですよ。あの牢屋の中で散々嫌な思いをしましたから、男性になにか買ってきてもらうことくらいなんともありません。あそこに比べれば、いまの状況はなにもかもマシですから」
明るい声でみずきは言う。その声には強さが感じられた。もともとこういう性質だったのか、あの地獄のような牢屋の中で過ごした日々が彼女を変えたのかはわからないけれど、どちらにしてもそれは竜夫にとってはありがたいことであった。
「……強いね」
「そんなことありません。そういう風に見えたのなら、たぶん氷室さんがわたしのことを助けてくれたからだと思います」
「…………」
褒められるのは悪い気はしないが、ここまで直接的に全肯定されるとなんとも言い難い恥ずかしさがある。こうやって全肯定されて平然としていられる漫画の主人公はある意味奇人変人超人の類だな、なんてことを思いつつ、どうしたものかと考えた。彼女の言葉を否定するのも、無下にするのもよろしくないし、反応に困ってしまう。
「まあ、いいや。さっさと買い物を済ませちゃおう。なにか必要になるものはある?」
「いまのところは大丈夫です。あそこには必要な道具は色々と準備してくれていたようですから。必要になったら、買い出しに行きます。氷室さんも、わたしにだけかまけているような時間はないでしょうし」
「そうしてくれると、僕としてもありがたいよ。なにか困ったことがあったら言ってくれ。できる限りのことはするからさ」
竜夫はそう言って、この街に滞在するようになってから何度か足を運んでいる商店へと向かう。そこで衛生用品をはじめとした生活必需品を買い、そのあと別の店をいくつかはしごして、保存のききそうな食糧品を購入する。追われている身である以上、できる限り外出を減らしたほうがいいと判断して、まとめて購入したので、結構な量になった。
「はじめての同棲生活が異世界になるなんて思いもしませんでした」
「……僕もだ」
「でも、悪い気はしません。わたしを助けてくれたのが、氷室さんで本当によかった」
みずきは明るい声でそう言って微笑んだ。その笑みは、淡い色をした名もなき花のよう。
「…………」
不意にまた肯定されてしまって、竜夫はなんと言ったらいいのかわからず押し黙ってしまう。向こうも悪気は一切ないので、やめてくれと言うわけにもいかないし、どうしたらいいんだろう? なんてことを考えながら帰路につく。
それから、他愛もない話をしながら来た道を進んでセーフハウスへと戻っていく。
日本人とは違う顔つきをした異世界の人とすれ違うたびに、ここは自分のまったく知らない場所なのだと思い知らされる。ローゲリウスは宗教の総本山でもあるためか、聖職者と思われる人の姿も多かった。
そこで、竜夫はみずきの顔を見てふと気づいた。
「なんか、顔が赤いけど、大丈夫?」
みずきの頬のあたりやけに赤い。ただ恥ずかしくてそうなっているようには見えなかった。
「い、いえ、だいじょ――」
です、と言おうとして、みずきは足もとをもつれさせた。竜夫はすぐさま反応して、みずきの身体を支える。触れた彼女の身体から異常な熱が感じられた。竜夫は荷物を置いて、みずきの額に手を当てる。
「すごい熱じゃないか」
竜夫がそう言うと、みずきはつらそうな声で「ごめんなさい」と言う。
「今日の朝くらいから、体調が悪くて」
「謝らなくてもいいよ。でも、無理は駄目だ。荷物は僕が持つから」
竜夫がそう言うと、みずきは「ごめんなさい」と言って竜夫に荷物を渡した。荷物を預かったのち、みずきの腕を自分の肩にかけて彼女の身体を支えて歩き出す。やはり彼女の身体からは尋常じゃない熱が感じられた。
くそ。一体なんだ? 異世界にある風土病か? いやでも、感染症にかかるような不衛生な環境ではなかったはず。とはいっても、病気の類は万全を期していてもかかるときかかってしまうものだ。みずきから伝わってくる熱が感じられるたびに竜夫の焦りは強くなった。
なにが原因かは不明だが、彼女がなにかしらの病気にかかったことは間違いない。体温を測ったわけではないが、相当な高熱だ。すぐにでも医者にかかったほうがいいが――
ろくに伝手もなく、異世界から召喚され、社会的に存在しないも同然の竜夫とみずきが病院にかかれるはずもない。
どうする? と思うたびに焦りが強くなる。
そこで、気づく。
一人だけ、頼れる人がいる。
大怪我をした自分を救ってくれたハル医師であれば、金さえ払えばだれだって救うと豪語した、小学生女子にしか見えないあの人であれば、この状況をなんとかしてくれるかもしれない。幸いなことにあのとき、彼女の名刺を受け取っているし、セーフハウスには電話もある。連絡さえつけば、なんとか――
しかし、ハル医師がいるのは遠く離れた帝都だ。果たして、ここまで来てくれるのか?
いや、駄目だ。もう彼女にしか頼れるものはいないのだ。やるしかない。竜夫はそう決意する。
「家まであともうちょっとだ。そこまで頑張ってくれ。なんとかするから」
大量の荷物と、みずきの身体を支えながら、竜夫はゆっくりと帰り道を進んでいった。
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